憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

―沼の神 ― 23 白蛇抄第11話

2022-09-02 11:10:59 | ―沼の神 ―  白蛇抄第11話

夜半遅く目覚むれば、なんとしたことか、
足袋もそのままに畳に寝入っている。
上掛けはどうやら怒りん坊の妹が
しょうことなしにかけていんだようである。
正眼もさすがに年頃になった娘の寝相を案じ夜中にのぞく愚挙もしない、
澄明も上掛けを引っ張り出した覚えがないのだから
妹のはからいでしかない。
『随分、また、怒っておったのでしょうな』
朝から膳も片付けずに出かけた上、
晩も食し終えると早々にへやにひきこもった。
正眼の茶碗を洗うは娘の役としても、姉の物までしらぬ。
かのとはあなたの端女でない。
たんび怒りながら、たんび洗うてくれる妹に甘えてばかりいる。
こんな形でもかまわれていたいのが本音かもしれない。
こんなもの寂しい思いを考えるにつけ、
何かが大きく欠損していると思う。
その欠損を言い表す言葉がなんであるかは
自分でも判らないがどこから生じるかは判る。
かのとにあって、己にないものといえば、ただひとつ。
母と呼べる存在である。
ふせりこみ勝ちな母であった。
澄明が自ら、母に甘えるを制したのは父正眼の姿にも因があった。
呼世を気遣う父をみるたび、
母に向かうはこうあらねばならぬとおもわされた。
是が男と女の裏側が判らぬ子供の視野でしかない。
正眼は正眼で呼世の病をきずかいながらも、
男である自分をぶつけずにおけないでいる。
男のわがままを呼世にこそ充たされたい。
見方を変えれば恐ろしく勝手な子供であるが、
呼世は病を押して正眼をうけとめた。
その呼世の心がいっそうにいとおしい。
いとしい呼世をもとめずにおけない。
なにも正眼とて、只、只与えつくすだけの聖人君子でない。
裏側でのこどもぶりがあり、これを許しいつくしむ呼世がおればこそ、正眼の均衡もたもたれていた。
正眼がそうであるのに、澄明は呼世に甘える自分をゆるさなかった。
母にあまえる子供である自分をゆるそうとしなかった。
是が欠損である。
母と云う者が、
女と云う性別を具有する者の多くがなにもかもを許し容してゆく。
考えで割り切れないよしなし事さえ女は許容してゆくのである。
澄明が呼世に甘える事さえできれば、
理屈でなく肌身で女親の情の広さをまなべたことであろう。
何もかもを情で受け止め情で赦しつつんでゆく。
一言ではいえない欠損である。
この欠損は、澄明をして知らずのうちにもがかせる。
赦す心の薄い自分に湧いてくる理屈は人を攻める。
口角鋭く人の心を刺したときほど己の狭さが醜い。
自分をのろうほどに己の穴をうとむ。
うとめば、こんな自分でも誰かに思われたいと飢えが心をきしませる。
変則すぎる甘え方かもしれないが
澄明の飢えにさいなまれた心が叫び声を上げ
体裁を付けられる甘えで僅かな解消をさせていたのかもしれない。
体裁の付けられる甘えとはすなわち
『私は陰陽事に忙しいのでくどの事をしてください』
であるが、体裁は己の心を隠し
『くどの事で私の世話をして構って下さい』
と、は、口がさけてもいいはしない。
だが、この甘えで己を倫律されていたうちはいい。
どうしようもない飢えがつきつけられはじめる。
求める事を律っし切れない恋情がしめつけてくる。
かのとの良人になるひとだ。
白峰の陵辱にさらされる我が身である。
いくら、考えで制しても、心は政勝を求める。
いくばくかの後ろめたさを隠しながら澄明は、楠を見送った後、
沼の神の元へ出向いた。



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