花紅柳緑~院長のブログ

京都府京田辺市、谷村医院の院長です。 日常診療を通じて感じたこと、四季折々の健康情報、趣味の活動を御報告いたします。

立秋の日

2024-08-07 | 日記・エッセイ


  立秋日登樂遊園  白居易
獨行獨語曲江頭  獨り行き獨り語る 曲江の頭(ほとり)
廻馬遅遅上樂遊  馬を廻らすこと 遅遅として樂遊に上る
䔥颯涼風与衰鬢  䔥颯(せうさつ)たり 涼風と衰鬢(すいびん)と
誰教計會一時秋  誰か計會して 一時に秋ならしむる
 巻十九 律詩│「白氏文集 四」, p268

秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる
   古今和歌集・巻第四 秋歌上  藤原敏行朝臣

参考資料:
川口久雄, 志田延義校注:日本古典文学大系「和漢朗詠集 梁塵秘抄」, 岩波書店, 1974
岡村繁著:新釈漢文大系「白氏文集 四」, 明治書院, 1990
小沢正夫, 松田成穂校注・訳:新編日本古典文学大系「古今和歌集」, 小学館, 2015

人間の裸のこと

2024-08-03 | 日記・エッセイ


年齢を重ねれば重ねる程、心身ともに個体差が拡大する。熟練の数寄屋棟梁に、木材の材質差は年月を経たものほど大きいとかつて伺った。人もまた遺伝的素因に後天的な環境要因が加わり多種多様な表現型を呈する。その一方、天性の稟質はその後の行動原理を差配し、何処へ赴き何に関わるか、何に拘泥し妄執するか、何を截断し放下するか、価値志向性を終生支配する気がする。単純に申せば語弊があるが、三つ子の魂百迄である。
 高村光太郎は《触覚の世界》で、“当人自身でも左右し得ぬもの”や“この名状し難い人間の裸”と表現した。所詮、後から取り繕ってべたべた張り付けた飾り札などは、年経るとともに無残に剥がれ落ちる。望むことや望まぬこと、良きことも良からぬことも、いずれも自らの種を育てあげ見事に花開いた結果であるならば以て瞑すべしである。


小暑の京都を行く│廬山寺の源氏庭

2024-07-27 | 日記・エッセイ

廬山寺 源氏庭

7月某日、2024年度・日耳鼻京都府地方部会主催の「補聴器相談医更新のための講習会」に参加した。講習会終了後、京都御苑東に位置する京都府立医科大学図書館会場から足をのばし、梨木神社、紫式部邸宅址にある天台圓浄宗廬山寺を参拝した。廬山寺境内の源氏庭には今を盛りと州浜に植栽された桔梗が花開いている。濡縁に腰を下ろし時折吹き来る一陣の涼風に揺れる紫の花を眺めていると、酷暑の真夏只中であることをしばし忘れた。


石山月 / 月岡芳年「月百姿」
50 The moon and the helm of a boat --- Ishiyama moon / Stevenson J: Yoshitoshi’s one hundred aspects of the moon, Hotei Publishing, 2001


走り梅雨

2024-05-31 | 日記・エッセイ


室内に花を生けた日から花の望診が始まる。盛りを過ぎた後に散りゆく花があれば、花弁は落ちずに末枯れる花がある。切花延命剤を用いても何時かはどの花も花弁や葉の色艶が褪せゆき、蕾が開いてもはるかに小さな花に留まる。これでお別れですと散る花からははっきりと告げられる。散らない花も黙したままに萎れ移ろう姿を繕うとはしない。その度に、散る花の様にも散らぬ花の様にもなれない、覚悟無き身を見つめられている気がする。