ことしもアサガオが咲いた。
種から種を引き継いできたから、咲く花の形も色もいつもと同じだ。今年もまた、いつもの夏の顔に会うことができた、といった懐かしさがある。
もう何年つづいているだろうか。もともとは、孫のいよちゃんから種をもらったものなので、たしかブログに記録が残っていると思って、ブログの中のアサガオを検索してみた。
早いものだ、十年一日の如し、10年前の記録が残っていた。
アサガオの花は、きょう一日を咲いているけれど、ひとは今日一日に10年の歳月を重ねることもできるのだった。その一日に戻ってみる。
***
7月に入ったばかりの朝、最初のアサガオの花が咲いた。
小学1年生のいよちゃんが、学校から種を持ちかえって植えた、そのあと余った種をもらったものだ。学校で習ってきたのだろう、ときどき管理の仕方を、あれこれと電話してくる。このアサガオはやはり、いよちゃんのアサガオの分身なのだ。
わが家でアサガオを見るのは久しぶりだ。
一時期、毎年アサガオを植えていたことがある。アサガオの花がそばにある生活が憧れだった。
新婚の友人の家に泊った夏の朝、窓を開けたらアサガオが咲いていた。ああ、いいなあ、と小さな感動をした。自分にも、いつかそんな朝があるだろうかと思った。
ぼくは結核の療養中で、大学も休学していた。ぼくに将来があるかどうかもわからなかった。紫色のアサガオの花が、幸せの象徴のように、確かな残像となって焼き付いたときだった。
いよちゃんに報告のため、咲いたばかりのアサガオの写真を写して、パソコンから娘のケータイに送った。いよちゃんはケータイを持っていないが、先日、娘に送ったメールの返事が、いよちゃんから届いたことがある。ひらがなばかりで「おかあさんはひるねしてます」というものだった。それで彼女もケータイを操作できることを知ったのだった。
しばらくして、レスが来た。
「いよちゃんのむらさきいろさくかも けど ピンクさくかも けど いよちゃんはむらさきいろがいいな~」
最近は、何を読んでも詩の言葉にみえてしまう。
***
10年前の、そんな夏の一日があったのだ。
きようは、アサガオの言葉が聞こえる。
「ムラサキイロさくかも けど ピンクさくかも けど ムラサキイロがいいかな」。