日本東洋医学会、奈良県部会企画の
「森野旧薬園へ行こう~本草、薬業の歴史を刻んだ大宇陀!森野ラブ、生薬ラブになる遠足~」に参加した。森野旧薬園は、徳川幕府八代将軍吉宗の採薬調査に同行した森野賽郭翁が宇陀松山に創設、代々森野家が守ってこられた文化財史跡の薬園である。この薬園と松山本草をライフワークとなさっている大阪大学総合学術博物館・招聘教授、高橋京子先生の御教示を頂きながら、参加者一同は初夏の大宇陀の自然を満喫した。最後に宇陀松山会館では、大和芍薬の品種解析から栽培の御苦労、国内における生薬栽培の必要性と展望について熱い御解説を拝聴し、次いで第74回日本東洋医学会学術総会会頭、三谷和男先生の講義、栃本天海堂御協賛で煎じ手技解説とともに生薬の香溢れる中で試飲が行われた。
四月中旬に赤い花盛りをみせる樹齢300年の天然記念物、カエデ科の「花の木」
松山本草の大和芍薬図(森野旧薬園絵葉書に収載)│本年開花を迎えた赤芍薬
森野旧薬園に伺う前、森野吉野葛本舗西山工場の直売店「葛の館」の茶房でくずきりを頂いた。京都「鍵善良房」のくずきりの葛は森野吉野葛本舗製である。
宇陀市歴史文化館「薬の館」は名字帯刀を許された薬商、旧細川家住宅である。細川家の御血統は旧藤沢薬品、現アステラス製薬に繋がる。人参五臓圓、天壽丸の薬名を掲げた銅板葺唐破風附看板が往時の隆盛を偲ばせる。
軽皇子、安騎の野に宿ります時に、柿本朝臣人麻呂が作る歌
やすみしし 我が大君 高照らす 日の御子 神ながら 神さびせすと 太敷かす 都を置きて こもりくの 泊瀬の山は 真木立つ 荒山道を 岩が根 禁樹押しなべ 坂鳥の 朝越えまして 玉かぎる 夕さり来れば み雪降る 安騎の大野に 旗すすき 小竹を押しなべ 草枕 旅宿りせす いにしへ思ひて
東の 野にかぎろひの 立つ見えて かヘり見すれば 月かたぶきぬ
(万葉集 巻第一)
*安騎の野:阿騎野、大宇陀