<以下の記事を復刻します。>
赤穂浪士の姿
日本人に最も親しまれている物語に『忠臣蔵』がある。ごぞんじ赤穂浪士47人の討ち入りを描いたもので、あまりにも有名だから説明する必要もないだろう。それほど赤穂浪士の討ち入りは、300年以上にわたって日本人の心を揺さぶってきた。
俗に“元禄赤穂事件”と呼ばれるこの討ち入りは、今で言うと正に“テロ行為”だと私は思う。テロとは一般に政治的暴力行為を意味するが、ここで討ち入りの性格を詳しく分析するつもりはない。ただ、この事件が江戸幕府の「裁き」に起因して起きたものだから、政治的意味合いが強いと考えているのだ。
つまり、江戸城で起きた浅野内匠頭(たくみのかみ)の刃傷沙汰は殿中抜刀の罪に当たるとして、彼は即日切腹を申し渡されたのである。一方、斬られた吉良上野介(こうずけのすけ)に対しては、殿中をはばかり手向かいしなかったのは殊勝だとして何の“お咎め”もなかったのだ。
これは極めて政治的意味合いの濃い「裁き」であって、後日、赤穂浅野家の断絶をめぐって、幕府の裁定は一方的で許せないなどの強い反発が赤穂藩士の間に起きたのである。そして、これが主因で赤穂浪士の討ち入りに発展していくのだが、この場合の主君の仇討ちは単なる恨みからではない。浅野家の「御家再興」が絶望的になったという政治的背景が色濃く反映しているのだ。
こうして見てくると、赤穂浪士の討ち入りは、有名な曾我兄弟の仇討ちや荒木又右衛門の鍵屋の辻の決闘と違って、極めて政治色の強い事件だったと言える。それは井伊大老暗殺事件などと同じような政治的暴力行為、つまり“テロ”の要素が極めて濃厚な事件だったのである。
私はだいぶ理屈っぽく話をしたが、元禄赤穂事件は単なる主君の仇討ち、敵討ちではない。日本人はそれを武士道の鑑(かがみ)とか、忠義の誉れなどと賞賛しがちだ。たしかに、それが前面に出ており私も心を打たれるが、よく考えるとこれは政治的テロなのである。つまり、われわれ日本人はテロに感動していることになる。
そこで言いたい。テロは悪いとか許されないと言うが、現代でも“政治的テロ”には非常に心を打たれるものがある。もちろん、私はテロを奨励するものではない。しかし、テロという暴力行為の裏にやむにやまれぬ大義、自己犠牲の精神、勇気などの美徳が隠されているのも事実だ。
赤穂浪士の討ち入りは、そうした意味で日本人の心を動かすのだろう。
一人の老人を47人で殺したのですから。
一番悪いのは、浅野内匠頭のバカです。
江戸時代、仇討ちは禁止で、その例は非常に少ないので、逆に赤穂浪士事件が褒められたのだと思う。