年末から物々交換の社会モデルのありかたについて考えているが、なかなか結論として導き出せないでいたのが、消費者と生産者の関係だった。
消費の反対語は生産になるわけだが、農業者は生産をしているわけではなく、栽培をお手伝いしているだけであり(私の持論ですが)、実際に育てているのは大きな自然界である。一方、消費者はお金さえ出せは何でも手に入ると考えると消費者の方がどちらかというと常に優位な立場となりがちで、貨幣が介在することで物々交換の社会モデルの成立はほぼ不可能になる。
そんなことに悩んでいると、病児保育のフローレンスの代表の駒崎さんは会員の方々に「あなたがたはお客さまではありません」と話されるという。そして「皆さん(会員の方々)はゲストでなくクルーであり、乗組員です。ともにコミュニティを運営するために船を漕いでいる乗組員同士。パートナーとして相互に貢献する関係です。一方的に皆さまがお金を出して私たちがサービスを提供する関係ではありません。互いに貢献し合うことを理想としてコミュニティを運営していきたいと考えています。その理念に賛同された方だけ入会してください」と。
物々交換の社会モデルも同様で、栽培者(生産者)と消費者という役割分担することにそもそもの問題があり、みんながクルーで農業者も消費者もなく、みんなである場所に集い、共にその空間を共有し、農や食や暮らしを楽しむことで、シンプルな物々交換の社会モデルが可能になるのではないか。
今一度考察してみたい。
消費の反対語は生産になるわけだが、農業者は生産をしているわけではなく、栽培をお手伝いしているだけであり(私の持論ですが)、実際に育てているのは大きな自然界である。一方、消費者はお金さえ出せは何でも手に入ると考えると消費者の方がどちらかというと常に優位な立場となりがちで、貨幣が介在することで物々交換の社会モデルの成立はほぼ不可能になる。
そんなことに悩んでいると、病児保育のフローレンスの代表の駒崎さんは会員の方々に「あなたがたはお客さまではありません」と話されるという。そして「皆さん(会員の方々)はゲストでなくクルーであり、乗組員です。ともにコミュニティを運営するために船を漕いでいる乗組員同士。パートナーとして相互に貢献する関係です。一方的に皆さまがお金を出して私たちがサービスを提供する関係ではありません。互いに貢献し合うことを理想としてコミュニティを運営していきたいと考えています。その理念に賛同された方だけ入会してください」と。
物々交換の社会モデルも同様で、栽培者(生産者)と消費者という役割分担することにそもそもの問題があり、みんながクルーで農業者も消費者もなく、みんなである場所に集い、共にその空間を共有し、農や食や暮らしを楽しむことで、シンプルな物々交換の社会モデルが可能になるのではないか。
今一度考察してみたい。
新年を迎えると、左義長の準備をして、同時に大しめ縄をなうことが近くの神社の習わしとなっている。
しめ縄は、米を収穫した後の藁を用い、昨年の収穫への感謝の気持ちと新年の豊作を祈願し、藁を編んだものです。
昔から農業は地域の信仰と密接に結びつき、行事や習わしが農、そして地域の食を支えていたのでしょう。
地域と農、学びと慣習、信頼と感謝は、自然への畏怖をベースに今後どういうカタチで残っていくのか。
変えるもの、変わるもの、変えるべきもの、決して変えないものについて今後熟慮する必要がありそうだ。
しめ縄は、米を収穫した後の藁を用い、昨年の収穫への感謝の気持ちと新年の豊作を祈願し、藁を編んだものです。
昔から農業は地域の信仰と密接に結びつき、行事や習わしが農、そして地域の食を支えていたのでしょう。
地域と農、学びと慣習、信頼と感謝は、自然への畏怖をベースに今後どういうカタチで残っていくのか。
変えるもの、変わるもの、変えるべきもの、決して変えないものについて今後熟慮する必要がありそうだ。
今日は時間価値についてのお話。
時間は質か量かというと、どちらかというと“質”なのだろう。
時間は金なり(Time is money)とよく言われる。時間は貴重であり、貴重であるが故に貨幣価値だけで測れるかというと決してそうではなさそうだ。
時間の累積は期間になるが、期間はお金で換算されることが多い。時間を量で換算すると期間になる。
期間になると時間の大切さがなんだか少し薄れる気がする。
人間は集中力がないといわれる。弱い動物だから故に安易に集中できないDNAになっているという。
集中できるごくごく短い時間を有効に活用して質の高い時間を過ごしたいものだが、今後は同時に期間の価値も重視していきたいと思う。というのは、ひとつひとつの農にはやはり期間が必要で、それぞれの農作物にとってより適当な期間がより美味しい農作物に育て上げる、そんな時間価値を大切にしたい。
時間は質か量かというと、どちらかというと“質”なのだろう。
時間は金なり(Time is money)とよく言われる。時間は貴重であり、貴重であるが故に貨幣価値だけで測れるかというと決してそうではなさそうだ。
時間の累積は期間になるが、期間はお金で換算されることが多い。時間を量で換算すると期間になる。
期間になると時間の大切さがなんだか少し薄れる気がする。
人間は集中力がないといわれる。弱い動物だから故に安易に集中できないDNAになっているという。
集中できるごくごく短い時間を有効に活用して質の高い時間を過ごしたいものだが、今後は同時に期間の価値も重視していきたいと思う。というのは、ひとつひとつの農にはやはり期間が必要で、それぞれの農作物にとってより適当な期間がより美味しい農作物に育て上げる、そんな時間価値を大切にしたい。
福井では冬に食べるらしい。
寒い冬、お正月にはなくてはならない和菓子だそうだ。
お土産ではなく、家庭のオヤツ的な存在で、みんなに愛されているようだ。
それが“水ようかん”らしい。
今日、福井に帰省していた知人に頂いた甘泉堂の“水ようかん”!!熱いお茶と冷たく冷やした水ようかんは喉ごしがなんともなんとも!!
