風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

秋の夕やけ鎌をとげ

2024年10月01日 | 「2024 風のファミリー」

 

きょうは夕焼けがきれいだった。よく乾燥した秋の、薄い紙のような雲に誰かが火を点けたように、空がしずかに燃えていた。
急に空が広くなって、遠くの声まで聞こえそうだった。
おうい鎌をとげよ〜と叫ぶ、祖父の声が聞こえてきそうだった。夕焼けの翌日はかならず晴れるので、農家では稲刈りの準備をするのだった。

祖父は百姓だった。重たい木の引き戸を開けて薄暗い土間に入ると、そのまま台所も風呂場も土間つづきになっていた。風呂場の手前で野良着を着替えて農具をしまう。その一角には足踏みの石臼が埋まっていて、夕方になると祖母が玄米を搗いていた。土壁に片手をあてて体を支えながら、片足で太い杵棒を踏みつづける。土壁の上の方には、鎌や鍬がなん本も並んで架かっていた。

祖父に聞いた話だが、祖父のおじいさんは脇差しで薪を割っていたという。どんな生活をしていた人なのか、想像もつかない。シンザエモン(新左衛門?)という名前だったので、シンザさんと呼ばれていたようで、その呼称が屋号のようにして残り、私の父が子供の頃でもまだ、シンザさんとこのシゲちゃんという風に呼ばれていたという。

そのシンザさんとこのシゲちゃんは、家の障子やふすまに落書きをするのが好きな悪ガキだったという。祖父がいくら叱りつけても止めようとはしない。よくみると、子供にしては上手に描いているので、しまいには祖父も叱れなくなったという。
悪ガキで次男坊だったシゲちゃんは、学齢も終えずに、粟おこしの高山堂に奉公に出されてしまった。そこから、商人としての道筋ができたのかもしれない。

いちどだけ、父が絵を描いたのをみたことがある。画用紙のまん中に大きな赤い固まりがあった。それは何なのかと聞くと、父は石だと言った。そんな赤い石があるのかと聞くと、夕焼けのせいで石が燃えているのだ、と父は言った。
九州の田舎を行商していたときに見た、どこかの道端の風景だったのだ。父が絵を描いたのを見たのは、それがいちどだけだった。金儲けに日々追われる商人に、絵を描いたりする余裕はなかった。

小学生の時から、私はソロバン学校に通わされ、夜は店を閉めたあとに、父の帳簿付けの計算をさせられた。振り返ってみれば、私が父の商売を手伝ったのはそれだけだ。高校を卒業すると、私はすぐに家を飛び出した。人あしらいのうまい父の才覚が私にはなかったし、父もそれを知っていたのだと思う。
父はひとりで商売を続け、80歳で店を閉め、それから6年後に死んだ。

父は生前、ぼんやり店の前に立って空を眺めていることがあった。釣りが好きだったから空模様を心配していたのかもしれない。あるいは、仕入れのためのカネの工面など考えていたのだろうか。
ひとは毎日、空の存在など忘れて生活している。誰にもふり向かれなかった空の、夕焼けは一日の終わりの静かな叫びなのかもしれない。百姓の祖父も死に、商人の父も死んで、シンザさんとこの夕焼けだけが残った。
おうい鎌をとげよ〜、と叫んでいる夕焼けだ。だがもう、シンザさんとこに、鎌をとぐ者はだれも居ない。




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