ところがである。
大木である。おまけに鋸の目が立ちきらぬほど堅い。
一日かかりで楠の胴の三分目もひききっただろうか。
是は三日はかかる、続きは明日にすればよい
と、棟梁を筆頭にして今日の労をねぎらうと、
その次の日の朝に騒ぎが起きた。
三分目ほど切ったはずの楠の切り口はものの見事に
もとの鋸傷ひとつもない楠木に立ち返っている。
「和尚?でえじょうぶなんですかい?」
尻込みする棟梁を宥め、久世観音の夢枕の話を聞かせた。
このような怪異を起こすくらいで有らばこそ、
この楠を切れといわれたに違いなく
是を切れと云うに態々夢枕に立つというのだから吾らに加護はある。
と、たたりなぞは無いと説伏せたはいいが、
この三日三文目まで引き切ると
次の日にはやはり傷ひとつない楠に立ち返っている。
「さすがに是ではいつまでたっても切り倒せるわけがない」
困ったと思ったものの、
さなれば、久世観音に伐る法を聞くが早いと
夕べの祭壇にお頼み申しますと頭を下げてゆるりとねどこについた。
だが、和尚の当てが外れたか久世観音は夢に現われなかった。
(是は困った)
何故法を授けられぬか。どう悟ればよい。
およそ人知で解ける事を都度に神を当て込むなとのお叱りか?
なんぞ法があるか?
考え詰めている和尚の前に祭壇の清拭番の小僧が礼深く頭を下げ
「こんな紙がおいてありましたが如何しましょう?」
と、和紙を差し出す。
なんぞと手に取れば白い紙に墨書。
(澄明・・・とな?)
澄明といえば都の四方神を祭る四人の陰陽師の内、
白河正眼の嫡男である。
十五の歳で長浜城主主膳にお目見えがかなった
と、聞いたのはつい最近の事と思う。
一言でお目見えが叶うというが、
お目見えが叶うと言う事は事実上
白河の陰陽師としての法力の主権は澄明にあるという表明である。
(十五の歳で親父殿の法力を越したかや)
人知をあたるなら確かに陰陽師は正解だろう。
四十を越す正眼の今までの修練をあっさり飛び越す澄明の法力なら
確かに楠の怪を解き明かし法を敷けるだろう。
やっと、和尚は久世観音からのお伝えだと気が付いた。
「尚更に不甲斐無いなきことでございました」
久世観音からのおおせを何としてでも叶えるために
奔走しつくす事もせず、
ほいほいとおおせの元の久世観音に頼る己であるが
その非力を責めもせず、
澄明に頼ればよいとお伝え下さると成ると
己の赤子の如き知恵の無きさまは
まこと不甲斐無きというしかない。
「いえ。そのような怪異をみせられれば・・だれだって」
澄明が慰めとも付かぬ言い訳を
和尚にとり代わって言いたくなるのも
先の沼の生き物のことがあるせいだ。
「それで、和尚はどうすれば楠を引き倒せるかを
私に尋ねにきたということですね?」
「急ぎ、白河を訪ぬれば澄明さまは見回りに出たとのこと、
廻って、こちらにやってきました」
「ああ・・もうしわけなかったですね」
「いえ、とんでもない」
それよりも、なんとかお知恵を拝借できますでしょうか?
と、不安が和尚の顔に登ってきているのを見取ると澄明も
「それでは、楠に聞きにいきましょう」
と、応諾をみせるしかない。
「楠に、じかに、ですか?」
秘力のない和尚らしく不思議な顔をみせた。
「それしか方法がないでしょう?」
答えて見せたが法なぞとっくに判っている澄明なのである。
それよりも何故それ程の怪異を見せて楠が切られることを拒むのか?
何故ここまで拒む楠を久世観音が切らせようとするのか。
そして、この怪異の解決に
何故久世観音が澄明を名指ししてきたか。
全ての答えを楠が知っている気がした。
澄明はこの不可思議を少しばかり解いてみたいと思ったにすぎなかった。
最新の画像[もっと見る]
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます