『少女ムシェット』(ロベール・ブレッソン監督、1967年)を観た。
フランスの寒村。
鳥などを密猟しようとするアルセーヌを監視していた森番のマチューが、罠に掛かった鳥を逃がす。
このアルセーヌとマチューは共に、カフェに勤めているルイザを好いている。
同じ村で、道路沿いに住む少女のムシェットは、学校の音楽の時間に自分一人だけ歌わなかったり、
学校の帰り、他の生徒たちに土の塊を投げつけたりして、ひとりひねくれて孤立している。
そのムシェットがある日、学校を途中でサボって森に入っていく。
森番のマチューは、ルイザを断念させるため、罠を仕掛けていたアルセーヌをやっつけようとする。
しかし反対にアルセーヌに殴られ、その後は水筒の酒を二人して飲んで、両人とも記憶が定かでなくなる。
やがて天気が急変し、嵐となって来る。
木の下で雨宿りしていたムシェットの前にアルセーヌが現れ、濡れているムシェットを小屋に連れていく・・・
ムシェットの家庭環境は、乳飲み子を抱えている母が病床に伏せっている。
だから、乳飲み子にミルクをやったりおしめを替えたりするのはムシェットの役目である。
父と兄は、酒の密売をしながら、僅かながらのその日暮しの生活をしている。
この父親は、ムシェットがカフェの皿洗いをした金を出させたりして、何かとムシェットを邪険に扱う。
そんなムシェットが嵐の夜をアルセーヌと過ごし、淋しさを紛らわすためかこのアルセーヌに抵抗もせず身を任す。
衝撃的なのは、たったの14歳の少女がアルセーヌの背に手を回し、受け入れる意思を示すことである。
そして村人に対し、“私はアルセーヌの愛人よ”とまで言わしめるまでの、これほど孤独で愛に飢え、心のよりどころのなさが痛々しい。
母が死に、それでもムシェットは赤ん坊のためにミルクをもらいに行かなければならない。
母のことを慰められ不憫に思われても、同情とは裏腹の“ふしだら”とムシェットは言われる。
また、“うんざりしている”と言うムシェットの言葉に、“なんて悪い子だね、罪深い悪意に満ちた目だよ”と言われたりする。
その後でのシーン。
狩りで、追い詰められて撃たれたウサギが息絶え絶えになる。
このウサギのように行き場のないムシェットは、心と身体を開放するため、自ら池に落ち、再び浮かび上がって来ない。
ムシェットの物語は、単純すぎる筋書きであっても、観客に対しては冷徹なまでに同情を拒否する。
その冴えわたっている腕前は、さすがブレッソンならではと感じた。
フランスの寒村。
鳥などを密猟しようとするアルセーヌを監視していた森番のマチューが、罠に掛かった鳥を逃がす。
このアルセーヌとマチューは共に、カフェに勤めているルイザを好いている。
同じ村で、道路沿いに住む少女のムシェットは、学校の音楽の時間に自分一人だけ歌わなかったり、
学校の帰り、他の生徒たちに土の塊を投げつけたりして、ひとりひねくれて孤立している。
そのムシェットがある日、学校を途中でサボって森に入っていく。
森番のマチューは、ルイザを断念させるため、罠を仕掛けていたアルセーヌをやっつけようとする。
しかし反対にアルセーヌに殴られ、その後は水筒の酒を二人して飲んで、両人とも記憶が定かでなくなる。
やがて天気が急変し、嵐となって来る。
木の下で雨宿りしていたムシェットの前にアルセーヌが現れ、濡れているムシェットを小屋に連れていく・・・
ムシェットの家庭環境は、乳飲み子を抱えている母が病床に伏せっている。
だから、乳飲み子にミルクをやったりおしめを替えたりするのはムシェットの役目である。
父と兄は、酒の密売をしながら、僅かながらのその日暮しの生活をしている。
この父親は、ムシェットがカフェの皿洗いをした金を出させたりして、何かとムシェットを邪険に扱う。
そんなムシェットが嵐の夜をアルセーヌと過ごし、淋しさを紛らわすためかこのアルセーヌに抵抗もせず身を任す。
衝撃的なのは、たったの14歳の少女がアルセーヌの背に手を回し、受け入れる意思を示すことである。
そして村人に対し、“私はアルセーヌの愛人よ”とまで言わしめるまでの、これほど孤独で愛に飢え、心のよりどころのなさが痛々しい。
母が死に、それでもムシェットは赤ん坊のためにミルクをもらいに行かなければならない。
母のことを慰められ不憫に思われても、同情とは裏腹の“ふしだら”とムシェットは言われる。
また、“うんざりしている”と言うムシェットの言葉に、“なんて悪い子だね、罪深い悪意に満ちた目だよ”と言われたりする。
その後でのシーン。
狩りで、追い詰められて撃たれたウサギが息絶え絶えになる。
このウサギのように行き場のないムシェットは、心と身体を開放するため、自ら池に落ち、再び浮かび上がって来ない。
ムシェットの物語は、単純すぎる筋書きであっても、観客に対しては冷徹なまでに同情を拒否する。
その冴えわたっている腕前は、さすがブレッソンならではと感じた。