ポケットの中で映画を温めて

今までに観た昔の映画を振り返ったり、最近の映画の感想も。欲張って本や音楽、その他も。

『とうもろこしの島』を観て

2017年08月04日 | 2010年代映画(外国)
『とうもろこしの島』(ギオルギ・オヴァシュヴィリ監督、2014年)を借りてきた。

舞台は南コーカサスの、ジョージア(旧呼び名・グルジア)と西側のアブハジアを挟んだエングリ川。
広くないその中州に、一人の老人がボートに乗ってやって来る。
小屋を建て、畑を耕し、コツコツと働く老人。

やがて老人は、孫娘とともに、この中州でとうもろこしの種をまく。
川には警備のためのボートが通って行く。
とうもろこしの茎が伸びたある日、その畑の中に傷ついたジョージア兵が倒れていて・・・

この作品が特異なのは、舞台の場面はこの中州だけ。
何もないこの中州を老人は耕す。
伝統としてここを耕すひとつのエピソードが、土の中から掘り出されるキセル口。
前任者も同じことをしていただろうはずの象徴。
でもなぜ、大洪水でも来れば消えてしまうはずの場所で、土を耕しとうもろこしを栽培するのか。

川のこちらをアブハジア側の偵察隊が行く。
日をおいて、中州のあちら側をジョージア側の偵察隊が行く。
要は、この中州は個人としての中立国なのである。
そんなアブハジアの老人の畑で、負傷して、息絶え絶え状態となったジョージア人の兵が見つかる。

この作品は、背景にあるアブハジア紛争について何も語っていない。
ただ、ボートで兵が行き交うというだけの、鋭い寓話の形でしか映像にしていない。
そればかりか、老人や孫娘、兵との会話もほとんどない。
映像の大半は、何もない中州から、いよいよとうもろこしが成熟し、最後には無残にもその土地が消え去る季節の流れ。
ラストで、それでも次の人が、この風習を引き継ぐだろうと感じさせる予兆。

映画で、知らない場所の人々に興味を持つこと、それに合わせて、その国の実状を多少でも知ろうとすること。
そんなことを思いたださせてくれる、地味でも優れた作品であった。
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『年上の女』を観て

2017年08月03日 | 1950年代映画(外国)
以前に、廉価版の『年上の女』(ジャック・クレイトン監督、1958年)を購入し、そのままになっていたので観てみた。

イギリス北部の町、ウォーンリー。
ここの役所に赴任したジョーは立身出世を夢み、望みはウォーンリーの高級住宅に一家をかまえることだった。
それは上流社会に出入りすることをも意味する。

その目的のために彼は、町の有力者ブラウンの娘スーザンをものにしようとつけ回す。
しかしブラウンは、娘のスーザンをジョーから引き離そうとし、南仏へと旅立たせる・・・

簡単にいうと、貧乏青年が野望を手にしようと町の有力者の娘をどうにかしようとする話。
あまりにも打算的で、私にとって、どちらかと言えば好きでない話。
スーザンもジョーに夢中になるが、ことは当然のごとく、やっぱり、そんなにうまくはいかない。

それに関連して出てくるのが、事情もわかっているアリス。
スーザンも所属している素人劇団の年上の女優である。
ジョーは、人妻であるアリスに慰みを得、アリスもまた夫からの満たされない愛から彼との情事に溺れる。

前半、私の好まないセリフによる状況説明が続くが、中盤からの、アリスのジョーに対する思いと態度を見ると、もう目が離せない。
シモーヌ・シニョレのアリス。
人として、女としての秘めたる感情表現が、只々すごいとしか言いようがない。
当時の、アカデミー賞の主演女優賞、それとカンヌ国際映画祭の女優賞を受賞したのも当然か、と感心する。

元々、このDVDを買おうと思ったのは、シモーヌ・シニョレの作品だから。
どちらかと言えば、少しおばさんぽい感じのシニョレを、印象としてずぅっと認識しているのは、
『肉体の冠』(ジャック・ベッケル監督、1951年)や『嘆きのテレーズ』(マルセル・カルネ監督、1952年)。
それとも、他の作品からの印象かもしれないが、シニョレ、イコールちょっとおばさん。

過去の映画で、自分が観ていなくて、だから知らない作品。
そんな中にも、埋もれた宝がいっぱい詰まっている、という事をいや応なしに目の前に突き出された傑出した作品だった。
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