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昔の日本では、百姓が人口のほとんどを占めていました。父母兄弟そして祖母と祖父は同じ屋敷内に住まわっていました。叔父叔母も近くにいます。子供の面倒は手すきの、年寄りとか、年かさの子供が行いました。
現在の日本では、勤めが生活の絆です。職場の都合に合わせているうちに、地域や血縁の紐帯は細くなってゆきました。
少子化が言われるようになったのには、子育ての環境が貧しくなったからでしょう。
子供手当ては謂わば、緊急避難的な処置です。本来ならば保護者の責任で扶養と教育を行うべきです。ところがここ二十年の社会の流れは、弱者に厳しいものとなりました。累進課税は弱められ、所得の多いものは、バブルに浮かれたりもしました。しかし、一般の勤労者は、リストラの時代で冷たい浮世の風に晒されています。
日本型の緩い温情の世界がいつの間にか、人情紙風船、砂漠のような景色に変わってきました。効率と会社の利益最重要の風潮は、行くところまでいってしまいました。これは我慢がならぬと、政権交代です。
子供手当てはどうなるのでしょうか。
我が郷には今のところ、子供は成人してしまって、いません。
ですが、女達は、税金が多少増えても子供手当ては出したら良い。
そう言っています。
ところが、マスコミの論調は渋い。
大きすぎる国債残高を対置するのです。この使いすぎた予算の責任は時の政府にあります。野党にも責任の一端は有るでしょうが、ほとんどは自由民主党の責任です。もちろん原理的には、主権在民ですから最終責任は国民です。その国民が自民を降ろして、民主を押し上げました。子供手当ては全額出すべきでしょう。財源は利権を削るべきです。
財政を削れば景気が悪くなるとは、自民・官僚利権に食らいついたダニの台詞にすぎません。麻生氏がかんぽの宿問題で、西川を切らずに邦夫氏を降ろしたことで、風は完全に逆風になりました。大局から見れば、麻生氏の判断は日本に変革をもたらしました。「正解」だったのです。自民党の政策としては失敗ですが、日本国の総理としては皮肉ですが、正解だったのです。
アメリカの黒い影の大きさを一番良く知る者は、「政府・自民党」だったのでしょう。中川昭一氏の死は、体質の問題と片付ければ簡単ですが、それでは割り切れないものが数多有ります。いつの間にか、冷たく身に迫る何かが、その心身を侵してゆく。遠くから眺めれば見える危機も、身近にあって日常見過ごしていれば、危機感が麻痺します。権力と金があれば、大概のものは切り従えることが可能です。その結果が貧しすぎる中小民間で横柄すぎる、官と買弁となったのです。買弁とは古い呼称で恐縮なのですが敢えて使用します。清朝末期から支那事変の混乱の中で、支那の富と労務をとりまとめ、欧米と日本などへ売り渡す橋頭堡となった支那人のことを日本の教科書では「買弁」と書いていました。このようなことはあの支那だけのことと、ぼんやり思っていましたが、とんでもないことに、日本にもいたのです。経団連等と言うのは、その巣窟です。
政権は銃口から生まれるとは毛沢東の言い放った言葉です。本当は彼の政権は、原爆の余波で生まれたのです。ヒロシマ、ナガサキの原爆投下の時点では、米軍は沖縄にとどまっていたのです。それより先には進めませんでした。原子爆弾という残虐なる兵器を使用することにより彼等は、我がエリコの城壁を突き崩したのでした。帝の終戦の詔を契機として、彼等は本土に進駐してきました。その米軍が日本国内にとどまるのを正当化する国際条約が「日米安全保障条約」です。これは実際は日本国への武力による威圧を行うのが真の目的です。この欺瞞的な「安全保障」を是とする立場もあり、また欺瞞として排せんとする立場もあります。我が郷は、後者の日米安保廃棄の立場です。ただしそれはそれ、政治のことは政治にまかせよ。それには順序というものがあります。先の大戦では、装備製造能力の差異が決定的でした。
