夏の夕方、大阪では風がぴたりと止まって蒸し暑くなる。昼間の熱気も淀んで息苦しく感じる時間帯がある。
瀬戸の夕凪やね、と私が言うと、周りのみんなは笑う。大阪人は瀬戸という言葉にあまり馴染んでいない。多くの人は海に無関心で暮らしている。海岸線がほとんど埋め立てられて、海が遠くなったこともあるかもしれない。
瀬戸の夕凪という言葉を、私は別府で療養していた学生の頃に知った。療養所は山手の中腹にあって、眼下には別府の市街と別府湾が広がっていた。
夜の9時には病室の電気は消される。眠るには早すぎるので、夜の海を出航してゆくフェリーや漁船の灯をぼんやり追いかける。航跡の遥か前方には、四国の佐多岬の灯台の灯が点滅しているのが見える。闇の中に無数の灯を浮かべる海は、昼間よりも豊かであり、そこから瀬戸の海がひろがっているのだった。
夏の間、療養所ではどの部屋も窓とドアを開け放っていたので、風がよく通った。昼間は海の方から吹き上げてくる海風、そして夜になると、こんどは山の方から吹き下ろしてくる山風。この風向きが変わる夕方の数時間が無風になる時合いで、瀬戸の夕凪やね、とよく言い交わされていた。
別府は、別府湾という丸い海を抱いているような街で、人々の生活にも海は浸透していた。夜に湾を出て行った漁船は、早朝また湾に戻ってくる。山からの吹き下ろしの風に乗って沖へ漕ぎ出し、朝の海風に乗って帰ってくる。
帆を張って航行した舟の時代からの、そんな舟乗りたちの生活習慣が引き継がれているようだった。漁をする生活は、瀬戸を吹く風とともにあったのだ。
瀬戸内海というひとつの海を共有することで、よく似た気候と風土が存在しているように思える。九州と中国四国、それに近畿と、そこで暮らす人たちの言葉や人間性にも、よく似た部分があるような気がする。古代から海上の交流が盛んだったこともあるだろうが、穏やかな内海を相手にするせいか、人々の性格も概して穏やかで、そこから生まれてくる言葉もやわらかい。同じ風を呼吸し、瀬戸の夕凪を共有しているからだろうか。
瀬戸という地形でみると、別府は西の果てで大阪は東の果てということになる。商人の町として栄えた大阪は、海から運河を通じて交易も盛んだったが、多くの町人の暮らしは海からは離れていたようだ。
それでも海風は勝手に吹いてくる。大阪の夏はしばしば西風に乗って潮の匂いが運ばれてくる。人々はもはや海の感覚を失っているので、潮風を嫌やな匂いの風やなあ、といって嫌い、クーラーの風に浸って瀬戸の夕凪に耐えていたりする。
どんどん遠くなっていく現代の海であるが、ときには海の記憶と感覚を呼び戻すことによって、ちょっとした風の動きにも、涼風のような歓びを感じることはできるかもしれない。
はるかな記憶の彼方で、海から生まれたわれわれにとって、海は生命のコアに秘められたものであり、容易に海から遠ざかることはできないはずである。
「2024 風のファミリー」