風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

ペーパーホーム

2010年04月28日 | 「特選詩集」
Shio2


初潮という言葉と海とのつながりとかを
ぼんやりと考えていた頃に
おまえの家は紙の家だとからかわれ
私は学校へ行けなくなった


私は紙のにおいが好きだった
鼻をかむ時のティッシュのにおい
障子のにおい
襖のにおい
紙でできた家があったらすてき
そんなことを文集に書いた


けれども紙の家は雨と風によわい家です
とても壊れやすい家です


紙の家を破いて
とうとう弟も家出した
弟のへやの壁に穴があいている
ぬけ殻のように自分のかたちを残していった
威張っていたけれど小さくてかわいらしい穴だ
壁穴のむこうには何もない
弟には何かが見えたんだろうか


弟があけた壁穴のそばには
きょうだいで画いた古い落書きがある
子どもがふたり手をつないで立っている
目と口の線が笑っている
しあわせを表現することなんて
しあわせになることよりもずっと易しい


台所の壁にも穴があいている
3年前に母があけた
こんな家なんかもうすぐ壊れてしまう
母の口ぐせだった
いつのまにか父も帰ってこなくなった
1年以上も帰ってこないということは
この家を捨てたということだろう
私たちを捨てたということだろう


残ったのは祖母と私だけになった
ふたりとも引きこもりだから出てゆけない
祖母は私を愛していると言う
私は祖母を愛していないと思う
このところ祖母はほとんど言葉を失って
もう私たちに通じあう言葉がない
猫のようによく眠る祖母は
そうやってすこしずつ死んでゆくのだろう
私にはもう涙も残っていないから
しずかに死ねる年寄りはしあわせだと思うことにする
死ぬことも生きることも
私は若いから苦しい


弟のぬけ殻の穴を
私は毎日すこしずつ広げてゆく
壁穴のなかの青い空
切り取られた空は水たまりに似ている
水たまりは湖になり
やがて海になるかもしれない
深い茫洋のそとへ
私は紙の家をすててダイブする
あかい血があおく染まり


そのとき私は
初めての潮になる


(2005)


2010年04月28日 | 「特選詩集」
Hitsuji01


その動物園の
彼女は羊の飼育係です
ぜんぶの羊の顔を
それぞれ見分けることができる
それがひそかな自慢です
不眠症の彼女は
ベッドの中で羊を数えながら眠ります
夜の羊はなぜか
どれも同じ顔をしているので
夢の境目がわかりません
気がつくと
いつも羊がいっぴき足りないのです
だから休日は
普段よりも化粧をていねいにして
迷子の羊を探しに出かけます


(2008)


トンボの空

2010年04月28日 | 詩集「ディープブルー」
Sora9


水よりもにがい
トンボの翅のにがさ
少年の夏は
喉のずっと奥にのこる


空よりも透きとおって
その澄んだ銀色の翅は
ときにカッターナイフの俊敏さで
川面に空をひきよせた


トンボの空に憧れた
ぼくの手が
トンボの翅を半分に切る
空を失ったトンボの
それはちょうど
ぼくの手がとどく空間


トンボが空を失うと
ぼくも空を失う
空はあまりにも透明だから
もうぼくの手はどこにもとどかない
空はどこだ
トンボにたずねても
トンボもこたえない


翅を失ったトンボは
もはやトンボではなかった
そうしてぼくも
たくさんの夏を失った


   *


トンボよトンボ
少年のまぼろし
おまえはいつから空高く
そんなに飛べるようになったのか
青い空と白い雲のはざまに
ぼくは今でも
その透明な翅を見失ってしまう


(2004)


なまず

2010年04月28日 | 詩集「かぶとむし通信」
Touki


ええにおいやなあ
ええにおいやなあ
庭のぶどう棚の日陰で
おばあちゃんがなまずを焼いている
かんてき(七輪)の炭がこげている
なまずの蒲焼はおばあちゃんしかできない


なんでそんなに
ええにおいなんやろ
なまずは憎らしい顔をしている
大きな頭に小さな目
長いひげとぬるぬるの尾びれ
生きているのか死んでいるのか
ふてぶてしさが憎らしい


あの人が釣ったなまずだから
よけいに憎らしい
自分は食べないくせに
のんべんだらりの大なまずばかり釣って
ほかには何もできない


なまずを焼くおばあちゃんの
背中の丸みがかなしい
私はからだをぜんぶあずけたくなって
おばあちゃんの後ろから抱きついてしまう


ああ チエ子や
かんにん かんにん
おまえいきなり何すんねや
うまいこと焼かれへんやないか


あのなあ おばあちゃん
あとの言葉が出てこない
涙でおばあちゃんの背中を濡らしている
ええにおいやなあ
ええにおいやなあ
なんでこんな言葉ばかり
もう私の声じゃない


チエ子や おまえ
ややこ(赤子)でもでけたんとちゃうか
おばあちゃんの声がおなかに響く
涙がとまらない


(2004)


コップ

2010年04月28日 | 詩集「カクテル」
Koppu


夜中にひとり
コップの水を飲むとき
背中でくらい海がかたむく


過ぎた夏は
濾過されて透きとおっている
貝殻をひろうときも
波をたぐるときも
手から手へ語りつがれる


太陽の影でねむり
月の満ちかけに目覚めている
手のなかに藻草
手のなかに乳房
いくども魚のようなキスをした


あの夏と海を
まだ飲み干していないね


(2004)

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