つれづれなるままに

日々の雑記

ウズベキスタン・サマルカンド2

2013-06-25 22:39:07 | 

昼食後ショブ・バザールでショッピングタイムの後は
隣接するビビハニム・モスクへ。

ビビハニム・モスク
中央アジア最大のモスク。



手前にあるのは大理石で造られた巨大な書見台。
世界最古のコーランを置くためのもの。







バザール側から



門の前の広場。
この広場で物売りのおばさん達に初めて会いました。
商魂逞しく、また片言の英語でビジネスが続きます。
バザール近くで買ったスザニの入った袋を見ては
次は青い色のものをと勧誘してきます。



レギスタン広場にはこの乗り物で行きます。
グループの半数が次の便にのるため、待っている間中
おばさん達のターゲットです。
私も含め何人かがとうとう購入。
が、お値段と物を比較すると良い買い物かもとみなさん言っていました。


サマルカンドを代表するレギスタン広場です。





内部です。









2年ごとに催される「東洋音楽祭」のリハーサル。
日本も参加しています。



広場の片隅で携帯でお話し中の美女にカメラを向けたら、
わざわざポーズをとってくれました。



(ピンボケでごめんなさい)

お天気も少し回復して、グリ・エミル廟

タジク語で「支配者の墓」と意味する。
ティムールと息子、孫が眠る霊廟。











シャンデリアを降ろしてお掃除中でした。


サマルカンドの夕食は民家レストランで。



プロフです。(チャーハンのようなもの)


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ウズベキスタン・サマルカンド1

2013-06-22 19:53:06 | 

「青の都サマルカンド」と言われているサマルカンドです。
青空の下の青を楽しめる朝となりました。

サマルカンドとはサンスクリット語で人々が出会う場所。
美しさ豊かさゆえ、アレクサンドロス大王はじめ征服者たちに侵略され、
興亡の歴史が繰り返されたところでもある。
シルクロードの要衝の地でもある。

アリ・ブハリ建築群

サマルカンドの新しい聖地。
イスラムの学者のイマーム・アリ・ブハリを祀った廟。







見学する人も多い。



一緒に撮ろうと誘われて…




絨毯工房の見学も。





体験もさせてくれました。
スニカーの足は現地ガイドさんNさんの足。
Nさんは漫画あられちゃん似の25歳。
ウズベキ人です。流暢な日本語に加え、
自国ウズベキスタンの歴史はじめ物事に詳しいです。
東日本大震災の年に、筑波大学に交換留学生で来ていたとのこと。

この工房には元総理大臣の小泉さんの写真もありました。


シャーヒズィンダ廟群

アフラシャブの丘の南にある壮大な霊廟建築群。
青を基調とする美しいタイルと細かいモザイクの
霊廟とモスクが14か所、一直線に建ち並ぶ。
ティムールゆかりの人々の霊廟



案内図










内部



そろそろ帰り道に。

同じようなものをたくさん見て、
「青」がいっぱいできれいだったという印象。

疲れたところで市内中心にあるレストランへ。
「カリムベック」(たぶん、定かではありません)という人気のあるレストラン。
風通りの良い室外で、「ラグマン」(小麦粉のうどんにトマト味のスープ)と
名前を忘れましたが、焼き鳥の大きいもの(美味しかった)食べました。

午後はショブバザールで自由時間を少々。
バザール横のブティック(?)をお仲間と見て歩く。
気に入った小さめのスザニのテーブルセンターを購入。


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ウズベキスタン・シャフリサーブス

2013-06-21 23:25:40 | 

ブハラからシャフリサーブスへバスで4時間弱の移動。
道はあまり良くなく、平原の中を走っているような感じです。

シャフリサーブスは緑豊かな町で、ティムールの生まれ故郷です。
アムール・ティムールとは、ティムール帝国の建国者。
イラクから中央アジアにまたがる大帝国となったのが
ティムール帝国(1370~1500)です。
この人はチャガタイ=ハン国の武将でしたが、
やがて自立して、サマルカンドを都に大帝国を建設した。

