こんにちは。
2月9日の「肉の日」に
本当に焼肉屋さんに行きました。
焼肉って、私は個人的にあまり縁がなくて
どちらかと言えば、子どもの頃から「お魚派」
(今は、「お肴」も大変好きです… ふふふ)
しかしながら今回は、景気づけに!?
という事で
先日知り合った、U原さんに誘われ、その紹介者のS根さんとシャチョーさんと4人で
「焼肉食べよう!」という事に決定。
U原さんは、私よりもメガ級の方向音痴という事で、
わかりやすい伊勢佐木町にある「風風亭」を選択いたしました。
ネットで調べて、評判が良かったので…
確かに評判良いと思います。
メニューも豊富で、食べ放題でも3,000円しない。
デザートも食べ放題。
七輪での炭焼きなのですが、すぐ上に換気扇がついていて
嫌なにおいが洋服や髪の毛につきにくいようになっています。
デザートも充実
S根さんのお話が面白くて、
2時間の食べ放題時間がアッと言う間に過ぎてしまいました。
しかしながら、この伊勢佐木町
横浜を代表する大アーケード商店街だった頃の面影は
残念ながら、ほとんどありません。
S根さんも横浜に来てから結構長いので、久しぶりに来た伊勢佐木町に
「なんだか、随分、町が変わったわね… ちょっと、物騒だわ…」
その通り、なんだか、違う国にいるような錯覚と
夜になると、段ボールを持ってきて場所取りしているような人達が
たむろしている町になってしまったようで
夜はあまり1人では通りたくないのが事実。
かつては、土足で入れる呉服店として画期的な店舗として
大正時代に開店した「野澤屋(のざわや・野沢屋)」
(後に、野沢松坂屋となり横浜松坂屋となりました。
「ゆず」の路上ライブで有名になりました。)
を始め、壽屋(すでに閉店)に松屋横浜支店
(後に、野沢屋に吸収され野沢松坂屋になって、
現在はエクセル横浜と言って、
JRAの会員制場外馬券売り場になっています)
などの、一味違う港横浜を彩る、大商店街だった伊勢佐木町。
だって1丁目から7丁目まで有るのですよ、商店街が!
まだ在りし日の横浜松坂屋
映画館も多く、昼間は女性や子供たちの買い物や集いの場。
夜は、「伊勢佐木町ブルース」なんて古い歌にも歌われる、ナイトクラブやカフェにと
「昼と夜の顔を持つ街」なんて言われていたそうですよ。
私も、前にも書きましたが、祖母がこの野沢屋の株主で
しょっちゅうお買い物に行くのに付いて行き
祖母が呉服を選んでいる時に、屋上で1人で遊んでいた。
子どもがひとりで遊んでいても、安全な百貨店だったのですね。
今じゃ考えられません!
伊勢佐木町の町は、いつも、水兵さんの格好をした学生さんや
おしゃれな格好をしたお姉さん、
連れられている子どもだって、おめかしして歩いていたな…
また、横浜で、この伊勢佐木町でもう100年以上も続いている
老舗の本と文具の「有隣堂」本店がありまして、
やはり私が小学校低学年位の頃だったか、母に連れられて、
有隣堂の地下の食堂(今はありませんが)でお昼を食べるのですが、
私 はハンバーグまたは卵のサンドイッチ。
母mama は、決まって、
「オイルサーディンとツナのサンドイッチ」だったのを覚えています。
オイルサーディンやツナというものを知ったのはこの頃で
ちょっと食べさせてもらいましたが
小学生の口に、オイルサーディンは、ほろ苦くて、
「あまり美味しくないな」って、そんな記憶もあります。
いや~
かつての伊勢佐木町、懐かしいです。
「伊勢ブラ」(銀座をブラブラする「銀ブラ」をもじったものと思われます)
なんて、もう死語ですね。
おっと、回顧録ですね。
さて、今日のところはおしまいにします。
でも、あの頃のような、
オシャレで小粋な伊勢佐木町、もう復活しないのでしょうか…
百貨店・デパートは、
もう、ここには出来ないのかな…
横浜松坂屋… 野沢屋はもう跡形もなくなってしまいました。
2011年も元気がメガ盛りです!!! ボタンをポチッと 押してください いつも、本当にありがとうございます応援よろしくお願いします ありがとうございます! 一福百果清光堂のまるごとみかん大福は 昨年10月28日から11月3日まで、池袋東武百貨店で行われた 楽天市場うまいもの大会・人気ランキング第3位!
