つれづれなるままに

日々の雑記

南砺市福光・城端・・・棟方志功 (5)

2016-02-24 15:42:56 | 
大福寺の続きです。
「不二門」の右側と2階は民芸品の収集場所(蔵)になっていました。



棟方志功筆 「阿弥陀三尊」





大福寺の歴史

棟方志功は福光時代にたくさんの文化人との交流がありました。

「土徳」という言葉も初めて知りました。



 書簡には現れないが、柳(宗悦)はこのとき棟方の作品に画期的な変化が生じていることに驚いた。福光に疎開する前の棟方の絵はタッチは荒々しくて面白いが、柳から見れば我執の強い代物であった。ところが福光で描いた棟方の絵はそのような我執の濁りが消えて、描線は躍動の中に深い静けさをたたえ、彩色は冴え渡って不可思議な光明を放っていたのであった。棟方には大きな内面の転換が生じていた。
 棟方に内面的な転換をもたらしたものは南砺地方の真宗王国の伝統だった。綽如上人、蓮如上人いらい何十世代にもわたって積み重ねられた念仏の生活、それがこの土地の風土となって、眼に見えぬ力で人々を育てる。仏意の大きさに包まれて「誰も彼も、知らずの内、ただそのままで阿弥陀さまになって暮らしている」不思議な世界。棟方の心を開いたもの、人々が自然に「お育て」に預かる力、柳はこれを「土徳」(どとく)という新しい造語をもって讃えた。そして南砺の「土徳」との出会いはそれまでの柳の民藝美論を新しい次元に方向づけた。「土徳」を社会学的に考えるならば、マックス・ヴェーバーがよく用いる「エートス」がこれに近いのではないだろうか。
大福寺住職 太田浩史氏 「柳宗悦と南砺の土徳」より



民芸品の数々




 






アフリカの器です。



名前のある作品ではありませんが、
「華厳松」(光徳寺蔵)に影響を与えたもの。

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南砺市福光・城端・・・棟方志功 (4)

2016-02-24 15:24:07 | 
今日も小雨のお天気でした。

観光課のFさんのお骨折りで、福光の大福寺へ。



「不二門」という山門の左側(写真に写っていない部分)のお部屋で、
太田浩史住職よりお話しを伺いました。
何もかにも知らない事ばかりで驚きでした。

その小部屋には棟方志功の作品がありました。







ムナカタは宮沢賢治が好きだったそうです。



福光にいた頃は文字も書いてそうです。











ムナカタは茶道も嗜まれたとのこと。



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南砺市福光・城端・・・棟方志功 (3)

2016-02-21 21:38:23 | 

そろそろ暗くなってきました。
南砺ふくみつ雪あかり祭りの会場へ向かいます。
会場は、道の駅 なんと一福茶屋の近く。



会場にはいろいろな催しがあり、屋台からは美味しい匂いがいっぱいです。
食べ物券を係りの人からプレゼントされ、きのこ汁をいただきました。
美味しかったです。
男性の方達はカレーも美味しかったとのことですが、
お米が一番美味しかったようです。

私たちがお昼に書いた(塗った)風船もあがりました。





小雨模様のお天気のため、早めに終わりました。

宿に帰り遅い夕食です。
宿は、オーベルジュ&スパ 桜ヶ池クアガーデン。



おいしい地ビールととなみ野の美食フルコースをゆっくりいただきました。

翌朝食のワンプレート。



地産地消の食材です。

モニターツアーのためか、南砺市から特産品のお土産をどっさりいただきました。
南砺の皆様こちらもおいしくいただきました。





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南砺市福光・城端・・・棟方志功 (2)

2016-02-20 20:24:35 | 



福光美術館(クリックしてみて下さい)



ロビー



中庭です。



入場券



瞞着川(だましがわ)  


由 来 瞞着川板画巻 志功先生の法林寺村での仮寓の前を流れる小さな田川を村人達は騙し川と読んでゐた。河童が住んでゐて人を騙すからだと言ふ。先生はこの川に架かる板橋を渡り福光の町に用足しに通った。一夕、隣の江川家の炉火を囲んで河童噺した花が咲いた。先生の郷里の青森でも河童話が多く、また風光もよく似通っているとのことだった。このときの炉話が元で瞞着川板画巻が生れた。昭和二十三年夏、四十五歳のとき鯉雨画斉で作られた。板木が不足の時代で手に入る木片に、手あたり次第に彫った十五~十七cm、十~十四cm、大小とりどりで、三十四枚の構成であった。同年、美術手帖誌上で発表された。元になった随筆、瞞着川は八百字余りの文章で、河童噺の他に疎開中の事柄が載りさながら現代民話の風情を物語ってゐるからの様である。
志功
渦置いて沈む鯰や大月夜
水底の大石軽ろむ十三夜
名月やこの場限りの大鯰





版画年賀状展は撮影がOKでした。







小さい画像の上でクリック。戻る時は左上の⇐(矢印)で。

また城端に戻って、曳山会館



1階の展示場で、お祭りのビデオを見ました。







2階にて、庵唄(端唄)の保存会の方々の実際の唄を披露していただきました。
祭に対する熱意を感じました。
見学者5人に保存会の皆様は12人。
とても写真は畏れおおくて撮れませんでした。

実際の山車も見学。

昼間の様子。



夜の雰囲気。



館長さんより山車の車輪の説明。



この後はまた福光に戻って風船上げです。








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南砺市福光・城端・・・棟方志功 (1)

2016-02-17 11:24:35 | 
南砺福光(ふくみつ)の「雪あかりまつり」で大きな風船をあげるという文字にひかれて、
この旅行を申し込みました。
風船上げは秋田県桧木内で初めて経験し、2度目は台湾で天燈上げをしてきました。
今回は3度目です。

この旅行のタイトルは
「棟方志功が暮らした富山県南砺市福光を知る なんと行こうよ!住もうよ!モニターツアー2日間」

風船上げ8:棟方志功2 の期待での旅でしたが、旅を終えてみれば、棟方志功でいっぱいです。

福光と城端(じょうはな)地区を行ったり来たりの見学でしたので、
見学した順に紹介したいと思います。

北陸新幹線「新高岡」で下車。
出迎えてくれたのは、市観光課のFさん(笑顔が素敵な気さくな若い女性)とバスの運転手さん。
今回の旅のグループのメンバーは5名。



まずはお昼ご飯にと向かった先は、城端に2軒あるお寿司屋さんの「幸すし」さん。



手前のお皿は郷土料理のかぶら寿司と泥鰌のかばやき。
お寿司のネタは富山県のもの。

床の間にも、棟方志功 です。



お店に駐車しているバスは、私達5人が乗っているバスです。




あいにくのお天気でしたが、食後の散歩にとFさんの案内で城端の街歩きです。




善徳寺





南砺市には井波という彫刻で有名なところもあります。
山門の彫刻もすばらしい。



土蔵群・蔵回廊



風情があります。



城端は絹織物が盛んだったところであり、京都に似た街並みです。
名前の由来は、加賀藩の端にあたるところからとか。

街散歩後は近くの公民館で、今晩上げる風船の絵付けです。





みんな無口になり、巨大ぬり絵に手を動かしていました。

塗り終えた後は、風船上げの会場の下見と買い物に。




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