The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

小学校教育でもオンライン授業をなじませたい。発達段階を考慮し4年生以下では可能な範囲で実施。

2020-11-21 08:44:44 | 日記
教育の基本は対面による授業。

孫(小学3年)の放課後の過ごし方はクラスの友達や同級生たちと近くの公園や広場で、サッカーやドッジボールや鬼ごっこや基地遊びなどを汗だくになっての毎日。ある時は公園にある池でザリガニ釣りをするという具合。雨天や遊びの頭数が揃わない日は友達とリモートでゲームをする。身体を動かす遊びの種類は変わっても、古今東西身体を動かす遊びは子どもの心身の成長には欠かせない。ゲーム遊びは数年前の子どもは家か公園などで群がって楽しんでいたが、今はそれぞれの家でマイクロホン付きヘッドホーンを頭からかぶりリモートでゲーム機と向かい合う。
 
このことは電子機器を使うほんの一例であるが、コロナ禍で小学校でも設備と端末機が整っている学校はリモートでオンライン授業を実施し、次善の策で学力確保を乗り切っていた。設備が未設置の学校は、紙ベースによる課題を与える形をとっていたところが多い。コロナ禍で一躍オンライン授業が小学校から大学まで脚光を集めるのに至ったのはご存じの通り。

ところで、小学校教育は発達段階から見て全身で学ぶ教育が最適である。全身を学ぶセンサーとして身体を使って心身を成長させる。すなわち、読んだり、書いたり、見たり、聞いたり、話したり、したり(調べる、飼育栽培する、実験する、技をまねる、身体を動かす、歌う、演奏する、描く、作る等々)、そして考え・工夫し、友達と交流を繰り返しながら学びを広め深めて、その過程で先生の適切な指導・助言・指示を受けながら成長・発達・上達していく。その際、言語の書き順や計算の仕方、器具・道具などの扱い方などの基本は確実に指導し理解させることと、それらを日常的に使う場を設け、繰り返し練習させて定着を図り身に付けていくことが重要になる。

コロナ禍におけるオンライン授業の試行が、文科省が唱えるギガスクール構想とリンクする形で各校に受け入れられることが期待できる。これらの導入によって、ブラック学校と揶揄され、トイレに行く暇さえ取れないほど多忙極める日常の先生方に若干のゆとりが生まれることは、子どもたちにとっても大変有難いことになる。

その先生方の若干のゆとりの内容として、ソフトの出来栄えの影響が大であるが、漢字の書き順や計算練習の場、器具・道具の操作や調べ学習などの場に先生の代替えとして活用できる。さらに試行や研究を重ね活用範囲が広まり、子ども個々の資質や能力の特性の把握とともに、個別最適化された指導法にも寄与できることを確信する。

ここで忘れてはいけないことであるが、プラトンの時代より教えることの基本は対話が重んじられ、「問答」が中心になるということである。時代がわかっても対面授業が基本になることには変わりない。