まだ喪主にならなくても困らないような人にはいらない本。 葬式は、いらない 島田裕已著 幻冬舎刊 初版2010年 借りたのは第10刷だから二か月のうちに10版も重ねたベストセラーだ。10月の末に母の葬式を出して まあ喪主は弟なんだけど あたしも葬儀社との打ち合わせで出た話を先に書いた。でまあ なんか不透明な部分 告別式の祭壇がくれるわけでも無いのに2日のレンタルで60万とか 社葬でもないのに盛大な花が35万とか 坊主のお布施が戒名入れて40万?くらいだったのがなんか釈然としなかったわけ。本書を読むとその裏側みたいなものが書かれているのでなるほどな・・と理解できる。タイトルが葬式はいらない・・だから基本的に意味のない儀式にまつわる部分は全部止めちゃってもいいんじゃない?という内容。この本が出た当時で 葬式の平均金額は231万円と世界一だそうだ。1990年当時で アメリカは44万 イギリスは12万 ドイツで20万 韓国が37万だそうだ。まあ死者とお別れする儀式としては仕方ないといえば仕方ないのだけれど ほとんどの人が地元を離れて都会で暮らしそして死ぬ。江戸時代では寺は役所みたいな役割があったので(檀家として住民を管理してた)寺との結びつきはあったのだけれど 今は大半の人がお寺さんと関わるのはお葬式の時だけだろう。それも地元では無いので葬儀社が手配できる同じ宗派の坊主を借りてきてお経をあげるだけ。で 戒名のいわれも 仏門に入るための名前ってことで 檀家である寺の墓に入るのなら戒名はいるらしいのだが 無宗教でやったり散骨や樹木葬なんかするなら 寺の墓に入る必要もないし 都営霊園みたいな公共の墓地に埋葬する場合でも戒名は不要だ。まあうちの母も下手糞な字でわけのわからん戒名に20万くらい払ったみたいだが 何の意味があったのか?と思うと未だに疑問である。本家の墓に入るならいざしらず当分は手元供養だしなぁ。弟がどうするか決めるだろうけど 父の墓に入れるとしても三重県の鈴鹿 今弟は沖縄だし あたしらも東京だから 誰も参らない無縁みたいな位置にあってはどうにもならない。葬式が家のものから個人のものとなった今 あたしはやっぱり樹木葬で京都の土になるぞ・・という気持ちが益々強くなった。仏壇も墓もいらない。誰かの記憶の片隅に阿保な親戚がいたよなぁ・・とたまに思い出してもらえればそれでいい。本書各宗派の葬式・仏壇・戒名について簡単に述べているのでご参考に。ちなみに戒名をつけるのは日本だけらしい。日本の仏教 まあ奈良や京都の墓地を持たない寺は別として 大半が葬式仏教になってるわけで それに大金をつぎ込むのも意味が無い気がする。お金は残された者に使ってこそ故人が喜ぶと思うのではないだろうか?
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