憂生’s/白蛇

あれやこれやと・・・

祈る

2022-09-06 07:12:14 | 憂生日記 その1

読みなおしていた。

*****

そも因縁を通るとは、親もしくは前世からの引継ぎである。

ただ事を通るだけで、おわらせとうなかりましょう?

かなえさまの思いを、光来童子の思いを二人の身で

実際に味わうことこそが事が通り越す事であり、

因縁納消につながるのです。

それが、光来とかなえにとっての本当のせいじゅでもある。

「かなえの思いをあじわえというのだな?」

「で、なければ同じ事を繰り返すだけです」

因縁通りの形を通ることが違う結末を迎える事に

つながるとは信じ難い事であろう。

「離れ離れになり、

十年先に死であがなうしかない恋でよろしゅうございますか?」

べつに死ぬのはかまわぬが、

かなえが十年先にでも光来とそいとげたかどうかわからない。

これが、今生の別れになり、

悪童丸と再びあうこともかなわぬとなるが、つらい。

「さきゆき、共に暮らせる因縁に変転させるには、通るしかないのです。そして、とおりこすしかないのです。

通り越すと言う事は因縁をしいたそもそもの思いを

自分が通りつくして己の中ですんだことにするしかないのです」

「すんだこと?」

「あたらしい生き様をもとめるには、

この因縁をすんだ事にするしかありません。

そのためには、とおりこすしかないのです」

「・・・・」

「とおりこすとは、同じ因縁の巻き返しから、

因縁の発祥である思いを全て、受け止め攫えてしまうことです」

「そ、それで・・もし、かなえのように

主膳の元に残る思いに差配されたらどうする?」

「とおりこせなかったということでしょう」

***********

物語の為だけに拵えた因縁論ではない。

ある知人は母親から

虐待をうけて育っていた。

気が付いた祖母や父親が、

最終的に母親と縁を切り、離婚となった。

知人は、つぶやく。

「自分も同じことをくりかえすんじゃないか」

そういう因縁か、はたまたDNAか、

それを恐れていた。

その時にこちらが、思ったことに、物語の話は近い。

「通り越すと言う事は因縁をしいたそもそもの思いを

自分が通りつくして己の中ですんだことにするしかないのです」

極端に言えば

ー自分も、虐待を繰り返して、母の思いを理解し、

あるいは、自分も同じだったと、マイナス的であるが、

母親を赦す。あるいは、肯定する・受け止める。ー

そして、

「とおりこすとは、同じ因縁の巻き返しから、

因縁の発祥である思いを全て、受け止め攫えてしまうことです」

「因縁通りの形を通ることが違う結末を迎える事に

つながるとは信じ難い事であろう。」

 

ところが、往々にして、

「因縁通りの形を通ることが違う結末を迎える事につながる」

に、ならない。

己のしたことに自分が打ちのめされて

なおさら、母親(この場合)を赦すことも

認めることも、肯定することも出来なくなり

自分のこの姿は、親のせいだ・・・と、

逆の感情になる。

母親を憎むか

自分を否定する。

どうにかならないかと、考えた。

そんな危険な通り越しでなく

母親の思いをなぞらえてやる事は出来ないか?

なってみて、こうかと知るのでなく

同病相憐れむが如くの思い方で、

他を責められることのできない自分と打ちのめされることなく

自己崩壊を起こさず、

赦す・認める・肯定してやれぬか。

実際、知人はすでに、自己崩壊になっていたと思う。

ー人に会えなくて、怖くて、ずっと引きこもっていた

最近、やっと、人と顔を合わさずにすむ仕事に就いたー

そんな調子だったので、結婚もしていなかった。

傷に触れる事だと思いながら

ーおふくろさんの事、赦してやれたのか?ーと、尋ねた。

同じ通り越しをしても、赦すまでいくのも

ようようではないと思う。

それを、なにもなしに、赦す。

極端に言えば、

本当は自分こそが、虐待する人間だったところを

母親が虐待する(という、見本?)ことをみせることで

ー自分はしちゃいけないー

ー母がそれを身をもって教えてくれたのだ

教えてくれたことを感謝し、繰り返さないことが

母の恩にこたえることだー

と、いうように、見方を変えることで、

赦す・認める・肯定してやれぬか

そうすれば、

自分のDNA(因縁)も書き換えれるんじゃないか?

繰り返さずに済むんじゃないか?

 

そんなことを話せないかと

糸口をつかもうとしたが

「母親を赦す・・ってこと、

他の人からも言われるんだ。

もう、判ってる。もう、あの人の事は良いんだ」

他の人からも言われる。

引きこもり、鬱だったという知人が

他の人と、自分の底の事を話せるようになった、と、いうことだろう。

そこを、切り込むことは出来なかった。

あえて、自分が底の部分をしゃべる事で

それ以上、ふれさせないという

防御を敷いていると判ったから。

 

そして、もうひとつ、思った。

マウス実験の話だった。

二つのグループにマウスを分ける。

ひとつは、母マウスとずっと一緒にいた子ネズミグループ

ひとつは、母マウスから早いうちに隔離した子ネズミグループ

そのふたつのグループに同じ負荷をかける。

床に水を張ったり(足が付く程度)

雨がわりにシャワーをまき散らしたり

箱ごと、振動を与え続けたり

餌もわずかしか与えない・・

などなど、いくつもの負荷を何日間かかけ続け

突然、負荷をかけることをやめ、通常の飼育環境に戻す。

結果だけ言う。

母マウスとずっと一緒にいた子ネズミグループ

は、2日もすると元気になってしまった。

母マウスから早いうちに隔離した子ネズミグループ

は、回復も遅く、毛が抜け落ちたりしたし

何匹かは、回復できず死んでしまった。

 

この実験は、

親と一緒に居ることで、長じて

ストレスに強いネズミになるかということだったと思う。

申し訳ないことだけど

知人のさまは

母親に愛情をかけられず、負荷をかけられた時

回復できない子ネズミのように思えた。

 

虐待されたという(マイナス)だけでなく

愛情をかけられなかった(プラスをもらえなかった)という

欠いたものの大きさが、

知人の鬱・恐れに繋がったように思えた。

 

因縁通り越す

自分のDNA(因縁)も書き換えれる

じゃ、埋め切れない深淵を見てしまった気がした。

これ以上、何も言うことが出来ず

「本当に愛してくれる人が抱きしめてくれたら治る」

と、いうGakuちゃんの言葉を思い返すだけだった。

本当に愛してくれる人

その「本当」というのは、

とてつもないものだと判る。

その「本当に愛してくれる人」に

巡り合えることを祈る。

それしか、出来なかった。



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