日々の思い

日常の出来事、思いを書き続けて、自分を見つめて行きたいと思っています。

渋峠からの朝日

2016-11-05 08:18:55 | 日記
「わたしたちは、この舌で父なる主をさんびし、また、その同じ舌で、神にかたどって造られた人間をのろっている。」ヤコブ3:9





帰る10月15日の早朝の渋峠からです。予想通り空は晴れて、朝日は出ました。残念ながら雲海は皆無です。カメラマンの車は土曜日なので50台以上でしょうか。三脚立てるなら余地のないところです。しばらく日の出のドラマチックさを私も思い出して楽しみたいです。

















日はまん丸で余り好きではなくて、カメラを振って日のない部分も綺麗で楽しみました。フイルムの時は自信がある日の出ですが、デジタルになり露出が難しくなったと思います。日が出てしまってからの空や周囲を見渡したいものです。

















最後は草津白根山の火山と左に見える富士山です。富士山が近くに見えて、もっと左に唾がる山々は群馬県、栃木県、山梨県も見えてるのでしょうか。

上の言葉
口から出る言葉はわざわいのもとです。そのために痛い思いをした経験が誰にでもあります。口を慎むことが出来れば自他共に平穏に過ごせるはずです。悪口雑言を投げかけるのは大きな罪です。「神にかたどって造られた」ものを軽んじるのは神様を軽んじることです。相手に悪いことをしたというより、神様に罪を犯すことですから十分心しておきましょう。(KE)


横手山ドライブインからの夕日

2016-11-04 12:31:02 | 日記
「陶器が陶器師と争うように、おのれを造った者と争う者はわざわいだ。」イザヤ45:9a



多くのカメラマンと一緒にカメラを構えますが、皆さん三脚。我々は無精というか、腰痛がおきる可能性で、手持ちです。イカンとは思うのですが、仕方ないですね。





日が今にも落ちそうです。夕日はドラマチックです。



アワワ、今にも入りそう!





お日さん、また明日って感じです。今日の日は終わりました。また明日のドラマが始まるでしょう。





静寂の日が降りた後です。なんとなく寂しいですね。



後の空は淡く美しいグラデーションが好きです。明日はきっと朝日が美しいでしょう。また東の渋峠に
向かうと思います。

上の言葉

お茶碗にしろお皿にしても、自分がこんな形、色合いに造られたからと、陶器師に文句を言い、争うことはありません。それぞれの用途に合わせて最善の形や色が与えられています。同じように、私達も造り主である神様によって最善なものとして生かされています。どのような取り扱いのなかに置かれても、全て神様のなさる業、造られた意図に従って用いられていることを信じましょう。(KE)

夕日を撮りに

2016-11-03 08:25:06 | 日記
「われらは感謝をもって、み前に行き、主にむかい、さんびの歌をもって、喜ばしい声をあげよう。」詩篇95:2



昼寝から起き、この日は晴れですから横手山ドライブインからきっと良い夕日が見えるに違いないとホテルを飛び出しました。硯川温泉の南部に多くの道があるので、夕日にはまだ時間がある。何処か行ってみたくなり向かいました。



ススキが多くありますが、もう終わりかけています。




まだ白樺の黄葉が美しいです。



横手山ドライブインに着きますと、多くのカメラマンが一杯。若者も多いです。皆思いは一緒ですね。





だいぶ日が降りて来ました。回りは黄色になっています。



笠岳の雄姿がくっきり。先程頂上に行った同じ山に見えないですね。夕日が綺麗だから明日の朝は晴れるでしょう。

上の言葉
神様を褒め称え、感謝し、喜ぶこと、これが私達の務めです。小さなことから大きなことまで、どんなことも神様のみ手にあってのことです。主のご配慮と愛のみわざによって今日まで導かれてきました。ですから、自分の好き嫌いにかかわらず、ことごとに感謝し主を喜ぶ者となりましょう。神様は私達が喜び楽しむことを願っておられ、また、そのために生かされているのです。(KE)

湿原の中へ

2016-11-02 08:32:33 | 日記
「ののしられても、ののしりかえさず、苦しめられても、おびやかすことをせず、正しいさばきをするかたに、いっさいをゆだねておられた。」第一ペテロ2:23







坂から湿原に入ります。向こうに白い線が?何だろう、と見つめ、そうなんだ!霜が溶けて上がる靄でした!湿原に靄?不思議な光景です。以前に田の原にはもやる事があるとは聞いていましたが、これだったのです。良い場面に出会いました。自然の贈り物です。





感動のしっぱなし!見た事もない風景ですから。







この靄とも別れ坂にさしっかかった時、アクシデントが。夫のAさんに、木道に薄く「キケン」と書いてるのを見つけ、「ここはキケンと書いてるよ。」と言おうとしたと同時にAさんはバリ!ドスン、と。また同時に固い所へとび上がったのでした。ヒャーとしたけど安堵。もしそのまま木と共に落ちていたら、救急車か?木道だからそこまで行かないかもしれませんが、何等か怪我か?あまりに美しい風景で上ばかり見て、下を見なかったのです。守られました。感謝です。Aさんはまだ運動神経が良かった。。。





坂はシンドイけど、白樺の中に紅葉も。これは京都では見れないですね。







ホテルの朝食は7~8時半まで。滑り込みセーフでした。その後昼寝しました。私達にとってはハードですし、昼間は余り写真にとって良くないですから。

上の言葉
死にいたるまで従順であられたイエス様の姿です。「正しいさばきをするかた」をしっかりと見つめて生きること、これが私たちの倣うべきことです。感情や情動にまかせて損得・利害に振り回されているかぎり、主の救いに生きることは出来ません。今日、あなたは何を見ていますか。心の目をひらいて、主を見上げつつ、イエス様に倣う者となってください。(KE)

美しい田ノ原湿原

2016-11-01 08:39:19 | 日記
「信仰がなくては、神に喜ばれることはできない。なぜなら、神に来る者は、神のいますことと、ご自身を求める者に報いてくださることとを、必ず信じるはずだからである。」ヘブル11:6



木戸池のお隣にある田ノ原湿原へ向かいました。ここはレンゲツツジの紅葉があるかも?と思っていましたが、余り良くなくて自然のなせる業、霜が溶けはじめ輝く様が良かったです。この日の湿原までの坂にある白樺とツツジの紅葉、霜の溶ける風景のお届けです。





下り坂はいいのですが、帰りの上り坂はどうして息切れするのか?そう長い坂でもないのに。と考えました。標高1850mの高山の為なんですね。





白樺とつつじにうっとり。







霜が着いています。葉に霜は宇治市ではめったに見れないですが、よく見かけました。



先日他教会で88歳という女性に会いました。穏やかで優しく、こんな老婦人になりたいと思ったものです。

上の言葉
神様に喜ばれる人となりたいと願って、生活を立て直し、行いを慎み、努力しようとします。しかし、人がどんなに努力しても聖人君子になることは出来ません。また、神様はそのようなことを喜ばれるのではありません。みことばのように、神様を信じていっさいをゆだねきって生きること、これこそ神様に喜ばれることです。(KE)