大和未生流の夏期特別講習会が、7月8日、奈良春日野国際フォーラム 甍~I・RA・KA~本館で開催された。午前の部は御家元の御講義、午後の部は御家元と副御家元の御指導による実技講習が恒例である。本年の御講義「大和未生流の生け花の方法について」は、当代が夏期講習会をお始めになった原点の御趣意からお話が始まった。日々の研究会や稽古とはまた展開が異なる、日本美術を見る眼を養い生け花の背景となる幅広い教養を培う為の会であることは今も変わりはない。生け花の技法(挿法)は単なる様式ではなく流派の思想である。初代から当代に至る大和未生流が森羅万象の自然をどのように受け止めてきたかという、流派の眼を表わすマニフェストである。
本講では、「檜図屏風」(狩野永徳)、「紅白梅図屏風」(尾形光琳)、「燕子花図屏風」(同)、「夏秋草図屏風」(酒井抱一)、「松林図屏風」(長谷川等伯)などの数々の障屏画(しょうへいが)を紐解かれ、画の中で余るもの被さるものを切り捨て、中心となる主題(本質)を浮き彫りにするのが日本美術に共通する習俗であり表現様式であること、さらにこの本質の観照、余剰の省略の過程において、西洋画では塗り残した空白とされる画中の「余白」に余韻という意義を与えたことを御講義になった。
自然美を作品に表現するとは、自然界の対象をそのままトレースする「自然の再現」ではない。それは視覚を含む五感を総動員して掴んだ感動を造形化することである。その作者が何に魂を揺り動かされたか。観る者は作品を通して作者の感動を追体験する。そしてその時、鑑賞者もまたおのれの内なる全ての力を試される。
午後からの実技演習は、臙脂色の菊三本を用いた一種生けの後人投入であった。各地から参集した門下生一同が稽古に励み、最後に御家元の講評を拝聴して実り多い夏期講習会は散会となった。旧奈良新公会堂の外に出れば、西日本に甚大な被害をもたらした豪雨から一転、緑深い春日原生林と若草山の上に雨過天晴の夏空が広がっていた。これからも日本各地で暑湿の酷暑が続くに違いない。帰宅後はお教え頂いたことを振り返り、床の間に水切りで生気を取り戻した菊を生け直した。講習会で使う花器は毎年、御家元が現地に出向かれ監修なさっている御会心の器である。本年の花器は砂金袋水指に似た形の信楽焼で、けうとき物の対極にある一色の釉調である。やや大きい口に満々と水を張れば、当方の技の拙さを補ってくれる涼味が溢れた。
最後に、本講習会で御提示になった朝顔の茶の湯の逸話、岡倉天心著『茶の本』、第六章「花」の一節を、続いて『茶話指月集』におけるくだりを記し置きたい。一輪の朝顔は群れ咲く中から断片的に切り取られただけの花ではない。其の一輪はいわば影向(ようごう)の朝顔である。
「花物語は尽きないが、もう一つだけ語ることにしよう。十六世紀には、朝顔はまだわれわれに珍しかった。利休は庭全体にそれを植えさせて、丹精こめて培養した。利休の朝顔の名が太閤のお耳に達すると太閤はそれを見たいと仰せいだされた。そこで利休はわが家の朝の茶の湯へお招きをした。その日になって太閤は庭じゅうを歩いてごらんになったが、どこを見ても朝顔のあとかたも見えなかった。地面は平らかにして美しい小石や砂がまいてあった。その暴君はむっとした様子で茶室へはいった。しかしそこにはみごとなものが待っていて彼のきげんは全くなおって来た。床の間には宋細工の珍しい青銅の器に、全庭園の女王である一輪の朝顔があった。」
(岡倉覚三著, 村岡博訳:岩波文庫「茶の本」, p89, 岩波書店, 1991)
Flower stories are endless. We shall recount but one more. In the sixteenth century the morning-glory was as yet a rare plant with us. Rikiu had an entire garden planted with it, which he cultivated with assiduous care. The fame of his convolvuli reached the ear of the Taiko, and he expressed a desire to see them, in consequence of which Rikiu invited him to a morning tea at his house. On the appointed day Taiko walked through the garden, but nowhere could he see any vestige of the convolvulus. The ground had been leveled and strewn with fine pebbles and sand. With sullen anger the despot entered the tea-room, but a sight waited him there which completely restored his humour. On the Tokonoma, in a rare bronze of Sung workmanship, lay a single morning-glory—the queen of the whole garden!
(岡倉天心著:「茶の本 The Book of Tea」, p185, 講談社, 1998)
「宗易、庭に牽牛花(あさがほ)みことにさきたるよし太閤へ申上る人あり、さらは御覧せんとて、朝の茶湯に渡御ありしに、朝かほ庭に一枚もなし
尤無興におほしめす、扨、小座敷御入れあれハ、色あさやかなる一輪床にいけたり、太閤をはしめ、召しつれられし人々、目さむる心ちし玉ひ、はなハた御褒美にあつかる、是を世に利休かあさかほの茶湯と申傳ふ」
(谷端昭夫著:「茶話指月集を読む 宗旦が語るわび茶の逸話集」, p87-88, 淡交社, 2002)