愛犬ランとシニアライフ

リタイア後初めての室内犬白いトイプードルココと暮らし今はココの娘ランと過ごすシニアライフを書いています。

江戸時代の銚子を旅した人々

2014-03-08 21:26:50 | 地域のこと

銚子市文化財審議会委員の米谷博氏の講演、江戸時代の銚子を旅した人々という演題はとても興味深い。

銚子といえば以前は高校野球で知られていましたが現在もテレビの天気予報に毎回地名が出ます。町の歴史を知ると再度郷土が好きになります。

日本ジオパークに認定された銚子半島に人間が暮らし始めたのは、貝塚からの出土品から約1万5千~2万3千年前くらいの旧石器時代で、屏風ヶ浦の上の大地には旧石器人たちの石焼料理をした礫も多く見つかっているそうです。

江戸時代になって醤油や外川漁港の繁盛が江戸~銚子までの利根水運が発展したことにより東京水戸に次ぐ関東の3大都市であり当時3000人だったという横浜は開国後は人口が増え銚子は横浜市に次ぐ4大都市になったようです。その中でも銚子は他の都市とは違って心を癒す観光地として多くの文人墨客が訪れた場所です。1933年(昭和8年)には千葉県で2番目の市に制定されています。

明治から大正にかけて沢山の文人墨客が銚子を訪れたのは聞いていましたが江戸時代に銚子まで旅をするのは大変だったと思います。銚子への旅の諸要素は観光磯めぐり飯沼観音、三社詣の続き、文人、支援者、等あり道標の話もありました。

今は道標は道路の整備等により少なくなってきていますが地蔵様等の道標は片づけがたく供養として土の中に埋めて整備するという話もありました。

マリーナに行く途中にも交差点に大正元年と刻まれた角柱に「従是南千葉縣海上郡高神」という文字を読むことが出来ます。