中学時代、『ニッサンテレビ名画座』という番組があった。
提供は洗剤・石鹸などのメーカーで、ニッサン油脂である。
時間枠は午後3時から5時。月曜から金曜まで、同じ作品を放映していた。
それが、翌年になると、月曜から水曜、木・金曜の二作品の番組になった。
私は運動オンチもあってか、部活は文化系に所属し、放課後はなるべく早く学校から解放されるのが喜びだった。
そして、毎日のようにして『ニッサンテレビ名画座』を観た。
しかし残念なことに、どんなに急いで家に駆けつけても、番組の2、30分は頭の方が欠けてしまうのである。
それでも、これらの作品を観ることによって、新しい世界を知る思いがあって夢中だった。
今では、ほとんど個々の作品を具体的には思い出せないけれど、フランス映画、イタリア映画を主に観た記憶がある。
中でも、自然に覚えた俳優がジェラール・フィリップである。
甘いマスクと、柔らかな物言いの彼を観て、私もあんなだったら、世の中、楽しいだらうなと羨ましかった。
当時観たと記憶にある作品を、調べて列挙すると、
『肉体の悪魔』(1947年)、『パルムの僧院』(1948年)、『悪魔の美しさ』(1950年)、『七つの大罪』(1952年)、
『夜ごとの美女』(1952年)、『赤と黒』(1954年)、『夜の騎士道』(1955年)、『モンパルナスの灯』(1958年)である。
これらの内、内容を忘れていたり、この番組以外で観た作品があるとしても、ジェラール・フィリップだったという印象は残っている。
特に、『肉体の悪魔』(クロード・オータン=ララ監督)の記憶が残る(この番組で観たと信じているが、ちょっと自信がないが)。
第一次大戦中、少年フランソワの学校が臨時病院となり、そこへ見習い看護婦のマルトがやってくる。
マルトには婚約者がいたが、フランソワは彼女に情熱の一途を傾ける。
しかし、夏休みにフランソワが田舎に行っている間にマルトは結婚。
新学期が始まって、二人は再会。そして、熱い抱擁。
いつしか、フランソワの子を宿していたマルト。
二人の新しい人生のために決意をしようと、フランソワは・・・・
恋に溺れるということは、こんなに無我夢中になることなのか、と中学生の私は戸惑い、題名の「肉体」に変な思惑を感じて原作も読んでみた。
原作者のレイモン・ラディゲは自己体験を基にしたこの作品を発表したが、わずか20歳で夭折。看取ったのが、あの詩人ジャン・コクトー。
片や、ジェラール・フィリップも36歳の若さで亡くなっており、私が彼の作品を観だした頃には、もうこの世の人ではなかった。
そして、この『ニッサンテレビ名画座』も高校生になると、帰宅時間の関係で観ることができなくなった。
提供は洗剤・石鹸などのメーカーで、ニッサン油脂である。
時間枠は午後3時から5時。月曜から金曜まで、同じ作品を放映していた。
それが、翌年になると、月曜から水曜、木・金曜の二作品の番組になった。
私は運動オンチもあってか、部活は文化系に所属し、放課後はなるべく早く学校から解放されるのが喜びだった。
そして、毎日のようにして『ニッサンテレビ名画座』を観た。
しかし残念なことに、どんなに急いで家に駆けつけても、番組の2、30分は頭の方が欠けてしまうのである。
それでも、これらの作品を観ることによって、新しい世界を知る思いがあって夢中だった。
今では、ほとんど個々の作品を具体的には思い出せないけれど、フランス映画、イタリア映画を主に観た記憶がある。
中でも、自然に覚えた俳優がジェラール・フィリップである。
甘いマスクと、柔らかな物言いの彼を観て、私もあんなだったら、世の中、楽しいだらうなと羨ましかった。
当時観たと記憶にある作品を、調べて列挙すると、
『肉体の悪魔』(1947年)、『パルムの僧院』(1948年)、『悪魔の美しさ』(1950年)、『七つの大罪』(1952年)、
『夜ごとの美女』(1952年)、『赤と黒』(1954年)、『夜の騎士道』(1955年)、『モンパルナスの灯』(1958年)である。
これらの内、内容を忘れていたり、この番組以外で観た作品があるとしても、ジェラール・フィリップだったという印象は残っている。
特に、『肉体の悪魔』(クロード・オータン=ララ監督)の記憶が残る(この番組で観たと信じているが、ちょっと自信がないが)。
第一次大戦中、少年フランソワの学校が臨時病院となり、そこへ見習い看護婦のマルトがやってくる。
マルトには婚約者がいたが、フランソワは彼女に情熱の一途を傾ける。
しかし、夏休みにフランソワが田舎に行っている間にマルトは結婚。
新学期が始まって、二人は再会。そして、熱い抱擁。
いつしか、フランソワの子を宿していたマルト。
二人の新しい人生のために決意をしようと、フランソワは・・・・
恋に溺れるということは、こんなに無我夢中になることなのか、と中学生の私は戸惑い、題名の「肉体」に変な思惑を感じて原作も読んでみた。
原作者のレイモン・ラディゲは自己体験を基にしたこの作品を発表したが、わずか20歳で夭折。看取ったのが、あの詩人ジャン・コクトー。
片や、ジェラール・フィリップも36歳の若さで亡くなっており、私が彼の作品を観だした頃には、もうこの世の人ではなかった。
そして、この『ニッサンテレビ名画座』も高校生になると、帰宅時間の関係で観ることができなくなった。
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