青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

日本育英会廃止

2009-12-07 11:40:00 | Weblog
日本育英会を廃止して、社団法人日本学生支援機構ことを今度の仕分けで、決定されたと聞きます。

無駄、不要と思われる天下り法人の整理には賛成するものです。

しかし、日本育英会には中学、高校とお世話になった一人として、異議を申したい。

十数年前にある受験生の親から、育英資金を受けることは恥ずかしいという言葉を耳にして、もはや、この制度は日本には不要な時代になったのかと思ったことがありました。

即ち、日本皆中流の時代。右肩上がりのバブル期だったと思います。

私は昭和一桁生まれですから、新制中学の第一期生です。

戦後の混乱から日本は抜け出せない、食料ばかりか全ての物資に配給制度が残っている時代でした。

何百人の生徒の中から、高校進学は数人ですから、数パーセントの人間のみが進学できる時代でした。

それは経済的ではなく、成績で選別された時代でもあります。

地元の県立高校に進学できる中学生は、毎年中学ら一人だけ、多くて3人などというものでした。

我が家は四人兄弟で長男と三歳離れた私、その下に四歳離れた男子と男が続き、私より10才下に女でした。

成績抜群の長男は親の自慢の息子で、彼に将来を大いに期待していました。

彼は高校主席、私は中学主席の二人でしたが、母親が長男ばかりを自慢するのに、偏見を感じて中学の校長と口論となりました。

このままだと、兄は大学まで進学させても、この子はどうなるか心配だから、中学時代に育英資金の手続きをしておいたと、校長先生が配慮をしてくれたのでした。

お陰で、兄を大学へ通わせることで困窮していた我が家は、私の高校の月謝まで手が回らないときを迎えていました。

校長先生の思惑通りの状態に、毎月、奨学金が支給されると月謝を収めることでした。

未納者は常に、掲示板に張り出されていましたから、私は毎月の常連でした。

ただし、使い込んでしまって収めない生徒、他とは事務局が事情を理解していて、「決まりだから一応張り出すが、君は奨学金が入ると払うのを知っているから」といってくれていました。

当時は大学、高校へ子供を嘉代干せることは容易なことではなかったのです。

大学へ入ると、入学時の新の成績で、選考されて、資格者が決まるのでしたが、成績に問題はないじょいにゅがくでした。

事務局も私学の狭い枠の中でも、私は間違いないと太鼓判を押されていました。

ところが、却下されて、大学側も私も理解ができませんでした。

理由を調べて大学が知ったことは、私には両親が健在であること、長男が卒業して社会人であること。

その条件では困窮とはみなされないの結果でした。

傷痍軍人の父と病弱な母と祖母の癌と我が家はどん底でした。

入学金は母方の叔父が方々動き回って、どうにか、締切日に間に合ったのでした。

救急としていた際したににその事業を移転するという