昨夜行われた『関西JJ(住宅情報の略)の東京OB会』で、
写真のテニスウエア(ラケットは自前)を、リクルート卒業祝いに頂いた!皆様、有難うございました
(昨夜、携帯電話を忘れ現場を撮影できなかった・・・残念!!)
この春同じく卒業した、62年入社の中堂園哲志さん・61年入社の私・60年入社の田中耕介くんと言えば
リクルート関西住宅情報の、80年代後半~90年代前半
不動産バブル期から崩壊後の不動産業界を舞台に、好き放題していた営業の兵たち。
お二人は不動産業界へ転職されると言うことで、若い頃に育てられた住宅事業への思いがあったようだ。
それは「住宅情報(不動産系)」から「HOUSING(建築系)」に異動していた私も同じだが、
一度、住宅産業に関わると、住宅の人々に与える影響力や価値
またそのビジネス・スケールが大きいゆえか、魅力に取りつかれてしまう。
それにも増して、この“関西住宅情報事業部”の組織的魅力が誰もを引きつけて離さないようだ。
元リクルート専務取締役:木村義夫氏が事業部長をしていた80年代。
当時のヒエラルキーをそのままに、このOB飲み会では人間関係が制御され
一生、頭が上がらない関係が維持されるところが心地よいようだ。
今回は、当時の大阪支社長であられた岡崎坦(ザイマックス監査役)氏もご参加頂き
唯一頭が上がらない人の側で、木村義男さんの言動が慎ましやかで何よりだった。
岡崎さんからは、「人生、粋がって風を起こそうなどと考えると、その風に巻き込まれてしまう。
私は、吹かれる風になびきながら、その方向へ行くくらいが良いと思う」
というような、リクルート人間には考えさせられるお言葉も頂いた。
今回は同時に、マンションディベロッパーのリクルートコスモスで
この度、常務取締役に就任された谷本憲一氏のご昇進祝いも兼ねていた。
80年代は、リクルートコスモス強化の流れでリクルートから人材投入された時代でもあり
現在も関西JJのOBが活躍されている事に、我々後輩としても心強く思う。
※ちなみに、リクルートはコスモス社を手放し10月には社名も変わる
そんな仲間、いつもの聞きなれた関西弁、心地よい叱咤激励に支えられている事を実感できる“関西JJの連中”。
いつまでも若いつもりの楽しい集まりであった。
写真のテニスウエア(ラケットは自前)を、リクルート卒業祝いに頂いた!皆様、有難うございました

(昨夜、携帯電話を忘れ現場を撮影できなかった・・・残念!!)
この春同じく卒業した、62年入社の中堂園哲志さん・61年入社の私・60年入社の田中耕介くんと言えば
リクルート関西住宅情報の、80年代後半~90年代前半
不動産バブル期から崩壊後の不動産業界を舞台に、好き放題していた営業の兵たち。
お二人は不動産業界へ転職されると言うことで、若い頃に育てられた住宅事業への思いがあったようだ。
それは「住宅情報(不動産系)」から「HOUSING(建築系)」に異動していた私も同じだが、
一度、住宅産業に関わると、住宅の人々に与える影響力や価値
またそのビジネス・スケールが大きいゆえか、魅力に取りつかれてしまう。
それにも増して、この“関西住宅情報事業部”の組織的魅力が誰もを引きつけて離さないようだ。
元リクルート専務取締役:木村義夫氏が事業部長をしていた80年代。
当時のヒエラルキーをそのままに、このOB飲み会では人間関係が制御され
一生、頭が上がらない関係が維持されるところが心地よいようだ。
今回は、当時の大阪支社長であられた岡崎坦(ザイマックス監査役)氏もご参加頂き
唯一頭が上がらない人の側で、木村義男さんの言動が慎ましやかで何よりだった。
岡崎さんからは、「人生、粋がって風を起こそうなどと考えると、その風に巻き込まれてしまう。
私は、吹かれる風になびきながら、その方向へ行くくらいが良いと思う」
というような、リクルート人間には考えさせられるお言葉も頂いた。
今回は同時に、マンションディベロッパーのリクルートコスモスで
この度、常務取締役に就任された谷本憲一氏のご昇進祝いも兼ねていた。
80年代は、リクルートコスモス強化の流れでリクルートから人材投入された時代でもあり
現在も関西JJのOBが活躍されている事に、我々後輩としても心強く思う。
※ちなみに、リクルートはコスモス社を手放し10月には社名も変わる
そんな仲間、いつもの聞きなれた関西弁、心地よい叱咤激励に支えられている事を実感できる“関西JJの連中”。
いつまでも若いつもりの楽しい集まりであった。