青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

そして今、弟を幼稚園バスまで。

2008-06-30 10:07:00 | Weblog
迎えは家内といつの間にか決まっている。

最近は悪口を言ってみたり、飛び掛ったりして様子を見る。

抱きついたり、肩車を要求したりと変化が大きい。

愛情を確かめるのかもしれない。

バスが出た後、2人のママと話が出て、広い道を挟んだ遠い家の幼稚園の年中組みの子が一人で遊びに来る。

送ってゆくと中々親が出てこない。子供は「パパはお仕事で遊んでくれない」「ママはゲームばかりして遊んでくれない」と言うらしい。

子供のことだから100%信用しないにしても、ここまで一人で来るところを見ると、真実もある。

我々には想像もつかない出鱈目な親と思える。

最近、近くに越してきた家にも問題がある。我が家の孫達が前の小公園で遊んでいると、いつの間にか幼児が増えている。

すぐ前の子が、2才の子と4才の子だけが遊びに出てくる。

何時になっても母親は出てこない。時に父親がいても、挨拶もできない。

こんな人種が増えたのかと、心配になってしまう。

元気に登校

2008-06-30 09:58:00 | Weblog
「朝からママが怒っている」「どうして」「Iが起きてゲームばかりしているから」

早起きの弟が新しいゲームをパパに入れてもらって熱中している。

ゲームを取り込める記憶カードを姉が誕生祝に貰ったものを2人で使っている。

弁当つくのに必死で全てがいらいらするのだろう。

今時は綺麗なものをパート先へ持っていく、見栄が働くからか。

昔は便利だった。ご飯に梅干かおここだけである。卵焼きでも入っていたら大変な喜びだった。

その頃はメタボなどという贅沢な言語もなかった。一億総栄養失調だった。

現代人は幸せなようで不幸かもしれない。

三年生の姉でも、皆と合流するまでの100mだけをいつの間にか私と手を繋いでいる。

昨日の行動を知らせるか。今日の行事の打ち合わせ。忘れ物チェックである。

皆の姿が見える頃、手を離す。

つかの間のスキンシップである。

2008-06-29 09:33:00 | Weblog
先ほどの続編である。恋愛の末九州へと継ぐことになった妹を名古屋からと嫁がせた。
恋愛も先様は長男でスムースに進まず、押しかけ女房的な妹のほうが惚れ込んでいた。
会いに九州へ行きたいとか、家内に陰で相談の末の行動を取っていた。知らぬ振りで、厳しい顔の私は親代わりの責任があった。収入は自分で管理させていたから、嫁入りは私たちで用意した。彼女の預金は持参金に持たせた。安サラリーマンだった頃だから、たいしたこともしなかったが、先方のお父さんが涙を流して感激してくれた。
以後、この方は私たちを親代わりとして交際してくれていた。
割り箸工場を経営する山持ちの有力者であった。
我々以上の年代の人たちとの交流が誠意が通う仲であった。

娘と婿

2008-06-29 09:19:00 | Weblog
昨夜から雨が続いている。従姉妹を連れてきて今日送り届ける娘一家。
今時の男性が優しく、女性が強くなったのか。何時も優しい心配りを感じるのは婿の関与したこと。昨日は二つの相反することがあった。
娘がりんごと焼き菓子をそれぞれ一個ずつ持ってきた。
名古屋から持ち帰って何日も過ぎてからである。
「仏様のお下がりか」「有難うと言いたいが、何日も経ってから持ってくるものではない」と気分を悪く受け取った。
多分、私たちが可愛がった甥の仏前に供えたもの。嬉しいお下がり名のである。
持たせた生みの親もその積り。それがこちらへ届かない。
「賞味期限が来月だから大丈夫」と言う。台所のテーブルの上に数日放置とていたのを知っているから「保存の状態によるでしょう」と言うと、ぷいと横を向いて出て行った。
昨夜は従姉妹を連れて夕食はパパ待ちで出かけた。
帰宅は10時ちかかったから、私は2階、家内も階下で転寝の頃、玄関の戸を叩く音がして娘がメロンを2切れもってきた。
昨日、「パパがゴルフのお土産で貰ってきたから」という。
甘く、良く冷えていた。
食後に皆で食べたのだろう。切るとすぐに持ってくるのがパパのいるときに限る。
娘だと食べた後の残り物を持ってくる。
我々に嬉しく伝わるのは必ず、婿の助言があるときなのである。
総じて、現代は男性が優しく、気配りがあると思っていたのが実証されるのである。
それは特に、我が家だけのことなのかもしれない。
私の一人だけの妹が60を過ぎているが、時代が違っても娘とよく似たタイプなのに、我々は苦笑する。
長男は東京の一流会社に勤務していた。妹は高校を卒業すると進学をやめて就職したいと言う。東京の兄嫁は反対して断られた。名古屋の我が家で面倒を見た。三菱へ就職させた。職場が面白くないと不平ばかりで、紹介者に申し訳ない思いだった。丁度、私の大学時代の同期の奥さんの兄さんが銀行の名古屋支店開設準備委員で名古屋へきていた。一緒に酒酌み交わす間になった。信用のできる女子社員が欲しいということになり、妹を採用してくれと頼んだ。それが縁で、本店講習で知り合った九州男と結婚に至った。
バブル期の高度成長時だったから、好成績の銀行はボーナス、給料ともに驚くよさであった。その上一年に二回の社員旅行は豪華版。
名古屋へ来られてこそできた幸せだった。
それも今日まで感謝の言動はなく、断った長男に傾斜している。我々の不徳の致すところと家内と笑っている。
その繰り返しが今の娘。何か因縁めいた不思議を感じないではいられないのである。

水泳進級テスト

2008-06-28 19:14:00 | Weblog
孫娘のテストである。前回、忘れたことで一回り遅れた。前回、テスト前の練習で合格を確信した。
今度通らなかったら文句を言う積りであった。
前回の忘れは、両親が留守で我が家に泊まっている時に、時間を2人とも間違えて風呂へ入っていて、気がついたときには30分が過ぎていた。
クラブへ相談すると、実力がついていれば、担当教官と図って合格もあると責任者が言ってくれた。
返事は今一歩の実力とて、叶わなかった。親たちの都合でそれまで何度も休みを繰り返して、遅れを続けている孫だった。
今日の結果は一人だけ合格。他の数人は全部不合格であった。
親戚の小さい子を連れてきていたから、送迎も私が受け持った。娘は気疲れか、例の慢性頭痛である。
先ず飛んできて孫娘が、「じいじ、やっぱり合格だった」と嬉しそう。
我々の時代は仲間と溺れながら覚えた水泳だが、全種目自己流で泳ぐ。大きな池を何往復も。急流の川でと自然な泳ぎである。クロールなどで泳いでいたら、急流は岩に頭を打ち付けてしまう。抜き手が主流だった。