太皷谷稲成神社は安永2年(1773年)に津和野藩主7代亀井矩貞(かめいのりさだ)公が津和野藩の安穏鎮護と領民の安寧を祈願するため、三本松城(津和野城)の鬼門にあたる東北端の太皷谷の峰に、京都の伏見稲荷大社から斎き祀ったのが始めです。(ネットより)
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茅の輪(ちのわ)を作製中でしたが、
茅の輪くぐりをしてお参りしました。
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直ぐ近くにある津和野へ
津和野駅は新しくなっていました。
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鷺舞
疫病鎮護のため、天文 11 年(1542)に津和野城主であった吉見正頼が、京都から山口に伝わっていた祇園会の鷺舞を津和野でも行うようになったとされています。この鷺舞は、弥栄神社の祭礼として神輿の巡行に供奉し、毎年 7 月 20 日は渡御として本社から御旅所まで、27 日には還御として御旅所から本社へ、途中定められた場所で鷺舞が行われます
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津和野の名前の由来のツワブキです。
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