2月9日の「肉の日」に
本当に焼肉屋さんに行きました。
焼肉って、私は個人的にあまり縁がなくて
どちらかと言えば、子どもの頃から「お魚派」
(今は、「お肴」も大変好きです… ふふふ)
しかしながら今回は、景気づけに!?
という事で
先日知り合った、U原さんに誘われ、その紹介者のS根さんとシャチョーさんと4人で
「焼肉食べよう!」という事に決定。
U原さんは、私よりもメガ級の方向音痴という事で、
わかりやすい伊勢佐木町にある「風風亭」を選択いたしました。
ネットで調べて、評判が良かったので…
確かに評判良いと思います。
メニューも豊富で、食べ放題でも3,000円しない。
デザートも食べ放題。
七輪での炭焼きなのですが、すぐ上に換気扇がついていて
嫌なにおいが洋服や髪の毛につきにくいようになっています。
デザートも充実
S根さんのお話が面白くて、
2時間の食べ放題時間がアッと言う間に過ぎてしまいました。
しかしながら、この伊勢佐木町
横浜を代表する大アーケード商店街だった頃の面影は
残念ながら、ほとんどありません。
S根さんも横浜に来てから結構長いので、久しぶりに来た伊勢佐木町に
「なんだか、随分、町が変わったわね… ちょっと、物騒だわ…」
その通り、なんだか、違う国にいるような錯覚と
夜になると、段ボールを持ってきて場所取りしているような人達が
たむろしている町になってしまったようで
夜はあまり1人では通りたくないのが事実。
かつては、土足で入れる呉服店として画期的な店舗として
大正時代に開店した「野澤屋(のざわや・野沢屋)」
(後に、野沢松坂屋となり横浜松坂屋となりました。
「ゆず」の路上ライブで有名になりました。)
を始め、壽屋(すでに閉店)に松屋横浜支店
(後に、野沢屋に吸収され野沢松坂屋になって、
現在はエクセル横浜と言って、
JRAの会員制場外馬券売り場になっています)
などの、一味違う港横浜を彩る、大商店街だった伊勢佐木町。
だって1丁目から7丁目まで有るのですよ、商店街が!
まだ在りし日の横浜松坂屋
映画館も多く、昼間は女性や子供たちの買い物や集いの場。
夜は、「伊勢佐木町ブルース」なんて古い歌にも歌われる、ナイトクラブやカフェにと
「昼と夜の顔を持つ街」なんて言われていたそうですよ。
私も、前にも書きましたが、祖母がこの野沢屋の株主で
しょっちゅうお買い物に行くのに付いて行き
祖母が呉服を選んでいる時に、屋上で1人で遊んでいた。
子どもがひとりで遊んでいても、安全な百貨店だったのですね。
今じゃ考えられません!
伊勢佐木町の町は、いつも、水兵さんの格好をした学生さんや
おしゃれな格好をしたお姉さん、
連れられている子どもだって、おめかしして歩いていたな…
また、横浜で、この伊勢佐木町でもう100年以上も続いている
老舗の本と文具の「有隣堂」本店がありまして、
やはり私が小学校低学年位の頃だったか、母に連れられて、
有隣堂の地下の食堂(今はありませんが)でお昼を食べるのですが、
私 はハンバーグまたは卵のサンドイッチ。
母mama は、決まって、
「オイルサーディンとツナのサンドイッチ」だったのを覚えています。
オイルサーディンやツナというものを知ったのはこの頃で
ちょっと食べさせてもらいましたが
小学生の口に、オイルサーディンは、ほろ苦くて、
「あまり美味しくないな」って、そんな記憶もあります。
いや~
かつての伊勢佐木町、懐かしいです。
「伊勢ブラ」(銀座をブラブラする「銀ブラ」をもじったものと思われます)
なんて、もう死語ですね。
おっと、回顧録ですね。
さて、今日のところはおしまいにします。
でも、あの頃のような、
オシャレで小粋な伊勢佐木町、もう復活しないのでしょうか…
百貨店・デパートは、
もう、ここには出来ないのかな…
横浜松坂屋… 野沢屋はもう跡形もなくなってしまいました。
2011年も元気がメガ盛りです!!! ボタンをポチッと 押してください いつも、本当にありがとうございます応援よろしくお願いします ありがとうございます! 一福百果清光堂のまるごとみかん大福は 昨年10月28日から11月3日まで、池袋東武百貨店で行われた 楽天市場うまいもの大会・人気ランキング第3位!