(以下の記事は、2011年10月8日に書いたものです。)
断っておくが、私は小沢一郎が好きではない。いや、むしろ嫌いなぐらいだ。それは昔、某テレビ局の政治部記者として彼とずいぶん会ったことがあるから、個人的な印象でそう思っているのだ。
しかし、人間の好き嫌いとは関係なく、小沢一郎を強制起訴した「検察審査会」という制度がどんなものなのか、皆さんはご存知だろうか。いや、失礼。私よりはるかに知っている方も大勢いるかもしれない。なにせ、私は司法や裁判が大嫌いだから、よほどの事がない限り調べようとはしない。
だから、無知を承知の上で述べるが、私から見ればこの「検察審査会」というのは、民主主義社会で最悪の制度だと断言する。もちろん、検察を監視したりする制度は必要だろう。それは民主主義社会だからだ。
しかし、民主主義に名を借りて、やれ「国民」の代表だとか「市民」の代表などと、言える資格があるだろうか。検察審査会は全国に165も置かれているそうだが、それぞれ11人のメンバーから成る。一般の国民から無作為にクジで選ばれるから、もちろん日当や旅費、宿泊費も支給される。これは当然だ。
問題は、国民や市民の代表と言われながら、氏名が公表されないのだ。完全に匿名であり責任を問われない。また、審査の議事内容も秘密である。これでは、全く“闇の中”ではないか。暗黒裁判と同じだ!
いかに民主主義社会とはいえ、こんな無責任な制度があるだろうか。それに比べれば、ソクラテスを処刑した古代アテネの法廷や、反革命分子を次々に処刑した大革命時代のフランスの「革命裁判所」の方が、はるかに公明正大だったと言える。なぜなら、起訴する人も裁く人もはっきり分かるからだ。
いわゆる「人民裁判」が悪いと言っているのではない。人民裁判でも起訴する人などの名前が分かっていれば、まだ公明正大である。ところが、検察審査会は全く闇の中、暗黒のうちに人々を起訴していくのだ。こんな馬鹿げた制度があるだろうか。 私と同じように、法律も訴訟もほとんど知らない“シロウト”が他人の運命を決めていくのだ。だから、これまで「冤罪(えんざい)」を数多く引き起こしてきた。冤罪の温床になる検察審査会など、百害あって一利なしだと言えよう。 直ちに廃止するか、制度を改めてもらいたい。私は腹の中が煮えくり返るようだ。
今日はここまでにしておくが、検察審査会がとんでもない冤罪を引き起こした「甲山(かぶとやま)事件」について、ある方の記事を参考に紹介しておく。(2011年10月8日)
<甲山事件>
これまで検察審は、取り返しのつかない「冤罪」をいくつも引き起こしてきた。
たとえば、1974年に兵庫県の児童施設で園児2人が死亡した「甲山事件」だ。兵庫県警は施設の女性保育士を逮捕したが、神戸地検は嫌疑不十分で「不起訴」とした。強制起訴がない旧制度下の事件だったが「不起訴不当」と議決したため、神戸地検が78年、殺人罪で「起訴」した事件だ。
「甲山事件は典型的な冤罪事件でした。検察がどんなに調べても証拠はなかった。シロウト集団の検察審が『不起訴はおかしい』と議決したので、神戸地検は女性保育士を再逮捕し、無理やり起訴してしまった。そのために、最終的に無罪が確定したのは、事件発生から25年後のこと。事件当時22歳だった保育士はこの年には48歳になっていた。5回の裁判を通じて一度も判決は下されませんでした」(司法事情通)
検察審による「冤罪」は甲山事件だけではない。「岡山遊技場放火事件」など、冤罪につぐ冤罪の歴史だ。検察審の議決を受けて起訴された事件の「無罪率」は、なんと通常の6倍以上である。
<参考> 検察審査会・・・http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%A4%9C%E5%AF%9F%E5%AF%A9%E6%9F%BB%E4%BC%9A#.E5.85.A8.E5.9B.BD.E6.A4.9C.E5.AF.9F.E5.AF.A9.E6.9F.BB.E5.8D.94.E4.BC.9A.E9.80.A3.E5.90.88.E4.BC.9A