The 理科ロマンスカー

人生を振り返りつつ見過ごしては禍根を残すであろう事柄に着目。
日本の正義・倫理・規範・疑惑等々婉曲的に発信。

偏差値教育の負の側面がボディブロウのように効いている

2021-04-28 10:47:16 | 日記
児童生徒の評価を数値化してきた誤謬と末路

 近所の方との立ち話、職場での休憩時の会話、友人や知人との話題など井戸端的なうわさや争いごとの内容がメディアに乗って茶の間に流れていることが増え気になっている。話題のぬしは社会的に活躍している方や社会的に地位のある方々で、世間では一目も二目も置かれ尊敬されている(?)人物が目立つ。

 「ノブレス・オブリージュ」。フランス語で、直訳すると「高貴なる者の義務」。身分の高い者はそれに応じて果たさねばならない社会的責任と義務があるという、欧米社会における基本的な道徳観。もともとはフランスにおける貴族に課せられた義務を意味する言葉のよう。当時の貴族には多くの特権が与えられていたものの、いざ戦争となれば率先して戦う義務も課せられていた。

 「ノブレス・オブリージュ」は現代の日本においては重要な精神性や道徳観の必要性を強く感じる。この言葉の意味を知れば知るほど、テレビに流れている話題に心が重くなる。せめて社会的なリーダーや社会的に成功している方々には、またこれらの方々からバトンを受け取ろうとしている方も、いや日本の全ての方々の内面に保持し、実践してもらいたい言葉のひとつであるような気がしている。
 
 この社会的病理を探ることは容易ではないが、その一つの要因として偏差値教育が考えられる。京都先端科学大学理事長で日本電産創業者である永守重信氏は、「偏差値・ブランド主義」教育の打破を声高に叫び、国際的に通用する人材を自ら理事長に就任した大学で取り組み始めている。
永守重信氏が指摘するまでもなく、数値で学力を評価する偏差値教育は、人物評価・人間性までにも連動して捉えられる傾向があり、そのような人材を産み出す要因のひとつになっていると気付かされる。さらにいろいろな出身大学の学生を採用し、例えば経済を学修 (?)した学生を経理配属しても決算書も作成できない現状も述べられている。このことから大学のブランド主義の打破も打ち出していることと推測できる。

 私が大学生を教えていて気になったことは、学生に元気がないこと。さらに、自分の考えを表出することにためらいがみられ、積極的に意見を述べる学生が少ないことであった。ようするに考えが浮かばないのか、それとも抱いた考えが正しいか間違いかの二択のみを気にして言葉が出ないのか。
このことは常にこれまでの学校で正解を求められてきた後遺症の表れか。それとも考えないで誰かの答えに従うことが失敗を回避できるからか。これらのことからも偏差値教育の負の遺産が表れていると感じられる。