風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

トンボの空があった

2024年08月25日 | 「2024 風のファミリー」

 

夏は、空から始まる。もはや太陽の光を遮るものもない。真っ青な空だけがある。
地上では草の上を、風のはざまを、キラキラと光るものが飛び交う。トンボの飛翔だ。翅が無数の薄いガラス片のように輝いている。
少年のこころが奮いたった夏。トンボの空に舞い上がろうとし、トンボを撃ち落とすことに歓喜した。そんなことに、何故あんなに熱中できたのかわからない。

回想の夏空がひろがる。
細い竹の鞭が空(くう)を切る。その一閃に全神経をそそぐ。中空でかすかな手ごたえがある。つぎつぎにトンボが川面に落下する。トンボは四枚の翅を開いたまま瀬にのって流れていく。残酷な夏の儀式だった。虫の命を奪いながら、少年は背中を太陽に焼かれ、腕や脚を傷だらけにして、いくつもの夏を乗り越えた。

置き去りにしてきた幾つもの夏。
もはや少年の日には戻れない。けれども、どこかに置き忘れたままになっている、古い虫取り網を探しに帰る。
久しぶりの夏を郷里で過ごす。懐かしい駅に降り立ったときの戸惑い。壁の薄汚れた時刻表はいつのものかわからない。行先を見出せないでいると、わずかな乗客を乗せた気動車がしずかに通過していく。置き去りになっているのは、無人改札口の駅か、あるいは少年の私かもしれなかった。

私は突然トンボの記憶に遭遇した。
大きなオニヤンマが、私の頭上をかすめたのだった。細い山の道をなぞるように、かれは空中を行ったり戻ったりしていた。かれのテリトリーに入ってしまった私を、かれは威嚇していたのかもしれない。
少年のこころが動いた。そばに落ちていた竹の棒をひろって、かれの行く手に振り下ろした。戯れのつもりだった。けれども命中してしまった。私の体が覚えていた少年の記憶と感覚は、あまりにも正確すぎたのだ。トンボは落下した。

オニヤンマは、トンボの中では最大級ではなかろうか。その大きな図体が道の上に落ちていた。翅を広げたまま、まるでそこで休んでいるようだった。黄色と黒の縞模様もくっきりとして、美しい緑色の大きな目も、あたりを睥睨するように輝いている。
とつぜんの衝撃に驚いて、そこに落ちているようだった。そうあってほしいと私も願った。だが手にとっても動こうとしなかった。
いつでも飛び立てる格好で、トンボを生垣の上においた。

それまでオニヤンマが飛翔していた空に、ぽっかりと大きな穴があいていた。そこだけ夏の空が失われたようだった。
少年の日に、赤トンボが無数に飛び交っていた空を思い出した。その空から、どれだけのトンボの翅を、そしてトンボの空を奪い取ったことだろう。今になって私は、その広い空間がトンボの空だったことを初めて知った。
 
   蜻蛉の夢や幾度、杭の先 (漱石)




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