ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

中学生のころ・6〜『アラビアのロレンス』

2015年08月25日 | 1960年代映画(外国)
我が中学校は、私が2年の時に二学校が統合されて真新しい校舎になった。
3年の梅雨時。休み時間に同級生が教師にばれないようにして、持ってきたレコードをその音楽室のステレオ装置に掛けた。
曲は「アラビアのロレンス」(モーリス・ジャール作曲)。
当時の超話題作の序曲である。その雄大な砂漠を沸々とイメージさせるこの曲に、私はすっかり痺れてしまった。

3年を卒業した春休み。
この『アラビアのロレンス』(デヴィッド・リーン監督、1962年)が三番館に回ってきたので、名古屋まで観に出かけた。
70ミリ画面ではなかったけれど、それでも目一杯の大画面である。
煙草の煙がモウモウとする中、通路では一匹のネズミが右から左、左から右へと行ったり来たりしていた。
こんな環境でも、この映画は見応え十分であった。

内容は、オスマントルコに対するアラブの反乱を支援したT・E・ロレンス(1888年 - 1935年)の物語である。

冒頭、疾走するオートバイ。
オートバイは自転車を避けようとして道路から外れて転倒。
跨っていた男は死亡する。ロレンスである。
葬儀の参列者の、彼に対する評価はマチマチであった。
ロレンスとはどんな男であったか。

1916年、第一次世界大戦中のカイロ。
イギリス陸軍司令部のロレンスは、ハーシム家の王子ファイサルに接触するよう上司から指示を受けた。
理由は、オスマントルコに対するアラブ民族の情勢を知るためである。
王子を訪ねる旅に出たロレンスと案内人は、駱駝で砂漠の中を突き進む。
そして二人は、一つの井戸にたどり着き休憩する。
そこへ地平線の彼方から、水を飲む二人に向かって男が近づいて来る。
ハリス族の族長アリであった。
アリは、他部族の者が自分の水を飲んだからと言う理由で、案内人を射殺してしまう。
「アラブ民族同士なのに」と非難するロレンスは、案内を買って出たアリを断り、一人砂漠の中を行く・・・・

広大な砂漠。幾何学的模様の砂丘。風と共に舞い上がり流れる細粒砂。
砂だけの自然の美しさと、その自然の峻烈さ。
陽炎の漂う砂の大地の向う中央に、わずかに黒点が見える。
その黒点の人物アリがこちら側まで来る姿を、ずぅーと映し出しているカメラ。
岩だけの渓谷の上から俯瞰して、小さな虫が行くように進む駱駝のロレンス一行。
砂漠の中、脱落した男を救助に向かうロレンス。それを、彼を慕う青年が灼熱の太陽の下でじっと待つ姿。
それらを見事な映像として映し出す。

またこの映画は、映像としてばかりでなく内容的にも傑出している。
二人の男を殺してしまったと苦悩するロレンスが、後半、手を挙げている敵の相手を憎しみを込めて射殺する。
なぜこのようなことを、心境の変化として人はできるのか。
武器のなせる技か。
武器輸出三原則を見直した現政権は、人を殺す武器に対し真摯に考えるべきではないか。
巨大組織としての国は、利用できることは利用し、用済みとなれば捨てる。
ロレンスは、結果として一個の駒であった。
このようにして、映画は冒頭シーンの意味を探る。

『アラビアのロレンス』は名作の定義を、格好の材料として与えてくれている。

私はこれ以降、デヴィッド・リーンの新作が封切られると待ち構えるようにして観た。
勿論、ロレンス以前の『戦場にかける橋』(1957年)等の作品も観れる限り観た。
そして、どれも印象に残る名作ばかりであった。

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小学生のころ・6〜『荒野の七人』

2015年07月20日 | 1960年代映画(外国)
小学5年生の時だったか、中学生の兄に誘われて映画を観に行った。
子供だけで名古屋まで電車で行く。まるで、未知の世界に行く気分であった。
観る映画は『荒野の七人』(ジョン・スタージェス監督、1960年)。場所は三番館か、四番館に当たる劇場。


メキシコ近くのテキサスのある町。先住民の死体が道に転がっている。誰も葬ろうとしない。
見かねた男が埋葬を買って出て、棺桶と共に馬車に乗る。回りは敵意に溢れている。
そこに、手助けしようともう一人の男も馬車に乗る。スティーブ・マックイーンである。
張りつめた雰囲気の中を馬車は墓場に向かう。緊張する二人。そこへ銃声。素早く応戦するふたり。
通りにある窓や屋根にいた相手は倒れる。
マックイーンのガンさばきがすごくカッコいい。
当時、テレビで『拳銃無宿』をやっていたので、マックイーンに憧れた。
『拳銃無宿』の彼は、ライフル銃を半分に切ったような形の「ランダル銃」を提げ、手に持った時、それをクルクルと回すのである。
そこが何とも良かった。
この『荒野の七人』は、当然であるが、残念なことに字幕スーパーである。
字幕を読んでいると、画面がおろそかになる。画面ばかり観ていると、内容がわからなくなる。
それでも、それを心配した兄が、要所、要所で小さな声で筋を説明してくれたので、話はよくわかった。
しかし、字幕の関係で会話の場面は退屈で、それに引き換え、腰に拳銃を提げたガンマンが、馬に乗って駆けるとワクワクした。
それをエルマー・バーンスタインの音楽が盛り立てた。

あらすじはよく知られているように、穀物の収穫時に、毎年、メキシコに在る農村が盗賊に襲われ苦しんでいる。
そこで、ガンマンを雇うことにする。わずかな報酬に集まったのが七人。
そして、・・・・。
ようは、日本映画『七人の侍』(黒澤明監督、1954年)のアメリカ版リメイクである。

この映画に感激し、記憶もまだ新しい中学1年の時、我が町の唯一の映画館にも、これが回って来た。
「この映画は凄いぞ」と、友達に言いふらし、三、四人誘って早速、自転車で駆け付けた。
映画は二本立てで、併映は『チコと鮫』(フォルコ・クィリチ監督、1962年)。
南国のタヒチで、少年チコが海岸に迷い込んだ人食い鮫の子を、女友達のディアーナと共に育てる。
成長した鮫は、二人を海底深い珊瑚礁の間を案内し、すばらしい風景の浜辺へ連れ出した後、姿を消す。
十年後、仲間たちと漁に出たチコは、偶然、海底で巨大になった鮫と再会。
このタヒチにも文明の波が押しよせ、チコは婚約者のディアーナと鮫をつれて、タヒチを出て行く・・・・。
ファンタジックでタヒチの海の青さが際立っていたが、フイルムが擦れているのか画面に雨が降っていた。
しかも、上映が最初からでなく、劇の途中から始まっていた。それが残念であった。

しかし、『荒野の七人』がまた観れたことに私は大満足した。
俳優も、ユル・ブリンナーは別格としても、後に大活躍する役者が沢山でている。
先ほど言ったスティーブ・マックイーン、チャールズ・ブロンソン、ジェームズ・コバーン。そして、『ナポレオン・ソロ』のロバート・ヴォーン。
監督のジョン・スタージェスは、西部劇やアクション映画を得意とし、後にあの大ヒット作『大脱走』(1963年)を作る。
私は『荒野の七人』、『大脱走』が気にいっていたので、この監督の「決斗三部作」と言われる、
『OK牧場の決斗』 (1957年)、『ゴーストタウンの決斗』 (1958年)、 『ガンヒルの決斗』 (1959年)も後年観て、大いに楽しんだ。







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