「言霊をご存知ですね?」
答えをしっているのは、澄明しかない。
雷神は、唐突な質問が、答えの手引きであると、解すると、尋ね事の返事だけをかえすことにした。
「知っておる」
「言霊が発動するとき、言霊を発した本人が、今、言霊を発動させるぞと、お思いになって、言葉を発しますか?」
「いや。それは、まず、無い。
当て込んだ思いでは、言霊は発動しない。
思い誠の真に天がのってくる。
だから、時に、とんでもない思いであっても、
真剣におもっていると、その言葉をかなえてやろうと、言霊が発動されることもある」
「おっしゃるとおりです。
今の話は、言霊の話しですが、貴方がおっしゃったように、「思いに乗ってくる」という事が根本です。
ですから、言葉にしなくても、事象がおきるということは、ご理解いただけますね?」
「うむ」
うなづいた口から、疑問がこぼれてくる。
「だが、それがどうしたという」
いっさい思い当たっていない雷神である。
「確かに私はいづなをうとんだこともある。
だが、いづなを朋友と思うその気持ちと、一時の感情と、引き比べてみれば、どちらが、誠であるか・・」
云とうなづく澄明をみて、雷神は言葉をとめた。
いわずもがなの自明の理でしかないということなのだろう。
「言霊・・あるいは思霊というべきでしょうか。
雷神である、貴方なら、わかることだとおもいます・・」
大きく息を吸い、深く、長く、吐き出すと澄明は続けた。
「たとえて言えば、貴方が電撃を貯める。それだけでは、雷はおきません。
貴方が電撃を放る・・そこで、初めて、雷が生じる。
電撃のかさが大きいか、小さいか。という問題ではないのです。
貴方が、放ったか・放たなかったか・・ということです」
しばし、考え込んだ後雷神が尋ね返した。
「つまり、朋友と思っている誠がいくら大きくても、
うとましいと思った思いのほうがいくら小さくても、
うとましいという思いを放ってしまった・・と??」
「大きくても、小さくても、放てば、それは鋭い根源力をもちえます」
「朋・・友・・だと思う気持ちは、はなっていないというか?」
「違います・・・」
雷神の電撃にたとえたことが、かえって雷神を混乱させてしまったようである。
どう、説けば、雷神の腑に落ちるかと考える澄明は、寸刻、沈黙を結んでいた。
その沈黙の堰を破ったのは、白銅だった。
「ひのえ。海だ・・」
その一言が澄明の脳裏に荒れ狂う波をうかばせていた。
「あ・・」
おもいうかんだことを、そのまま、口にするだけでよい。
白銅の助け舟にささえられ、澄明はよどんだ堤の堰をきった。
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