犬神は阿波、伊予、土佐あたりの山奥に生息する。
澄明はこの長浜において、犬神の実体を見たことは無かった。
だが、その犬神は多く人に憑き、狐狸の類の憑き物とは違い、
代々、その一族にかかっていく。
犬神に憑かれると多く、精神に錯乱をおこし、狂気を見せる。
だが、反面、犬神の力で、多くの富をえて、安泰に暮らせるという側面もある。
「犬神は、白峰のように懸想するのだ」
共に成れぬ相手でありながら、思いを寄せてしまう。
それが、憑依の元である。
思う相手の幸せを祈る気持ちは十分にある。
思う相手が、いずれ世帯をもつときも、犬神は一緒に成る相手の先々をみこす。
ここで、もしも、ろくな運命。思いをもっていなかったら、犬神は相手を蹴散らす。
突然の病気や怪我、心変わりなどで、婚儀を白紙に戻してしまう。
逆に、犬神のめがねにかなえば、すんなりと世帯をもつことができるのであるが、
このことは、もちろん、とうの本人は知らぬことで、
自分が犬神に懸想され、人生を差配されているとは、つゆひとつ気がつかないのである。
そして、幸せな結婚生活をおくりはじめても、犬神はじっと、思う相手をみまもっているのであるが・・・。
子供という血筋ができあがると、犬神の感情は一変する。
結婚相手の必要性が血の継承であるなら、子供が出来たときに結婚相手の役目が終わる。
この時から犬神の独占欲と嫉妬がたぎりだす。
必要のなくなった相手が思う人を独占する。
犬神の精神が沸騰し、犬神に憑かれたその相手に余波が生じる。
これが、犬神に憑かれた人間が見せる錯乱の仕組みである。
結局、この犬神の精神が平和を取り戻す「離縁」に成る以外、憑かれた側の助かる道は無い。
「わたしは山の主の娘に思いをよせた」
銀狼が言う「山の主の娘に思いをかけた」というその事実だけでは、山の主に呪詛をかけられる理由はつかめない。
澄明にとって、白峰大神は一千年前からの因縁といってよいが、銀狼が白峰大神と同じとは、そこまでの深い因縁をさすのか?あるいは、単に、異種婚を望んだということだけをさすのか?
「山の主というが、ただしくは、地の精霊の総括といってよい。
この精霊が縁を結ぶことが出来るのが水の精霊である。
陰陽師ならわかるだろう?
火と水では打ち消しあってしまうが、土に水はしみこみ、また、逆に土が水の居場所を支える。
山の主は土を頼る生き物のために、水を蓄え、植物を茂らせ、獣達に水を与える。
それゆえに、山の主は水の精霊と共にいきこしていく。
そして、代を継承する子孫をうみだしていくのだが、男が生まれればそれが土の精になり、女が生まれれば水の精になる。
親である山の主と水の精霊がまだ、代を譲らない間、子供達は人間に姿をうつし、山野をかけめぐり暮らしている。
その娘、たつ子と名づけられ、ときおり、母親が宿る山の泉で沐浴するのを幾度となく見かけるうちに心惹かれた」
銀狼の話はまだつづく。
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