PC is no good. 2008-05-14 11:30:00 | Weblog I cannot open this site.I want to be able to open soon.Perheape it will be 2weeks after.Now I do it by son's PC.
愛馬物語 2008-05-04 01:03:00 | Weblog わが愛犬と仲良しだったクラリオンの飼い主の小説が映画になった。退職して北海道へ行った。その後も情報があったのだが、映画で対面できるとは驚いた。ハスキー犬エリーと散歩へ行くコースにクラリオンの牧場はあった。人気者で多くの人が食べ物を持ってきたりしていた。我々とエリーの姿を遠くから見つけるととことここちらー歩いてきて、好物のにんじんも食べたが、犬と遊ぶ姿は仲良しそのものだった。二三度乗馬しませんかと誘われたが、家内はしり込みするから、私も遠慮した。競馬に出た馬で、乗馬クラブから引き取られてきた馬とは知っていた。奥さんと交代で乗馬姿を見たのも何度かあった。奥さんが病気で亡くなったのは知らなかった。映画で今、知った詳しい事情と馬との愛情物語を懐かしく観た。
今日はまご娘の遠足 2008-05-02 09:21:00 | Weblog 登校拒否寸前の友人は昨日から何とかみなの力を借りて登校している。今日もリックを背負って定時刻に我が家へ来た。これが連休前のチャンスとなった。このまま不登校を続けると本式になってしまう。あっけらかんとしている我が家の孫を見て、安堵する。表向きそうであっても、デリケートな女の子でもある。思うことを胸に畳み込まないで、口にするように話している。親だけに任せていたら、子のこのようになっていたかもしれない。親のいないところで、我々に甘える。それが癒しになっていると信じている。無条件でこちらも両手を広げて受け入れる。最近は弟が同じに甘える構図になってきた。壊れたと載せてくれない古い自転車をタイヤ、車体全てを修復して、その上運転のコツを教えた。今ではそれが自信となり、メカにつよいじいじの存在が大きくなっている。幼稚園のバスまで手を繋いでゆくのが嬉しいようである。
NTT西日本ひかり 2008-05-02 09:12:00 | Weblog 昨日工事に来た。いつの間にか申し込んだらしい。いろいろとキャンペーン期間中だから得な方法があったのだが、人の意見を利かないから、どうなったか知らない。夕方工事終了時刻に慌てて娘が紙切れを持ってやってきて。本人の確認だから婿になり済ませと言う。意味不明。「初めから順序だてて話しなさい」「お前の日本語は通じない」プロバイダー契約の封書とNTTの書類が見当たらないと言う。工事の約一ヶ月前頃に届く筈である。再発行して簡単に電話でもらえると思っている。何とか相手と話してIDと仮のパスワードを貰って隣へ行くと、設定に着たのか老人が座ってなにやら打ち込んでいる。今日駄目だと設定が難しいから、再度来ると料金が必要だという。書類をなくしたから、利用可能は2日後の夜になる。「設定なら私がするからいいですよ」と言うと「難しいから誰にでもできるものではない」と威張っている。「私は半年前にひかりにしたばかりで、プロバイダー設定は自分でしたから大丈夫」と言って帰った。同じことをくどくどと話す老人。私よりは若いとみたが、頭は老化がひどい。人不足で講習でも受けさせた老人かNTTのOBなのかも知れない。明後日どうするか、婿は仕事で使うが設計や見積もりのソフトを利用するだけで、パソコンには詳しくない筈だ。DELLだがデスクトップのディスプレー20インチでテレビが観られると喜んで買ったようだ。OSもVISTAが入っていた。これの良し悪しは判断がつくまで私は購入しないのだが、若い人は新しいものが良いと思っている。娘のパソコン一式は台所に放置してある。スキャナーは外へ出して、「ごみの日に出す」と済ましている。PC関係はゴミ回収しないのがきまりである。私も何個か持っているのだが、一度試して、人にあげるにしても性能を確認しようと思う。
北海道は30度を越えたところがあるという。 2008-05-01 23:47:00 | Weblog こちらは曇りがちで26度止まりだった。今朝の小学校登校ぱ時刻になっても例の人が来ないから、出かけた。集合場所で待つと、娘が慌てて呼びに来た。電話で今日登校できそうだと言う。家まで戻って待てという。その必要ないというが、皆も一緒に我が家まで戻った。不登校気味の彼女が母親と来て、友人何人かでその子の手を取って「良かった」と歩き出した。中の一人が突然泣き出して皆を驚かせた。「私も手をつなぎたかった」という。早生まれで幼児性が残る子である。皆もそれに気がついて、その子に合わせるのだが、今朝は皆が不登校のJにのみ気を配っていた。要は、態々皆が我が家の門まで迎えに戻ったことだった。我が家の母親が余計な配慮のし過ぎだった。