ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『原節子の真実』を読んで

2021年01月06日 | 本(小説ほか)
『原節子の真実』(石井妙子著、新潮社:2016年刊)を読んだ。

14歳で女優になった。戦前、戦後の激動の時代に112本の作品に出演、日本映画界に君臨する。
しかし42歳で静かに銀幕を去り、半世紀にわたり沈黙を貫いた。
数々の神話に彩られた原節子とは何者だったのか。
たったひとつの恋、空白の一年、小津との関係、そして引退の真相――。
(新潮文庫の裏表紙より)

著者である石井妙子は、本名・会田昌江が原節子として映画界に関わっていく事柄に、その出生以前の親のことまで遡って追っていく。
その内容は、膨大な資料を読み漁り、他の者では真似ができない原節子に寄り添った緻密な内容となっている。

原節子は1920年に2男5女の末っ子として横浜で生まれる。
父親は生糸問屋を営み裕福だったが、世界恐慌以降生活は困窮していく。
家計を助けたいという思いから学業優秀だった節子は、女学校を退学して映画界に入る。
それには当時気鋭の映画監督、義兄の熊谷久虎の勧めも影響した。

と、戦前の時代状況も背景としながら丁寧に、若き原節子を蘇えさせる。
映画界が好きでなかった節子が、戦後、女優という立場に自覚を持ち、いかに黒澤明や小津安二郎の作品に対応して行ったか。
イングリッド・バーグマンに憧れて演技の参考にした節子が、あの小津の名作『晩春』(49年)や『東京物語』(53年)の主人公に共感を持っていなかったという。
原節子自身は自立する女性を目標とし、中でも明智光秀の娘である細川ガラシャ夫人を演じたいと熱望したが、最後まで叶わなかった。

私が原節子を初めて目にしたのは、時代もずれていることもあり、二十歳前後にテレビのNHKで観た『晩春』である。
笠智衆の父親、一人娘の原節子。
父親周吉は、独身の娘紀子が婚期がずれるのを心配しているが、紀子は父を一人にするわけにはいかないとその気がない。
周吉は自分にも再婚の話があるからと説得し、紀子はとうとう見合い相手との結婚を承諾する。
嫁入り前の二人の最後の旅行で、やはりこのまま父と一緒に暮らしたいと紀子は心情を漏らす。
紀子が嫁いだ晩、自分の再婚話は紀子を結婚させるための嘘だったと、一人、椅子でリンゴの皮をむきながらうなだれる周吉。

この作品の笠智衆、原節子は忘れられない。
それ以後、古い日本映画を観るたびに原節子を目にしてきて、その姿は脳裏に焼き付いている。

話は戻って、
思慕していた小津が亡くなったことにより原節子は引退した、というようなあやふやな情報を今まで私は信じてきた。
しかし、実際の原因は全然違うところにあるのがよくわかる。
いずれにしても、細かい内容をここで羅列するよりも本書を読んだ方が素晴らしいし、原節子その人の誠実さに納得もし共感できる、と思う。
一人の人生の生き方を知ること、後半に至る大半が謎のままとしてもこのような女優、女性がいたという事実は、いつまでも輝しく後生に引き継がれていくのではないか、そのような感想をもった。
コメント (2)
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