アク・サライ宮殿跡



ティムールが残したもっとも壮大な建築物。
現在残るのは高さ約38mにも及ぶ2つのアーチのみ。

ティムールの像



後方に見えるのがアク・サライ宮殿のアーチ

ドルティロヴァウト建築群

ウルグベクが建てたモスクと2つの廟。
ウルグベクは、(1393~1449) チムール帝国第四代君主(在位1447~1449)。
チムールの孫。サマルカンドに天文台を建設し,「ウルグ=ベク天文表」を完成。
内乱中,長子に暗殺された。

  

その内部







バスにてサマルカンドにに向かいます。
1日中バスに乗っていたような感じです。

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ウズベキスタン・ブラハ2

2013-06-20 22:36:33 | 


昼食後はカラーン・ミナレット見学ため歩き出した。
道幅は広く、両側に商店や品物を並べた大道商人が多い。



絨毯やさんかも(?)

途中、トイレ休憩で入った絨毯屋さん。
上の写真とは別の大きな店舗を構えている絨毯屋さん。
先客のフランス人の団体さんは、お茶を飲みながら
お店の若い女性がフランス語で商品の説明をしているのを聞いている。

私たち8人はお茶を飲みながら、
スザニ(刺繍)を広げているのを漫然と見ていた。
ザクロを刺繍したテーブルセンターが印象に残った。

外に出てからやはり気にかかり、添乗員さんについて来てもらい
値段交渉もしてもらったが、言った通りの値段をガンとして下げない。
お土産も一期一会と思い購入。

目的のカラーン・ミナレット



カラーンとは大きいという意味。
チンギス・ハーンにも破壊されなかった。

右側はミル・アラブ・メドレセ、左側はウズベク・メドレセ
ウズベク・メドレセは修復中。


ミル・アラブ・メドレセ



巨大なアーチをくぐると不思議な気持ちになりました。
晴れていたら、
静寂な中にモザイクタイルと文様に神秘さを感じたのでは…







ここから少し歩いてタキへ行きました。
タキとは大通りの交差点を丸屋根で覆ったバザールです。

タキの近くの「コウノトリ」型のはさみの工房で、はさみを購入。
ここのご主人は「地球の歩き方」に
写真が載っているとご本人が言っていました。

また少し歩き、ナディール・ディヴァンペギ・メドレセ




アーチにはイスラム教義に反する顔が描かれている。

ここで踊りとファッションショーを見ながらの夕食。









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ウズベキスタン・ブハラ1

2013-06-18 22:06:05 | 

ウルゲンチ空港でひどいスコールに会い、
ひとつ前の便も飛べない状況です。
22:00発の私達の便もどうなるか心配しましたが、
だいぶ遅れて出発しました。

タシケント行きです。
途中のブハラで止まり、ここで降りる人はあわてて降りました。
バスみたいな経験を飛行機で初めてしました。



ブハラとは、サンスクリット語で「僧院」を意味する。
500年以上の歴史を持ち、シルクロードの大切な十字路として
中央アジアのみならず、イスラム世界全体の文化の中心地として繁栄した。

朝、最初に訪れたのは、イスマイール・サーマニ廟



892年~943年にかけて造られた、
中央アジアに現存する最古のイスラム建築。
日干しレンガの美しい模様に注目!
建物を3回回ると願いがかなうとのこと。
きちんと回って来ました。

すぐ近くにあるバラハウズ・モスク




1718年、アルク城前に建てられたハーン専用のユニークなモスク。
前面に彫刻されたクルミ柱が20本ならぶ。



軒の正面や天井は、赤、緑などカラフルに塗られている


アルク城



古代ブラハの発祥の地。
7世紀には女王ハタ・ハウタンがこの城塞でアラブと戦い、
チンギス・ハーンに破壊される。



民族衣装の女性。



アルク城内に謁見の広場入口。



見学に来ていたおじさん達。
写真を撮ってとカメラを持っている人達にいう。
とても良い表情です!

