四十九 紅いたどり 鳥兜│「四季の花」秋之部・參, 芸艸堂, 明治41年
附子は、キンポウゲ科、トリカブト属の多年草であるカラトリカブト(唐鳥兜)、学名Aconitum carmichaeli Debx.の塊根から得られる生薬である。兜様の花が秋に咲く直前に掘った母塊根が烏頭、新しく伸長した塊根が附子である。全草にアコニチンなどの強毒性アルカロイドを含み、呼吸中枢麻痺、心臓伝導障害などの神経毒の作用を示す。毒性緩和の為の修治処理が必須であり、家庭での素人療法での使用は禁である。温裏薬に属し、性味は辛、甘,大熱、有毒、帰経は心・腎・脾経、効能は回陽救逆、補火助陽、散寒止痛(衰微直前の亡陽病態を回復する、陽気を補い高める、経絡を暖めて寒を除いて止痛する)である。方剤例には四逆湯、麻黄附子細辛湯、八味地黄丸等がある。
葛飾戴斗画「華陀関羽が臂を割き毒瘡を療ず」│「完本三国志」
中国古代、後漢末期の神医である華佗元化は、『三国志演義』(三国演義)・第75回「関雲長刮骨療毒」でトリカブトの毒矢で受傷した義絶の関羽雲長、関公の外科的治療を行う。
華佗骨を刮りて関羽を治す
華陀、「瘡を見ん」と請いければ、関羽衣を袒(かたぬ)ぎ臂を伸べて見せしむるに、華陀申しけるは、「これは弩(いしゆみ)の矢瘡にして、烏頭といふ毒薬すでに骨に透り入れり。もし早く治せずんば、この臂ながく廃るべし」
関羽がいわく、「いかなる物をもって治すべきぞ」
華陀がいわく、「ただ恐らくは、将軍の驚き怖れたまわんことを」
関羽笑っていわく、「われ死をだに顧みず、なんの怖るることあらん」
華陀がいわく、「静かなる所に一つの柱を立て、鉄の環を打って将軍の臂を環の中に容れ、縄をもってよくよく縛り、被(ふすま)をもつて顔を蒙う。病む人これを見れば怕れ動くことを思うゆえなり。われ刀をもつて皮肉を割き開き、骨に付きたる毒を刮りて藥をもってこれを塗り、その口を縫うときは、おのずから無事ならん。ただ恐らくは将軍おどろき怕れたまうべし」
関羽笑っていわく、「これに過ぎたる易きことやある。何ぞ柱を用うべき」とて、酒を出だしてもてなし、みずから数盃をのんで、もとのごとくまた馬良と碁を囲み、右の臂を伸て華陀にさずけしかば、華陀手に刀をもって、一人の士卒に盆をささげて血を受けさせ、「ただいま切り破り候ぞ、おどろきたまうな」と言いければ、関羽がいわく、「早く割きたまえ、われなんぞ世間の小児と同じからん。御辺心のままに療治せよ」
華陀すなわち刀を持って皮肉をことごとく切り破り、骨を出してこれを見るに、骨すでに毒に染みてその色青し。
すなわち刀をもってこれを割くに、満座みな面を掩うて色を失わずというものなし。
関羽酒を飲み肉を食うて笑ひ談ること故のごとく、碁を囲んでさらに動くことなかりしかば、血ながれて盆に滿し、華陀その毒をことごとく刮りて、能々(よくよく)藥をぬり、。線(いと)をもって口を縫いおわりければ、関羽おおいに笑ひ、諸人に向かって申しけるは、「この臂すでに伸べ屈むるること故のごとし。すこしも痛むことさらになし」
華陀がいわく、「それがし医を業とすること久しけれども、いまだ将軍のごとくなる人を見ず。すなわち真の天神なり。それがしすでに療治を加うる上は、百日を過ぎずして、もとのごとくなるべし。よくよく慎み護りて、怒りの気を起こしたまうな」
関羽かぎりなく欣び、黄金百両をもつて謝しければ、華陀がいわく、「それがし元より、将軍は天下の義士なることを知りて、ここに来たれり。なんぞこの賜を受けんや」とて、ついに受けず。別に藥一貼(てつ)を残して、「後に瘡の口を掩いたまえ」と言うて相別れて去りにけり。
(巻之三十二│落合清彦校注:「完本三国志」第四巻, p313-314, ガウスジャパン, 2006)
治病須分内外科、世間妙芸苦無多。
神威罕及惟関将、聖手能医説華陀
(羅貫中著:中国古典文学読本叢書「三国演義 下」, p618, 人民文学出版, 2019)
治病 須く内外の科を分かつべくも、
世間の妙芸 苦(はなは)だ多きこと無し。
神威 罕(まれ)に及ぶは 惟だ関将のみ、
聖手 能く医するは 華陀を説(い)う。
治療となれば 内科と外科を分けねばならぬが、
世をうならせる名人芸はまず見当たらぬ。
神威の域におよぶのは 関公ただ一人、
聖医の名にふさわしいのは 華陀しかいない。
(井波律子訳:講談社学術文庫「三国志演義 三」, p326, 講談社, 2019)
葛飾応為画「関羽割臂図」, クリーヴランド美術館蔵│久保田一洋編著:「北斎娘・応為栄女集」,藝華書院, 2015