青い鳥を常に求めて

人生の理想を追求する姿勢で何事にも当たりたい。

1年半振りで会う画商さん

2006-01-31 15:59:00 | Weblog
女性でこの道の顔であり、美人だ。10年ほど前からの付き合いになるだろうか。

駐車場は大型外車が三台。窮屈なところへ私の車を入れるのをためらっていたら、社員が変わりに運転して、駐車場へ運んでくれた。

有名作家の作品が山と積まれている。全国をまたに駆けて、遠出が多く、売り手が殆んどだと言う。

日展トップのOさんの小品だが、安いのに驚き、どれも欲しくなった。

中堅クラスは額代程度で集めてきていた。
世の中好況は車と一部業種と株だけだと痛感した。

まとめて競り市へ出されるから、真贋見分けの付かないものも、多く出るようだ。

昼近くなったから失礼する。用を足したくなったので娘のマンションへ寄ると、午後から孫娘の友人達母子がくると言う。

男の子三歳は大喜び、容易に帰れないから一緒に昼を食べて行けという娘。

姉が幼稚園から帰ったら一層帰りにくくなること必定。間を見て帰途へ。

依然小雨が降り続く。






天気予報より早く雨が降り出す。

2006-01-31 07:45:00 | Weblog

大粒のあめが音を出して降り始めた。外出にはうるさい雨だ。雪にならないだけありがたいのか。

7時IP電話が鳴り、家内が驚く。すぐ悪いほうへ想像するようだ。

この電話に切り替えてから、知っている人が限定されて、架かってくる回数がむしろ減ったのだが、・・・

時間外と緊急も娘は私の携帯電話へメールしてくるから、家内は滅多に電話に出ないからである。

今日から二つのサイトのメイン画像を春らしく変更した。自分の好きな「ネコヤナギ」だ。

立派な写真を沢山掲載したサイトの管理者さんが無条件のリンクふりへだ。

大抵はbannerか提供者名、断りわ一報などがある筈。おおらかな人柄に感謝。

右クリック禁止も私はあまり好きではない。秘密主義は返って災いのもととなることがある。

またテレビが一斉にほりえもん

2006-01-30 19:39:00 | Weblog
今度はプライバシー。生い立ち、日常私生活まで掘り下げて、週刊誌並の放映は気分のよいものではない。

人は皆信じるのが恐ろしい。マスコミの恐ろしさである。

次々に内部告発が出始めて、人間像がどんどん悪へ向かって落ちてゆく。

急に割り込み車検なのに

2006-01-30 19:35:00 | Weblog
今日の午後に完成の電話が入った。28日で切れる。用事を済ませて、夜、持ち込んで、代車も用意してくれた。

トヨタしか付き合いのない私は、どこが安いとか、どこが良いとかは一切耳に入らない。

小型車だが、カーナビも付き、中々の経済車だ。整備箇所もたたあつたが、予定通りに仕上がった。

一年に2万少々払っておくと、何回か定期的にメンテを受けることが出来る。

そんなことが基礎になっているから、触るところも少なく、スムースに車検完了となった。

最後にねアンケート用紙が渡され、不満、気に入らないことあれば書くようになっている。そして、担当者に観ることが出来ないように封をする。

全部満足の二重丸で封をした。安い店などは代車は別に一日いくらで請求が来る。

ここは、それもサービス。レンタカーだと、ガソリン満タンで返却だが、それもなしだった。

エンジン音も気のせいか静かで軽やかに聞こえた。その筈、代車の倍のエンジンだから、静かではある。

明日は名古屋へ午後の約束を、午前に変えて出かけることにした。

有名画商さんと会うのだが、いろいろと勉強になる。

モーツアルト生誕250年

2006-01-29 17:54:00 | Weblog
昨日、今日とテレビで紹介された。オーストリアの地方都市ザルツブルグである。

ナポリ、ポンペイ、ローマと周り、最終がオーストリアのウイーン。

そしてザルツブルグヘ足を伸ばす旅だった。生誕の地、生活の場、おみやげ物は名産のチョコレートがほとんど楽器だったりモーツアルト一色の町だつた。

と言っても大きな建物、教会もある良い都市、元子爵お嬢さん、ニューヨークにビルを持つ実業家、元首相の姪御さんなど私以外はそうそうたるメンバーだつた。

三人で緑あふれるテラスで、ランチをともにした。帰りの免税店で奥さんのお土産の時計を買われた、ブルガリと言う名は当時の私は初耳だつた。

文字盤の綺麗な絵のような高級時計も超ブランド限定品で高価、名前は忘れた。

私は国粋主義と威張ってみても、買えないからだと思われる。イタリヤで唯一欲しかったのがやわらかい皮のコートだつた。

日本では30万は下らない、良品で、薄い、柔らかさは何とも言えず、手を通したが、イタリア人は体系が違うらしい。

袖と他にも手直ししないとむりであった。サイズを指定し、買う積りになっていた。

職人気質だろう、これと同じ上質のなめし皮である保障が出来ないという。

結局、諦めて帰ったが、今でも惜しい思いが残る。

ローマのバチカン王国を羽織はかまとご婦人方は振袖と和装で行列して、人目を引いたのを覚えている。

ウイーンでも日本文化の披露をと頼まれたが、イタリアで十分で、オーストリアは観光にして、楽しんだ。

そのお陰で、ザルツブルグの町を堪能できたのであつた。