風の記憶

≪記憶の葉っぱをそよがせる、風の言葉を見つけたい……小さな試みのブログです≫

むらさきいろさくかも

2017年07月12日 | 「新エッセイ集2017」

ことしもアサガオが咲いた。
種から種を引き継いできたから、咲く花の形も色もいつもと同じだ。今年もまた、いつもの夏の顔に会うことができた、といった懐かしさがある。
もう何年つづいているだろうか。もともとは、孫のいよちゃんから種をもらったものなので、たしかブログに記録が残っていると思って、ブログの中のアサガオを検索してみた。
早いものだ、十年一日の如し、10年前の記録が残っていた。
アサガオの花は、きょう一日を咲いているけれど、ひとは今日一日に10年の歳月を重ねることもできるのだった。その一日に戻ってみる。

***

7月に入ったばかりの朝、最初のアサガオの花が咲いた。
小学1年生のいよちゃんが、学校から種を持ちかえって植えた、そのあと余った種をもらったものだ。学校で習ってきたのだろう、ときどき管理の仕方を、あれこれと電話してくる。このアサガオはやはり、いよちゃんのアサガオの分身なのだ。

わが家でアサガオを見るのは久しぶりだ。
一時期、毎年アサガオを植えていたことがある。アサガオの花がそばにある生活が憧れだった。
新婚の友人の家に泊った夏の朝、窓を開けたらアサガオが咲いていた。ああ、いいなあ、と小さな感動をした。自分にも、いつかそんな朝があるだろうかと思った。
ぼくは結核の療養中で、大学も休学していた。ぼくに将来があるかどうかもわからなかった。紫色のアサガオの花が、幸せの象徴のように、確かな残像となって焼き付いたときだった。

いよちゃんに報告のため、咲いたばかりのアサガオの写真を写して、パソコンから娘のケータイに送った。いよちゃんはケータイを持っていないが、先日、娘に送ったメールの返事が、いよちゃんから届いたことがある。ひらがなばかりで「おかあさんはひるねしてます」というものだった。それで彼女もケータイを操作できることを知ったのだった。

しばらくして、レスが来た。
「いよちゃんのむらさきいろさくかも けど ピンクさくかも けど いよちゃんはむらさきいろがいいな~」
最近は、何を読んでも詩の言葉にみえてしまう。

***

10年前の、そんな夏の一日があったのだ。
きようは、アサガオの言葉が聞こえる。
「ムラサキイロさくかも けど ピンクさくかも けど ムラサキイロがいいかな」。 



木にやどる神

2017年07月09日 | 「新エッセイ集2017」

クリスチャンではないので、ふだん教会にはあまり縁がないが、旧軽井沢の聖パウロカトリック教会には魅せられた。建物にみせられたのだ。
思わず教会の中に入ってしまったが、居心地が良くて、しばらくは出ることができなかった。
周りの木々に調和した木造の建物は、柱や椅子、十字架にいたるまで、木が素材のままで生かされており、信仰を超えて、木の温もりの中に神が宿っていそうだった。
それは柔らかくて優しい神だった。

「初めに言葉あり、言葉は神とともにあり、言葉は神なり」
と規定される西洋の神よりももっと古い、言葉よりももっと古い神が、木には宿っているような気がするし、ぼくらが慣れ親しんでいる神も、そのような木の神に近いものだと思う。
そんな親しみのある神が、この木の教会には、柱の陰などにひっそりと隠れているような気がした。

正面の十字架の後ろには四角い窓があり、眩い外光が室内のⅩ字型に組まれた木の柱や木の椅子に、やわらかい影を投げかけている。山小屋や農家の納屋にいるような、厳粛さなどとはちがった、もっと和やかで愉しい空気に包まれる。
やはり木は優しいのだ。木は建物の一部になっても生きつづける。折々に触れた人々の汗と油を吸収し、艶となって鈍く輝いている。静かに昔語りをする老人のようだ。

いつか四国の古い芝居小屋で感じた、あの独特のくつろいだ雰囲気を思い出した。
そこには晴れやかに人々が集う日と、がらんとして静まりかえっている日があり、その繰りかえしの隙間に、人々を日常の外へと誘い出す、神のようなものがそっと潜んでいるようだった。信仰の神というよりも、芸能の神に近いもので、その場にいると、常よりも気分を高揚する何かがあるのだった。

旧軽井沢の聖パウロカトリック教会。
そこは、いろいろな神の近くにいるような、あるいは夢幻の領域に引き込まれようとしているような、そんな不思議な感覚の中で、しばらくは時を忘れることができる空間だった。
ゼウスの神とミューズの神が、仲よく共存していそうな、やさしい木の棲家だった。



赤いノスタルジー

2017年07月04日 | 「新エッセイ集2017」

ヤマモモの実がたわわになっている。
赤く熟れた実をみると取って食べたくなる。飢えていた子どもの頃からの習性だろうか。というよりも、ぼくらの子ども時代は木の実をとって食べるのが本能みたいなものであり、遊びでもあったのだ。
木の実はたいがい酸っぱさと渋み、それにわずかな甘みがある。子どもの頃に甘みに敏感だった舌は、成長するにつれて酸味や苦みへの反応が増していくみたいで、子どもの頃の味の記憶は忘れかけている。

木の実の甘酸っぱさは、いくどもの夏が濾過されたノスタルジックな味ともいえる。くりかえし季節を食べたという実感と、舌先にざらざらと何かが残る食感。少年の日の悔恨のようにかすかに跡を残している。さほど美味いものではないが、ただ食べてみた。そんな悔いのようなものだ。大人になって初めて味わう感覚かもしれない。

ヤマモモの実は、ジャムにしても適度の酸味がパンによく合うらしい。リカーに漬けたらおいしい果実酒ができると聞いた。
手元に飲みかけの佐藤という鹿児島の焼酎がある。これに漬けてみようかとも考えている。お遊びだから氷砂糖は入れない。完璧な果実酒を作るほどの思い入れはない。どんなものができるのかわからない。
佐藤は果実酒にしてしまうにはもったいない酒なのだ。とりあえず色だけを楽しんでみたい。

無色の酒が、どのような赤に染まっていくものなのか。
その赤いしずくを舌にのせる。体の芯の芯まで滴っていき、やがて冷たく蒼ざめた灯心に赤い炎が燃え移る。
重たい梅雨空を振り払って、ヤマモモの酔いは遠い記憶の、その先まで辿りつけるものだろうか。想いばかりが、しずかに時を待っている。

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