ドアの前に立ったとき、
俺の耳にいつもとは違う笑子の異様な声がきこえてきていた。
獣の咆哮にもにているが、ひどく、鼻にかかった声。
まるで、春の猫のさかり声だ。
この時点で俺は江崎が笑子に何をしているか、見当がついていた。
ただ、それがどこまでのものか・・・。
江崎の行為はセックスボランテイァの域をだっしいているものか。
逆を言えば、笑子の肉体がどこまで、性を希求しているものなのか。
野卑な俗語で言えば
ABC。
単なる、性器への接触というBクラス。
自らの肉体でお互いの性器を結合させるCクラス。
俺はドアの外で笑子の声を聞きながら
江崎が笑子に与えているだろう、接触の深度を考えた。
既にこの考えが俺の心の色を露呈させていたといっていいだろう。
江崎が笑子にあたえているだろう、接触の深度。
こんなことが、なんの問題になるという?
問題にすべきことは
江崎の行為が笑子の希求によるものだったかだろう?
江崎が笑子の希求を引きずり出していたとするなら、
これは、暴行であり、レイプになってくる。
仮に江崎が笑子に希求があった故だといったとしても、
それを立証することは、困難だ。
うえに、笑子はまだ、16だ。
どう考えても、これは、犯罪になる。
笑子への行為がどこまでのものであろうと、
江崎のやっていることは
青少年保護法のもと、犯罪になる。
本来なら俺はそこにこだわるべきだろう。
だが、
俺は江崎がどこまでの深度をあたえているか、
つまり、
笑子がどこまでの深度をうけいれているのか。
そのことばかりがきになった。
cランクの接触を受け入れている、あるいは望んだ笑子の身体であるならば・・・。
そんな心の色。
いいかえれば、
俺も笑子の希求に答えてやりたがっている「男」がいるということになる。
Bランクの接触にも、二通りあるだろう。
一つは性器外部への接触。
神が与えた鋭角の罠。
ここまでくらいの接触と
性器内部への接触。
これは、甘美な罠に捕られた獲物を始末し始める手順ととられる。
「B」と「B’」
この接触の違い。
ここにも、笑子の希求の有無が、かかわる。
外部性器への接触への希求は、たとえば、
小用の後の笑子への清拭などが、要因になって、
笑子の中に生じてきたとも考えられる。
性器外部への接触要求は偶然の積み重ねで笑子の中に生じる可能性はある。
だが、性器内部への接触要求まで、
笑子がのぞむだろうか?
仮に望んだとして、江崎が何を基準に「性器内部への接触要求」があると判断するだろうか?
そして、
今、ドアの中で江崎が「B’」以上の行為を与えているとしたら
江崎が笑子に『希求の有り』と、判断したゆえの結果といえるだろうか?
笑子側から、考えたときに江崎の行為はどこかに正当化を見出すことが出来るかもしれない。
だが、
「B」と「B’」
江崎の意志がどこまでのものか?
単なる性器外部への接触であれば、
笑子の希求にこたえたと言い訳が出来るだろう。
ところが、性器内部への接触は
笑子の希求のものとは、考えがたい。
江崎の個人的嗜好を満足させるためのものでしかない。
そして、
もう一度「B」を「、B」の地点から振り返ってみると
江崎は「、B」「C」ランクの接触を得るために
笑子に「B」ランクの接触による快感を教えたという目的意識の有無によって
笑子への行為がどんな深度であっても、
やはり、これは猥褻行為に分類される。
笑子の希求に答えたといういいわけがいいわけとして成り立つまでの深度であることを
祈る俺と
既に江崎の行為によりCランクの肉体的接触を求めてしまう笑子になっているだろうことを
期待していると自覚の無い俺が
ドア一つをあけることを葛藤する時間は短すぎた。
俺が江崎に対してどうあるべきか。
笑子への行為がどういうものであろうと、俺の中でどう、結論すべきか、
俺自身が定まりきってない状態で
ドアを開けたのは、失敗だった。
そして、ドアの中の痴態が俺の感情も考えも何もかもふっとばした。
俺の股間で、ふくらみ出したものだけが、
俺の潜在意識が何であったかだけを教えていた。
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