少しずつでも、またブログを書いていこうと思う。
ただ、気持ちを新たにするため、ブログタイトルとハンドルネームを変えてみることにした。
というわけで、最近DVDで観た『火の山のマリア』(ハイロ・ブスタマンテ監督、2015年)について。
マヤ系先住民の一家の物語。
場所は、古代マヤ文明が繁栄したグアテマラの火山付近の高地。
17歳のマリアは、両親の農業を手伝いながら暮らしている。
住んでいる土地は借地で、農作物が収穫できなければ追い出されてしまう可能性もある。
そこでマリアの両親は、土地の持ち主でもあり、コーヒー農園の主任のイグナシオにマリアを嫁がせようとする。
相手のイグナシオは妻に先立たれて、3人の子供たちを働きながら育てている。
彼の両親も含め、みんながこの縁談に乗り気だが、ただひとりマリアだけは気乗りしない。
マリアは、コーヒー農園で働く青年ペペに心を寄せている。
ペペは、憧れのアメリカに行って働きたいとの希望をもっている。
マリアは、自分も一緒に連れて行ってほしいと頼む。
連れて行く条件として、ペペはマリアに処女を捧げてくれたら、と言う。
彼女は悩んだ末にペペに身を任せる。
しかしペペは、約束の夜、ひとり旅立ってしまって・・・
グアテマラの劇映画はこれが日本では初の作品ということで、やはり珍しくて興味深い。
その自然に囲まれた暮らしは、どちらかといえば原始的な雰囲気が漂っている。
両親は、畑の中の蛇に悩まされている。農薬も野焼きも効かず、蛇を駆除しないと種まきが出来ない。
そんな生活の中で、マリアが妊娠する。母親がそれに気付く。
破談になれば、この地を離れなければいけないことを恐れる母親は、いろいろと流産する方法をマリアに試させる。
しかし、それも失敗し、マリアのお腹はいよいよ大きくなる。
覚悟を決めた母親は言う、「この子は生きる運命にある」。
大地と生命。
素朴な暮らしの中に根付いて垣間見える生命力。
父親にも、とうとう知らせなければいけない時がくる。
意外なのは、家父長制度かと思いきや案外そうでもなさそうである。
どちらかと言えば、母親の方がしっかりしていてたくましい。
ある事件がマリアに起きて、イグナシオにも妊娠がわかってしまう。
そのイグナシオがしたことは・・・
悲しいかな、マリア一家は現地語しか話せず、公用語のスペイン語がわからない。
作品の底辺に流れているテーマは、さりげなくってほとんど見落としてしまう程だけど、貧困と無教育。
マヤ系先住民たちもこのような暮らしが当然のような感じで、社会的意識が芽生えているのかどうか。
映画は、そこの辺りは強調せず現実だけを切り取る。
この作品は見方によっては、退屈でつまらないと感じるかもしれない。
特にアメリカ的娯楽作品を好んで楽しむような人は、そう思うかもしれない。
しかし、よく考えてみると、まさしくこのような作品が映画の原点だったじゃないか、と思う。
いろいろな国の映画作品を観て、その国の人々を知ること。
私にとって、観客におもねいた娯楽作品よりも、このような作品を観る方がよほど楽しい。
ただ、気持ちを新たにするため、ブログタイトルとハンドルネームを変えてみることにした。
というわけで、最近DVDで観た『火の山のマリア』(ハイロ・ブスタマンテ監督、2015年)について。
マヤ系先住民の一家の物語。
場所は、古代マヤ文明が繁栄したグアテマラの火山付近の高地。
17歳のマリアは、両親の農業を手伝いながら暮らしている。
住んでいる土地は借地で、農作物が収穫できなければ追い出されてしまう可能性もある。
そこでマリアの両親は、土地の持ち主でもあり、コーヒー農園の主任のイグナシオにマリアを嫁がせようとする。
相手のイグナシオは妻に先立たれて、3人の子供たちを働きながら育てている。
彼の両親も含め、みんながこの縁談に乗り気だが、ただひとりマリアだけは気乗りしない。
マリアは、コーヒー農園で働く青年ペペに心を寄せている。
ペペは、憧れのアメリカに行って働きたいとの希望をもっている。
マリアは、自分も一緒に連れて行ってほしいと頼む。
連れて行く条件として、ペペはマリアに処女を捧げてくれたら、と言う。
彼女は悩んだ末にペペに身を任せる。
しかしペペは、約束の夜、ひとり旅立ってしまって・・・
グアテマラの劇映画はこれが日本では初の作品ということで、やはり珍しくて興味深い。
その自然に囲まれた暮らしは、どちらかといえば原始的な雰囲気が漂っている。
両親は、畑の中の蛇に悩まされている。農薬も野焼きも効かず、蛇を駆除しないと種まきが出来ない。
そんな生活の中で、マリアが妊娠する。母親がそれに気付く。
破談になれば、この地を離れなければいけないことを恐れる母親は、いろいろと流産する方法をマリアに試させる。
しかし、それも失敗し、マリアのお腹はいよいよ大きくなる。
覚悟を決めた母親は言う、「この子は生きる運命にある」。
大地と生命。
素朴な暮らしの中に根付いて垣間見える生命力。
父親にも、とうとう知らせなければいけない時がくる。
意外なのは、家父長制度かと思いきや案外そうでもなさそうである。
どちらかと言えば、母親の方がしっかりしていてたくましい。
ある事件がマリアに起きて、イグナシオにも妊娠がわかってしまう。
そのイグナシオがしたことは・・・
悲しいかな、マリア一家は現地語しか話せず、公用語のスペイン語がわからない。
作品の底辺に流れているテーマは、さりげなくってほとんど見落としてしまう程だけど、貧困と無教育。
マヤ系先住民たちもこのような暮らしが当然のような感じで、社会的意識が芽生えているのかどうか。
映画は、そこの辺りは強調せず現実だけを切り取る。
この作品は見方によっては、退屈でつまらないと感じるかもしれない。
特にアメリカ的娯楽作品を好んで楽しむような人は、そう思うかもしれない。
しかし、よく考えてみると、まさしくこのような作品が映画の原点だったじゃないか、と思う。
いろいろな国の映画作品を観て、その国の人々を知ること。
私にとって、観客におもねいた娯楽作品よりも、このような作品を観る方がよほど楽しい。