チョル・ミナル



チョル・ミナルとは4本のミナレット(塔)の意味。
旧市街の東の狭い路地にある。
メドレセの門番小屋として建てられた。
4本のミナレットは美しい4人の娘を表している。

また、旧市街に戻り、昼食。
チキン・シャシリク(鶏のケバブ)が主菜でした。



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木曽・お茶壷道中

2013-06-11 23:38:51 | 俳句

(ウズベキスタン紀行は一休みして)


6月8日~11日、木曽奈良井宿へ出かけました。
この期間は木曽漆器祭と奈良井宿場祭が催されています。
10日のお茶壷道中見学がメインの旅です。

奈良井宿より2駅離れている贄川(にえかわ)で降りて、
中仙道を歩くことにしました。




駅近くにある贄川関所跡へ。




千年の栃の木です。



夏大空千年の栃がひとりじめ 響





途中、平沢駅近くの「永瀬」という美味しい蕎麦処で一休みです。

そば旨し足るを知りつつ汗流す 響



  


平沢からシャトルバスにて奈良井宿へ






木曽大橋

総檜造りで橋桁はありません。






夏燕奈良井の宿をふるさとに 響



奈良井の燕は都会の燕より胸の白さがきれいでした。


お茶壷道中






山梨県都留市のお茶壷道中も応援です。


俳句のお仲間と伊那市へ移動して、マレットゴルフを楽しみました。
初めての体験で運動神経がないのに、ホールインワン!

その時のお仲間の句

朝涼やホールインワンとはたまげたな 淳嶺

まくなぎを払いてマレットホールインワン 紫音

春蝉やマレットゴルフてふ余興 響


漆器市では奈良井と平沢でそれぞれお椀、お箸を買いました。

青葉旅漆器祭で箸二膳 響

奈良井宿はあまり手を加えてない(良い意味で)宿場町です。
ゆったりとした日本の原風景のような安らぎがありました。


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ウズベキスタン・ヒヴァ

2013-06-04 22:51:00 | 


ヒヴァのホテル、マリカホレズム
小さいホテルでしたが、居心地の良いホテルでした。




旅行前はサマルカンドへ心を寄せていました。
「青のサマルカンド」といわれる期待は裏切られなかったのですが、
帰国後印象強く残ったのはこのヒヴァでした。


ヒヴァとは、アムダリヤ川下流のオアシスの待ちで、
古代ペルシャ時代からカラクム砂漠の出入り口として繁栄した。
 ヒヴァは8世紀には存在していたことが知られていたが、当時はシルクロードからカスピ海、
そしてヴォルガ川へと向かう脇道の小さな中継の町に過ぎなかった。
 その後アムダリヤ川の水系が変わったためにヒヴァに都が移され、
17世紀にはホレズムの政治、経済、宗教の中心地となった。
ホレズム随一のイスラームの聖都となったヒヴァの町は外敵の侵入を防ぐために
外壁と内壁の二重の城壁で守られた。
内壁の城壁に囲まれた内城(イチャン・カラ)には20モスク、20のメドレセ、
6基のミナレットはじめ数多くの遺跡が残されている。
 1990年、ユネスコの世界遺産に登録された。ー地球の歩き方より抜粋ー


オタ・ダルヴァサ門(西門)
ヒヴァ(イチャン・カラ)の正門のような所




西門広場




入場してすぐの所あった案内図




西門を入ってすぐに見えるカルタ・ミナル(未完成のミナレット)




