Blog of 俺 by 俺 for 俺

自分の自分による自分のためのブログ。
だったけど、もはや自分の備忘録としての映画やドラマの感想しかないです。

何もないところで泣いてしまう『プーと大人になった僕』

2018年09月14日 23時35分46秒 | 映画


ああ。。。
もはやこの映画には追いつけない、何人たりとも。。。

大人になったクリストファー・ロビンが、
家庭を顧みず仕事に追われているときに、
小さい頃の親友プーと再会する話。

もうね、開始5分で泣いてた。
そのあとも事あるごとに涙めっちゃ出て。
自分でも何でかまったくわからない。
悲しいシーンがあるわけでもないし、
話自体はすごくオーソドックスでありがちで、
泣くポイントがあったわけではないのに、
所々で涙が出てしまった。
こんな何でもないのに泣いてしまう映画なんて、
今まで初めてだったし、そうそうないと思う。
そういう意味で、この感じに追いつける映画は個人的にはないかな、と。

でも見終わった後に考えてみて思ったのは、
きっとクリストファー・ロビンが
大人になって忘れていた小さい頃の純粋な想いとか、
それが消えてしまったことで、
プーたちに寂しい思いをさせてるんじゃないかとか、
勝手に自分の頭の中で解釈して、
それに哀愁なり悲哀なりを感じて
涙が出てしまったのかもしれない。

プー自体が特別お気に入りのキャラクターとかではないけど、
俺も小さい頃、近所のレンタルビデオ屋で
『くまのプーさん』のビデオを借りて何回も見ていたし、
その頃の自分とクリストファー・ロビンはほぼ同い年だったから、
なんか重なるところがあったのかなあ、なんて。

話自体は本当に普通なんだけど、
そこに「みんなの小さい頃の友達」であるプーがいて、
「今、大人になってしまった自分」であるクリストファー・ロビンと触れ合うことで、
かつての何色にも染まっていない自分を呼び覚ましているのかも。

でも、日本にもいるよね、そのポジションのキャラクター。

ドラえもん。

あれは時空超えちゃうから実感しづらいけど、
プーとクリストファー・ロビンは、
ドラえもんとかつてのび太だった自分に置き換えられるかもしれない。

そして、プーはちょいちょい哲学的なことや本質的なことを言うから、
コジコジにも見える(笑)
「“何もしない”が最高の何かにつながる」
いいセリフでした。

プーはビール腹だとか、
下半身露出してるとか、
手を握るとハチミツが染み出してベトベトになるとか、
いろいろひどいことを思ってきたけど、
やっぱりいいやつだな。

でもそんなプーを通じて
自らを変えられるクリストファー・ロビンもすごい。
普通は、あれぐらいの歳になると、
なかなか自分変えられないからね。。。
自分然り(笑)

あと、映画の尺も変にダラダラしないでちょうどいいし、
映像のクオリティがとにかくすごすぎて、
相変わらずディズニーの実写化は本当に素敵だと思った。

子供たちの想いやセリフに涙した『グッド・ドクター』

2018年09月14日 00時24分53秒 | ドラマ
公式サイト

けんとおおおお。。。
10話中7話ぐらいは泣いてた気がする(笑)

自閉症の小児外科医である山崎賢人が主人公のドラマだったけど、
いっつも映画とかでキラキラ高校生青春純愛炸裂ファイヤーな役だったから、
こういう役は新鮮だった。
『ATARU』の中居正広感あったけど(笑)

当初はまわりから理解されないポジションだったけど、
自閉症の役ではよくある突出した能力と、
患者のことを第一に考える純粋な人柄から、
だんだんまわりからも認められ、
最初は手術室にすら入れなかったのに、
最後はしっかりオペまでしている変化がよかった。

でもこのドラマで一番泣けるのは
子供たちの置かれた状況や彼らのセリフかな。
医療モノでも大人同士のやり取りはよくあるし、
『コウノドリ』みたいに出産メインになると、
男だとなかなか共感はしづらい部分もあるけど、
患者である子供たちの心に秘めた想いとか聞くと、
「おおおお、そんなこと想ってたのか!」って感じで、
クソみたいな大人なんかよりもよっぽど人間としてちゃんとしてて、
涙がポロポロ出てきたわ。

『コウノドリ』で残念ながら死産してしまった役の篠原ゆき子は、
今回無事に産めてよかったなと思った。

そして、このドラマで一番笑えたのは、
第9話で上野樹里にアイスを頬に当てられたときの山崎賢人。
「ひぇやあ!」と奇声発しててマジでお茶吹いたわ(笑)

最近は韓国ドラマのリメイクをチラホラ見るようになったな。

醜い顔と傷を負った美人は違うと思った『累-かさね-』

2018年09月14日 00時22分40秒 | 映画


顔を入れ替える『フェイス/オフ』と
時間的制約のある『シンデレラ』の要素を合わせた映画。

普段純朴な役が多い土屋太鳳と芳根京子が闇まっしぐらな役だったのは新鮮。

顔を交換して人生変わったら、
そのまま借りパクしたくなるよなあと思いつつ、
やられた方は人生のっとられてたまったもんじゃないよなあ
という共感はあった。

ただ、芳根京子がそこまで演劇にのめり込む動機となる部分がよくわからなかったから、
「そこまでする?」という疑念はあった。

あと一番強く思ったのは、
「醜い顔」と「傷のついた美しい顔」は全然違うということ。
美しい顔は傷がついても美しいと思いまーす。
だから醜い醜い言われても、「ゆーても綺麗だからね」とずっと思ってた。
それに今ならもっと傷を目立たなくする技術があるのではと思ってしまった(笑)