チャレンジする私のために

自分の人生...
夢で終わらせるか、チャレンジしてみるか...
ピアノを再開してピアニストになるまでの軌跡

60回目の定期演奏会

2024-05-31 | Weblog
今年のG.Wは福岡に帰省した。
この時期に帰るのは異例なのだけど、どうしても帰りたい理由があった。

母校の「60回目の定期演奏会」開催の連絡が入ったのだ。
しかも、OBも合同で演奏する2ndステージでは、当時顧問だった先生もゲストで呼ばれて1曲指揮を振られると言う。
「これは見逃せない‼️」

「お元気なのだろうか?現在はどうしていらっしゃるのか?」

当時の仲間と再会すると、そんな話題になるのだけど、詳細については誰も知らないでいた。
お会い出来るチャンスだと思ったら、「行く!」と即決していた。

私は、ハッキリ言って高校卒業して、吹奏楽部のOGらしい事は何一つして来なかった。
私の中ではあの日々は過去の事として封印していた。
部活引退のあの日に…。
そこにも、私の心の傷が潜んでいた事に今だから気付ける。

高校生の時の私は、部活だけが支えであり、同時に私の闇でもあった。
毎日、部活を含め音楽に反対する親に反論しながら生きていく事が辛くて仕方なかった。
「なぜ情熱を持って楽しんでいる事を快く応援してもらえないのだろう。なぜこんなにも反対するのだろう。」

「音楽なんかやっていても将来役に立つ事なんてない」と言い切っていたので、とにかく私が音楽に興味を持つ事を阻止したかったのだろう。

それも含めて全て自分で設定して産まれて来たと言う事。

とにかく、高3のコンクール前、色んなプレッシャーから音が出せない程に精神がやられていた。
大事なコンクールを前に、そうなってしまったのだから最悪だった。
そのコンクールを最後に音楽を辞める!と腹をくくって、そこに賭けていたのに、ガス欠で進まなくなってしまった。
もうどこにも居場所が無いと思った。
音が出ない理由も、当時の私は自分で分からなかった。
ただ、申し訳なくて、情けなくて、はがゆかった。
自分で自分を追い詰めて負のループの中にいた。
音が出ないので、唇をマウスピースに強く強く押し付けていた。
歯で口の中は傷だらけになって、音を出すのが痛かった。
記憶をどんどん深掘りしていく…
これはとても大事な過程だ。

部活引退する時に、顧問の先生に書いた手紙を渡した。
「大事な時に迷惑をかけた事へのお詫び。これまでの感謝。これで悔い無く音楽を辞める事が出来る」
恐らくこんな内容だったんじゃないかな…

重苦しい記憶が、今でも私の中にある事に気付けた。
心のヨガを学び始めた今だから、この闇の記憶に近づく事が出来る!


今回、終演後に何十年と言う時を経て先生と少しお話出来た。

「あの時は大変だったね」
第一声はこの言葉だった(苦笑)

「でもやってるんだってね、音楽」
風の噂で聞いていたらしく、ピアノを弾くマネをしながら言って下さり、その表情が、私には何だか嬉しそうに見えた。
それを見て、私も嬉しくなった。

何十年と言う時を経て。
闇が少しずつ癒されていく。

感謝🙏✨
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