アラ還のズボラ菜園日記  

何と無く自分を偉い人様に 思いていたが 子供なりかかな?

上州 八木節はいつ、何所から? 最終回

2013年08月15日 | 大正から昭和へ

 


 昔は「やんれい節」などと呼ばれた、口説きの刷り物などをときどき見ることがある。

それは簡単な四・五枚綴りの小さいもので、はなはだ粗末なもののために、

今日の人はほとんど注意しないが、上州にはこのような刷り物が

たくさん伝えられており、それがたちまち新作物として、

盆踊りなどに唄いつがれたわけで、忠次物は別として、大体は心中物などの、

哀れな物語りをつづった物が多い。刷り物は江戸で作られるものが多いが、

そのため上州方面の物語りは、本当とウソの混じりで、忠次くどきにしても、

史実に合うところは少しもなく、江戸の机の上のいいかげんな作り話であるが、

面白いことには間違いない。

本来口説きは我が身の哀れをなげいたのがはじまりで、

いま調子のよい八木節盛行のとき、

まだ木崎節や赤わん節という口説きは、今日もうたい継がれていて、

拍子抜けのした唄い方はまだ無くなっていない。古くからうたい継がれたものを、

大事にしようという立派な人が、まだひそかに郷土芸能伝承として行なっているが、

この古い口説きは、さらに後世に伝えたいものである。

口説きから八木節へ、それは昔から三百五十年の歴史があるからである。

 

 

追記

今回、盆踊りの季節でもあり、あえて八木節発祥の地について、記載させて頂いた。

約半年間、のべ30人ほどの方々に直接会い、一つ一つ検証して

数冊の八木節に関する著書も参考に纏めてみたが、今回の記載内容が、

墓石、関係者方々の話を総合してみて私の今回の記載は真実に近い

八木節の発祥の地を、実証できたと思います。

また、初代堀込源太のその後については、諸説があり史実に合う、

検証が出来ませんので、今回で最終といたします。

今まで、八木節の発祥について諸説があり民謡、郷土史研究家の

諸先生が異なる見解を述べておられますが、私のこの記載内容で、

その終止符が打たれれる事を、切に望みます。

そして、現在も日夜、八木節に打ち込まれて精進されている方々の

増々のご発展を心より望むものであります。

今回の、この記載内容についてコメントが御座いましたら遠慮なく

コメントを頂ければ幸いです。

                        完結