先帝の我が意を体せよとの詔を想起すれば、戦いは別の形で進められる。国体の精華を発揚するに於いて経済が主戦場でしたがこれからは、道義を篤くする時季です。東部十三州から始まって、大平原を押し渡り米墨戦争にて終に太平洋に達したアメリカ。それでも侵略の欲望押さえがたく、ハワイも掠めました。我が神州も神の与えたもうた土地とでも思ったか、それで太平洋でも戦となったのです。その侵略戦争の戦利品が沖縄なのです。ずいぶん前ですが、沖縄の施政権は我が郷の勢力で奪い返しました。しかし基地は佐藤栄作元総理の優柔不断により残されました。彼は「ノーベル平和賞」と引き替えに、沖縄基地を放置したのでしょうか。
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現在の日本に於いても困難は続いています。右翼とは言っても本当の日本人の心情を語れるものは少ないですね。大概はヘタレか、間諜です。タカが言論なれど言論。言いたいことも言えぬようでは実践的ではありません。鳩山政権は沖縄の米軍基地は『出て行け』が本心なのです。これが読めないのは、ヘタレか子供です。従米の買弁利権の肉を加えているので、ワンとも吼えられない、情けないポチ。「沖縄基地はなんだかな~」の情けない論調なのです。
冬の間にも植物は、春の香しい生育の為の資を蓄えています。柳の芽も今は厚い芽鱗に護られています。
日本の金融の冬は峠を越えました。あとは春を迎えるばかりです。アメリカはこれからが本格的な冬の季節となるのでしょう。アフガンに武を持って関わった国には、呪いがかけられると誰かが言っていました。
お勧めの記事です。
恐怖に屈するものと、誇りに生きるものとの違いは、鷹とと鳩との違いか。日本の国鳥はなに? 日本鳥学会が1947年に雉と選定したそうです。狩猟の対象で煮て焼いて食われる鳥が国鳥とは、この学会の見識を再認識致しました。普通に考えれば、八咫烏の繋がりからカラスも考えられます。それでも、烏は黒くて不気味で縁起が悪いなどの声も聞こえて来そうです。鶴は綺麗でスマートお札の図柄にもなりました。最近の日本の有様を見てみれば、鵜飼いの鵜あたりが一番近いのでしょう。さて今日は日曜日ですから、ネクタイを外して何か美味しいものでも探してみましょう。
焼き鳥はサラリーマンが屋台などで食べる、酒の肴の定番メニュー。我が郷では悪たれ小僧が、雀やホオジロを捕まえて、焼いて喰った遊びの中のゴチソウでした。現在スズメは鳥獣保護法では狩猟鳥であり猟が出来るが、獲る人は少ないと思います。雉やコジュケイ狩りで不猟の場合鳩を撃つ人はいますが、スズメでは弾代がもったいない。
ツグミの焼き鳥、それも姿のままが輸入されて売ってました。今から二十年ほど前のことです。いまはその店は、ビルごとハゲタカにやられてしまいました。ツグミの告げ口恐ろしや。オロシャの艦隊売るなら幾らのウクライナ。
ジビエ(仏:Gibier)とは狩猟によって捕獲された野生の鳥獣のこと。フランス料理ではこれが最上。二三日前に鹿の肉を刺身で食べました。これもジビエと言って良いのかしらん。臭みはなく鮪の赤身の味と色味で、中トロの柔らかさがありました。友人の親爺さんが裏山で獲ったそうです。我が郷の赤玉鶏卵のお返しらしい。今日の昼に食べる予定の鮭は、百匁柿の身代わり品。我が郷の嗜好品は物々交換で、税務署も此処までは手が回らない。
以下は参照記事です。
これはホントは一輪挿し でも中身はお酒。
アクセスの記録 2009.11.28(土) 744 PV 246 IP 4021位 / 1331160ブログ
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