『論語』雍也に「子曰、質勝文即野。文勝質即史、文質彬彬、然後君子。」(子の曰く、質、文に勝てば即ち野(や)。文、質に勝てば即ち史(し)。文質彬彬(ぶんしつひんぴん)として然る後に君子なり。)という一節がある。東洋史学者、宮崎市定博士著「中国文化の本質」に記された「文」の定義は明快である。文化と訳されるドイツ語、Kulturに当る本来の中国語は「文」の一字で十分であること、「文」は「質」に対し、又「文」は「武」に対せしめるのが例であるとの解説があった。「文」と「質」とを対せしめた好例として、「質勝文即野。文勝質即史、文質彬彬、然後君子。」を論述なさっておられるくだりが以下である。
「この場合、質とは人間が本来持っている性質で、野蛮人でも田舎者でも持っている本能的なもの、之に対して文というのは、その上に立つ教養であり型式であります。質だけで行動するものは野と云って、野蛮人である。所が質を忘れて、型式だけで行動する者は史である。この場合の史は、歴史家ではない。天子や大名の言葉を写すに、その儘の言葉で写さないで必ず修飾を加える。その文章家が史である。」(中国文化の本質│宮崎市定全集17, p276)
さらには「文とは質の上にあるもの、質を其ままに現わさないで一度磨きをかけること」であり、「文」と「質」は「左」と「右」というような反対概念を示す平等な対でなく、また「善」と「悪」の如く全然反対の対でもないとの説明が興味深い。「文」と「武」の対の関係も同様に、文徳武功の熟語を引いて文徳が武功の上に位置し、「武」の段階を超越した存在が「文」であるという論述が続く。彬彬は『論語集注』で「物相い雑わりて適均するの貌」、『論語徴』では「乃ち過ぐること無きの義」と記され、「文」と「質」が過不足なく均衡がとれて調和した状態が文質彬彬である。
言うなれば、質のみの「野」、質を忘れた「史」、その両極を貫くラインの中庸を過(あやま)つことなく定めて弾かねば、「文」たるべき妙なる音色を奏でることがかなわない。ところで臨床の場で用いる症状の程度の視覚的評価法の一つにVisual Analogue Scale(VAS;視覚的アナログ尺度)がある。左端「0」は症状がない状態、右端「100」が経験した最も強い症状の状態として、100mmの直線状のどの位置に現在あるかを伺って記録する評価法である。VASスケールの両端は先の「善」と「悪」の如く全く反対の対であり、是(ぜ)、良しとされる側は一方の「0」である。ところが「文」が理想的に花開くのは過ぎたる両端ではなく中央(中庸)である。ど真ん中の50mmなどでは決してない処が求められているのが実に悩ましい。
最後に対比された対句の意味を今一度反芻すれば、「文」がその本質に絡んで内包する危うさが透けて見える気がする。まずは「文、質に勝てば即ち史」である。擬古を金科玉条に初心の精神を失った形式だけの踏襲、これまた『論語』の「巧言令色、鮮(すく)なし仁」、あるいは江戸後期の名医、和田東郭著『蕉窓雑話』で糾弾なさっている受け狙いの「人そばえ」(人戯え)などがその虚飾に流れた例となろう。さらに「質、文に勝てば即ち野」を逆手に取れば、野蛮の上を行く文化に携わっているという選良意識、卑俗凡庸とは違う感性や美意識の所持者であるという意識高い系の高踏姿勢となる。知性主義、教養主義を旗印に、夷狄(いてき)と言わんばかりに時の政道を批判なさっている知識人を任じる御方々の彼方から、時にこのような芳しい香りが市井の一隅に転がる一耳鼻咽喉科医の頭上にまで漂い落ちてくる。
参考資料:
宮崎市定著:『宮崎市定全集17 中国文明』, 岩波書店, 1993
金谷治訳註:ワイド版 岩波文庫『論語』, 岩波書店, 2001
荻生徂徠著, 小川環樹訳註:東洋文庫575『論語徴』1, 平凡社, 1994
朱熹著, 土田健次郎訳注:東洋文庫850『論語集注』2, 平凡社, 2014
和田東郭著:近世漢方医学書集成15 『蕉窓雑話』, 名著出版, 2001