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憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

お登勢・・10

2022-12-18 12:42:24 | お登勢

そのお登勢はといえば、番頭に告げた晋太の名前にかえされたとおりを胸にくりかえしていた。
「晋太は屋移りで店には昼からくるだろう。
この店の裏の橋をわたって、五町もあるけば、甚部衛長屋がある。
その右手の三件目だよ」
「あんちゃんは?」
「ああ。もう二十もすぎるからなあ・・」
いつまでも店子として、住まわせておくわけにも行かない。
もうひとつはこの店の跡継ぎの徳冶の年齢もある。
そろそろ、嫁をもらっても、おかしくない。いや、むしろ、遅いくらいかもしれない。
徳冶夫婦の部屋もいるだろう。
若い衆を通いにきりかえるだけで、部屋があく。
一本になった若い衆から、順に通いにさせて、徳冶の嫁取りにそなえようというところだろう。
と、いうことは、徳冶の嫁取りもちかいのかもしれない・・・。
だが、これも番頭の推量でしかない。
詳しいわけが推量でしかないから、番頭も口を告ぐんで、お登勢のあんちゃんの晋太が今日はここに居ないことだけをはなした。
「ありがとうございます。いってみます」
お登勢が頭を下げるのをみつめながら、
いわれれば、晋太とお登勢ちゃんはどこか似ていると思いなおしていた。
やはり在郷という広範囲で見ればよそ者のお登勢といえど近在の血が混じった姉川の同郷人の顔つきが何とはなしに似ているのはあたりまえのことであろうが、
少なくとも番頭の目には「いわれれば、なるほど、にておる」と、うなづけるものがあった。


あんちゃんはもう、一本立ちになるんだ。
それはあんちゃんが、
もう、いつ所帯を持っても良いという事になるのかもしれない。
いつのまにか、
そんな年齢になっているんだと、
お登勢はふと、ためいきをついた。
男と女。
こんな性を考えてしまうのも、
昨日の事件のせいである。
あんちゃんが一人前の男になるように、
お登勢も
自分が望もうが望むまいが
女である現実を容赦なく叩きつけられた。
自分の性を意識させられることであるならば、
できるなら、
例えば、
きちんと嫁取りの話でも、舞い込むことで
女である自分を見せ付けられたかった。
「ふぅぅ」
小さなため息が出てくるのを
そっと、かみ殺して染物屋の裏の橋を渡りかけると、
「おや?お登勢ちゃん。お使いかい?」
川の中の足場で、染物を洗っていた
徳冶がお登勢に気がついた。
お登勢は橋の上に立ち止まると
「はい。ちょっと、そこまで・・・」
と、徳冶に返した。
お登勢が言葉を返してきたことに
徳治はよほど、おどろいたのだろう。
「え?」
手に持っていた洗い布を
危うく川の流れに浚えられそうになるのを
手繰り寄せると
「お登勢ちゃん?ちょ、ちょ、ちょっと、そこでまっていておくれ」
慌てて足場から川岸に降り立つと
側にいた丁稚に洗い布を押し付け、
お登勢の側に駆け寄ってくるようだった。
そして、
草いきれに蒸す土手を上がり
徳冶はお登勢の傍らに立った。
「お登勢ちゃん・・・?しゃべれるようになんなすったのかい?」
お登勢は、ちょっと不思議な目つきを
していたに違いない。
確かにお登勢が喋れるようになったことは
徳冶を驚かせたかもしれない。
が、店を回って出てくれば良いものを
葛が絡まる土手をわざわざ上がってきてまで、喋るお登勢を確かめることもなかろう?
「あ、いや?聞き違いだったのかな?」
押し黙って、不思議な目で徳治を見ている
お登勢であれば、徳治も空耳だったかと思う。
そろそろ、嫁を貰わないかと、父母が煩くなってきていた。
かねてから、想いを寄せていたお登勢のことを
嫁にもらってもらえまいかと、何度口に出そうかとおもったことだろうか。
だが、
口のきけないお登勢であることを考えると
父母の反対はもとより、
住み慣れた場所から、
染物屋の若女将への変化にお登勢自身が
云といわない気がした。
だが、さっき、お登勢が喋ったきがする。
そうなれば、
徳冶の心配はなくなったといっていい。
お登勢が喋ることができるなら・・・。
徳冶の夢想が空耳をきかせたかと、
かんがえなおすしかないと
思い始める頃に
お登勢が
「ああ、徳冶さん。手をきりなすってる・・」
土手の茅にふれたのだろう、
徳冶の手に細い線が赤い筋を作っていた。
「あ、いや・・そんなことはどうでもいい・・・お登勢ちゃん・・・
喋れるようになんなすったんだねえ」
手の甲をぺろりとなめあげると、
徳冶は確かめた事実が真実であることに
胸が張り裂けるほどの大きな動悸を感じていた。
だが、
お登勢の用事を邪魔しているときがつくと、
徳治はすんなりと引き下がった。
「お登勢ちゃん。ひきとめてすまなかったね」
「いえ、こちらこそ、徳冶さんの仕事をとめさせてしまいました」
お登勢がぺこりと頭を下げ、歩き出すのを見届けると
徳冶は今度は土手を下らずに店に入っていった。
店先の暖簾を推して入ってきた客の気配に
番頭は
客が暖簾をくぐるより先に声をかけようとするが、
「いらっしゃ・・」
その声が止まった。
暖簾をくぐった客が若頭・徳冶だったからである。
「おやあ?」
おかしなことである。
若は裏の洗い場にいたはずである。
自分はさっきからここにいるのだから、
裏の洗い場から店先を通った若をみていはしない。
「なんです?土手をあがってきなすったんですか?」
からかったつもりだったが、
徳治はむすりとした顔で
「そうだ」
と、答えた。
「なんで・・・ま・・た?」
訳を問いかけた番頭が気がついた。
さっきお登勢が店を出て行ったばかりである。
さては、お登勢ちゃんが喋れるのにきがつきなすったか?
橋を渡るお登勢に声をかけてみれば、
喋り返すお登勢に
土手を上がってたしかめてみたのではないだろうか?
番頭はそろりと、自分の推量をたしかめることにした。
「ああ、そういえば、お登勢ちゃんがしゃべれるようになんなすってましたよ」
徳冶はいっそう、むっつりとした顔になる。
間違いなくお登勢は喋れるようになっている。
この喜びが
徳冶の顔をいかにかえさせてしまうことだろう。
徳治は必死で苦虫をかみつぶすふりをしようと懸命だったのである。
「そのようだな」
なんだか、そっけない返事に番頭は
さらに、気がついた。
若は間違いなく土手を上がってお登勢の側に行ってお登勢が喋るのをきいている。
そこまでして、
お登勢の側に早く行こうとしたという事はすなわちどういうことであるか?
馬鹿でも判る。
そして、子供の頃からのこの癖。
胸の中に隠し事が有るたび、
妙につっけんどんになる。
こんなときには図星を突いてはいけない。
番頭はきがつかないふりで、
お登勢からのもう一つの意外な知らせを
噂話のように、徳冶に話し始めた。
「お登勢ちゃんのお兄さんってのが、うちの晋太だったんですよ。
びっくりしましたよ。
で、お登勢ちゃんは晋太のところに
喋れるようになったことをしらせにいくってことでしたよ」



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