矢嶋武弘・Takehiroの部屋

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日一日の命

三島由紀夫事件との“接点”

2024年11月20日 01時06分22秒 | 人生

〈2010年11月30日に書いた以下の記事を復刻します。〉

三島由紀夫氏(31歳の時)

今月25日は三島由紀夫(本名は平岡公威)が割腹自殺してからちょうど40周年に当たるのだが、私は何も書く気になれなかった。ネットではいろいろ記事が出ていたが、無視していた。 ところが一昨日、ある人が寄せてくれたコメントの中に三島事件に関する記述があり、にわかに色々なことを思い出したのである。
 1970年11月25日午前、三島由紀夫は「楯の会」のメンバー4人を引き連れ、東京・市ヶ谷にある陸上自衛隊東部方面総監部に乗り込んだ。そして、M総監を人質に取って立てこもり、集まった自衛官らを前に“決起”を促す演説をした後、日本刀で割腹自殺した。これが世に言う「三島由紀夫事件」であり、当時は国内外に大きな反響を巻き起こしたのである。
 あれから40年。ここで三島事件の意義を述べるつもりはないが、私もあの時は大きな衝撃を受けた。以下は、全く個人的などうでもいい話なので、興味のない方とはここでお別れしたい。
 
ちょうどその頃、私はある女性(それが今の愚妻)と付き合っていて、三島事件が起きた時、喫茶店や料理店でかなり興奮してしゃべったことを思い出す。何を話したかはよく覚えていないが、三島の“美学”について語ったことだけは間違いない。彼の主義・主張はともかく、三島美学について熱く語ったような記憶がある。
 それはともかく、私たちは約1カ月後に婚約した。それから結婚式の日取りや会場、その他諸々の事でやたらに忙しくなった。 式の日取りは翌年3月某日と早めに決めたと思うが、問題は式場である。手頃な所ならどこでも良いのだが、なかなか思い当たらない。
 たしかその頃、某週刊誌が三島由紀夫らが決起する前に、東京・半蔵門の「東條会館」で記念撮影した写真を掲載した。それを見た瞬間、私はここだっ! と決めた。東條会館の写真室は技術的に優れていたので、三島はそこで記念撮影をしたのだと記憶している。
 そこで直ぐに調べたら、東條会館の挙式は“リーズナブルな費用”でサラリーマンでも大丈夫だと分かった。私はすぐに東條会館のアポを取った。
 
こうして、私たちは3月某日に無事結婚式を挙げたが、それは全て三島由紀夫の「記念撮影写真」を見たお陰である。まあ、どこで挙式をしようがどうでもいいことだが、そういう切っ掛けというのは忘れられない。
 三島由紀夫と「楯の会」メンバーの写真は凛々しく写っていたが、われわれの結婚写真はどうだったかすっかり忘れた。そんな写真はわが家のどこかに埋もれているはずだが、もう何十年も見たことがない。今さら見たいとも思わない。40年前の結婚写真を見たって白けるだけだ(笑)。
 さて、この記事を書くついでに、あの東條会館はどうなっているのかと思って調べたら、今や跡形もないそうだ。なんでも「半蔵門メディアセンター」とか言って、東京MXテレビの本社になっているとのこと。ただし、三島が記念撮影した写真室は「東條写真スタジオ」として残っているらしい。写真の技術が今でも優れているかどうかは分からないが。
 どうでもいい個人的な話をしたが、三島由紀夫と私の“接点”とはそんなものである。もちろん、私は三島の文学作品や評論を幾つか読んだことがあるが、それを論じるのは止めよう。また、三島事件の秘話やエピソードなどを少しは知っているが、それについて触れるのも止めよう。機会があれば書いてもいいが、今も存命中の関係者がいる。本日はあくまでも個人的な思い出にとどめたい。(2010年11月30日)


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2 コメント

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三島の弟に会いました (指田文夫)
2022-06-16 07:39:38
1990年ですが、彼の弟の平岡千之さんに、ポルトガルのリスボンでお会いしました。
当時は、大使でした。
横浜でやる国連ピースメッセンジャー都市会議の参加要請でリスボンに行ったとき、
「大使館に来てくれ」
と言われ、行きました。
三島にそっくりで、小柄で、大笑いするところも似ていました。
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小柄な人 (矢嶋武弘)
2022-06-16 14:09:36
私は三島に会ったことはありませんが、身長163センチぐらいの小柄な男だったそうですね。
弟さんが外務省のエリート官僚だとは聞いていましたが、三島も当時の大蔵省に入省しましたね。
入って間もないころ、主計局長の福田赳夫(後の首相)をモデルにした『局長』という短編小説を書いたと聞いています。
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