ウズベクの人々は子供も大人も人懐っこい。
カメラを見ると撮ってというし、彼らがカメラを持っていると被写体になって欲しいと言う。







ムハンマド・アミン・ハン・メドレセ

中央アジアで最も大きな規模の神学校。
今はホテルとして使用。



門の天井



中庭



日曜日のせいか子供達の見学も多かったです。




キョフナ・アルク
17世紀に建てられた「古い宮殿」という意味のハンの宮殿。



内部です。









展望台から見たイチャン・カラ






ジュマ・モスク

多様式建築で、10世紀に建てられた。
3m間隔に213本の木の柱がある。



撮影スポット




タイムスリップしたような路地。
轍(わだち)の後がくっきりと。




夕食は夏の離宮であったレストランでいただきました。



ウズベキスタンでの食事は、
前菜のサラダが3種類、ナン、主食、デザート、お茶がほとんどでした。

雨が降らないと言われているヒヴァで、
ウルゲンチの空港に向かうバスでは、
スコールのような激しい雨にであいました。

次はブハラに向かいます。



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ウズベキスタン・タシケント

2013-06-02 23:42:45 | 


タシケントの旧市街地へ。

クカルダッシュ・メドレセ




メドレセとは神学校のこと

内部にはおみやげやさんも



この国の特産品でもある工芸細工
コーランを乗せる本台


バクラ・ハン・メドレセ



入口のアーチには、美しいモザイク模様とアラビア語の文様が描かれている。
ですが、アーチ、ミナレット、ドームすべて青を基調に作られていて、
今回の旅行は日付を追ってみなければどれがどこのものかわからないくらいでした。

バクラ・ハン・メドレセより市内を見る



このすぐ近くにあるチョルスー・バザールを見学。
暑さと混雑に少し疲れる。

この後、地下鉄で移動。
地下鉄の駅は素晴らしいものでした。

この国は、空港、駅構内、地下鉄構内は撮影禁止です。

地下鉄で来たところは、ムスタキーリク広場(独立広場)





コウノトリのモニュメント

本物のコウノトリもクカルダッシュ・メドレセ近くで番いを見かけました。


次はウズベキスタン工芸博物館
撮影料4000スム(1000スム≒50円)





民族衣装に使われている柄

  

  

  


(小さい画像はWクリックでおおきくなります)




スザニ(刺繍)



タイルがきれいです!


旧日本兵が強制労働で造ったナヴォイ・オペラ・バレー劇場

「地震の時にもびくともしなかった」という褒め言葉もあります。
残念ながら修復中でした。



建物横には日本人氏名が記されている。




日本人墓地へお参りしました。
祖父の代より墓守をしてくださる人がいるので、
とてもきれいになっていました。
桜が2本あるのも印象的でした。

ウズベキスタン歴史博物館
ここは撮影禁止



ナヴォイ記念碑
ウズベキスタンの国民的詩人アリシェル・ナヴォイ像です。



タシケント発18:40の飛行機でウルゲンチへ向かいます。
プロペラ機でした。
ウルゲンチ空港には、飛行機は到着した機のみ1機。
歩いて到着ロビー(?)らしきところへ。

バス(40分)にてヒヴァへ。 宿泊ホテルはマリカホレズム。
かわいいホテルです。

やっと夕食です。



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ウズベキスタン

2013-06-01 00:00:36 | 





サマルカンドにあるグリ・エミール廟
グリ・エミール廟とは支配者の墓という意味


ウズベキスタンの位置



旅行した地と順路




正式国名:ウズベキスタン共和国
独立日:1991年8月31日 ソ連より独立
首都:タシケント
時差:-4時間


5月17日 成田発10:25→タシケント(直行便)

  
                   
空港からホテルへ向かう車窓から



宿泊したウズベキスタンホテル



老舗の4つ星高級ホテルとのこと。
日本のホテルとは比較ならないことは覚悟していましたが…



ホテルの窓からティムール広場を臨む。

夕食を外のレストランでとり、この日は終わり、
明日はタシケントの見学です。


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