昔は「やんれい節」などと呼ばれた、口説きの刷り物などをときどき見ることがある。
それは簡単な四・五枚綴りの小さいもので、はなはだ粗末なもののために、
今日の人はほとんど注意しないが、上州にはこのような刷り物が
たくさん伝えられており、それがたちまち新作物として、
盆踊りなどに唄いつがれたわけで、忠次物は別として、大体は心中物などの、
哀れな物語りをつづった物が多い。刷り物は江戸で作られるものが多いが、
そのため上州方面の物語りは、本当とウソの混じりで、忠次くどきにしても、
史実に合うところは少しもなく、江戸の机の上のいいかげんな作り話であるが、
面白いことには間違いない。
本来口説きは我が身の哀れをなげいたのがはじまりで、
いま調子のよい八木節盛行のとき、
まだ木崎節や赤わん節という口説きは、今日もうたい継がれていて、
拍子抜けのした唄い方はまだ無くなっていない。古くからうたい継がれたものを、
大事にしようという立派な人が、まだひそかに郷土芸能伝承として行なっているが、
この古い口説きは、さらに後世に伝えたいものである。
口説きから八木節へ、それは昔から三百五十年の歴史があるからである。
追記
今回、盆踊りの季節でもあり、あえて八木節発祥の地について、記載させて頂いた。
約半年間、のべ30人ほどの方々に直接会い、一つ一つ検証して
数冊の八木節に関する著書も参考に纏めてみたが、今回の記載内容が、
墓石、関係者方々の話を総合してみて私の今回の記載は真実に近い
八木節の発祥の地を、実証できたと思います。
また、初代堀込源太のその後については、諸説があり史実に合う、
検証が出来ませんので、今回で最終といたします。
今まで、八木節の発祥について諸説があり民謡、郷土史研究家の
諸先生が異なる見解を述べておられますが、私のこの記載内容で、
その終止符が打たれれる事を、切に望みます。
そして、現在も日夜、八木節に打ち込まれて精進されている方々の
増々のご発展を心より望むものであります。
今回の、この記載内容についてコメントが御座いましたら遠慮なく
コメントを頂ければ幸いです。
完結