寒い冬、お正月にはなくてはならない和菓子だそうだ。
お土産ではなく、家庭のオヤツ的な存在で、みんなに愛されているようだ。
それが“水ようかん”らしい。
今日、福井に帰省していた知人に頂いた甘泉堂の“水ようかん”!!熱いお茶と冷たく冷やした水ようかんは喉ごしがなんともなんとも!!
浮世絵は江戸時代に発達した版画で“憂世(うきよ)”に由来しているといわれているが、街頭ポスターやチラシが本来の役割であったが、北斎や歌麿によってアートとなった。
それはまた、国内での評価より欧州特にフランスでの評価が高く、国内の保有量より海外への流出量の方が多いといわれている。
先日もTVで北斎の描いた“千絵の海”は昔の釣りの技法の謎を探る貴重な資料になるというが、完全版はパリのフランス国立図書館写本部にしかないという。
なんとも残念だが、誰かが価値を見いだし(誰かが評価をして)、世に残しておいてくれた事には感謝しなければならない。
それはまた、国内での評価より欧州特にフランスでの評価が高く、国内の保有量より海外への流出量の方が多いといわれている。
先日もTVで北斎の描いた“千絵の海”は昔の釣りの技法の謎を探る貴重な資料になるというが、完全版はパリのフランス国立図書館写本部にしかないという。
なんとも残念だが、誰かが価値を見いだし(誰かが評価をして)、世に残しておいてくれた事には感謝しなければならない。
長崎に嫁いだ姪っ子が七ヶ月の赤ん坊と旦那さんと共に年末に里帰りした。
昨年は龍馬人気でたくさんの観光客が訪れた長崎(そういえば私も仕事で6月に寄せて頂いたが・・・)、その長崎がもつ独特な雰囲気は、神戸や横浜のそれとも、函館や小樽などのもつものとも異なった開放感や自由感だったことを思い出した。
※写真は名物?!の“かんころ餅”お芋のようでお芋でない、お餅のようでお餅でない、甘古呂餅!!。
昨年は龍馬人気でたくさんの観光客が訪れた長崎(そういえば私も仕事で6月に寄せて頂いたが・・・)、その長崎がもつ独特な雰囲気は、神戸や横浜のそれとも、函館や小樽などのもつものとも異なった開放感や自由感だったことを思い出した。
※写真は名物?!の“かんころ餅”お芋のようでお芋でない、お餅のようでお餅でない、甘古呂餅!!。
果樹の場合、種から苗木にまで育てることはなかなか難しいが、枇杷の木の下には自然に苗木が何本も育っている。
人が人工的につくった環境より自然環境が常に勝っているのか、木の下に落下した種の絶対量が多いからなのか、よくわからないが、自然はどう考えても偉大だという結論にいつものように辿りつく。
人が人工的につくった環境より自然環境が常に勝っているのか、木の下に落下した種の絶対量が多いからなのか、よくわからないが、自然はどう考えても偉大だという結論にいつものように辿りつく。
元旦はミニトマトの播種を行うことを恒例行事としている。
今年は例年にない雪のため、畑仕事も出来ず、トマトの播種のみの元日となった。
年末は書籍等の整理を行い、もう一度読みたい本を何冊かピックアップしたので、早い機会に読むことにしたい。
今年は例年にない雪のため、畑仕事も出来ず、トマトの播種のみの元日となった。
年末は書籍等の整理を行い、もう一度読みたい本を何冊かピックアップしたので、早い機会に読むことにしたい。