人生第二章 挑戦者

<左半身麻痺の機能回復と生活奮闘記>
脳卒中に倒れ、その後の障害、失われた機能、生活を取り戻す記録

調理実習しました。

2015年01月12日 16時07分03秒 | 日記
日清焼そば


今日も晴れの良い天気でしたが、風が吹いて、気温が低く昨日より寒い、寒い日になりましたね。
 こんな日は無理しないで、自宅でのんびりと休養です。でも、休日の掃除担当の私は、午前中にトイレ、洗面所、お風呂を掃除しました。浴槽の掃除では、洗剤を使ってバスタブの掃除をしますので、裸足になって、水洗いをしますので、足にかかる水は冷たいですね。

 掃除を終わる頃にはお昼になっていましたので、今日は、私がお昼を作ってみました。調理実習です。
振り返って、病気に倒れる前には、私は、簡単な料理を家族の為に作っていましたね。今日はあの頃を思い出して、インスタントの焼きそばを作ってみました。最初は、自分の分だけ作りましたが、上手く出来たので、妻の分も作ってあげました。それも上手くゆきましたので、調子にのって子供の分も作ってあげました。三人分作りましたね。簡単なインスタントの焼きそばでしたが、上手くできて、家族に喜んでもらって満足した昼食の調理実習でした。
 その後の午後は、昨日の続きの定年に備えての計画を考えていました。そして、住宅修理の計画をしていたら夕方になってしまいました。一日の時間が過ぎるのは、早いものです。
のんびりした三連休になりました。お風呂に入って左半身のマッサージして今日の疲れをとります。
今夜も、夕食とワインと音楽で夜をくつろぎ、明日からの仕事に備えます。

明日からお正月気分も抜いて平常モードに切り替えですね。一年間カンバロー。

今日の夕暮れ


記録

 天気:晴れ。非常に寒い。北風が冷たい。冷えました。
最高気温(℃)[前日差] 9℃[-2]
 最低気温(℃)[前日差] 2℃[+2]
 体調:体が硬い
 血圧: 111/64/57
 訓練: ストレッチ

星と太陽と青空に願いを』

通勤時間は雨、雪が降りませんように。
妻の負傷が治りますように。
家族が健康で安全で平和な日でありますように。
私の体の障害が治りますように。
地震が起きませんように。
電車のトラブル、人身事故が起きませんように。
悪いことが起きませんように。
明日は今日より良いことがありますように

訪問者の皆さんが健康で安全で平和な日でありますように。

今晩も『太陽と青空と星に願いを』で

今週も頑張るぞ  

挑戦者とカメラマン(妻)




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”明日は我が身”

2015年01月12日 15時07分40秒 | 健康管理・予防
 昨日は友人の”イタリアンな方”と、お久しぶりに電話でお互いの近況お話しました。
”イタリアンな方”は医療・福祉関係のお仕事に従事されています。その”イタリアンな方”がおっしゃったことに、医療・介護の現場では、毎日色々な困難な出来事が起こり、そして、他者から学ぶべき事が多々あります。とおっしゃっていました。そして、自分には関係無い、他人事と思っていた出来事が、いつか自分にも起こってきます、”明日は我が身”かも知れませんよ。とおっしゃった言葉が、昨日から頭の中に残っています。
老後を考えるにあたって”明日は我が身”。この言葉を忘れないようにしたいと思います。

挑戦者




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自転車を買い替えました。

2015年01月12日 13時25分18秒 | スタート・終了・購入
メーカー: ブリジストン ノルコグL (27インチ/重量17.8kg)


 年末27日に自転車を買い替えました。と言っても、私の自転車ではありません。
子供が乗っている自転車です。今まで乗っている自転車は子供の中学入学に合わせて通学用に買った自転車です。その自転車も10年近くになりました。あちこち不具合が出てきて、これから雪の季節になって乗っていると危ないので新車に買い替えました。新車は軽くて、坂道も楽々と登れます。
 ところで、健康な時の私の趣味は自転車でのサイクリングでした。一日に120kmも走った時がありました。子供の自転車を見ていてあの頃の体を取り戻したいと強く思いました。

挑戦者とカメラマン(妻)



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パリの大行進 "Je suis Charlie"

2015年01月12日 12時25分37秒 | 社会・世界
【1月12日 AFP】

フランス全土で反テロ集会、史上最多の370万人参加

イスラエルとパレスチナ自治政府の指導者が各国首脳とらと腕を組み、団結の決意を示したことは近年に無い本当に歴史的な大事件です。
 また、第2次大戦でナチスドイツからパリが解放されたとき以来の歴史的なデモだ、などと伝えています。
ニュースを見ていて事件の大きさに震撼しました。
 日本も西側諸国の一員です。とりわけアメリカの同盟国です。もしも、イスラム過激派が日本でテロを起こして、新宿、渋谷駅など人の集まる場所で爆弾テロが起きて、家族が巻き込まれたらと思うと恐ろしくなりました。
 今の日本は平和ボケしています。現代の世界では、世界中の動きは、やがて日本に連動してやってくるのです。アメリカ、ヨーロッパで起きた事件を他人事と思わないで、日本でも発生する可能性はあると思っておいた方が良いと私達は思います。

今朝は、世界の安全と平和を私達も祈りました。

”Je suis Charlie”

■ 報道

フランス各地で11日、テロに反対するデモ行進や集会が行われ、仏国務省によると同国全土で史上最多の370万人が参加した。首都パリ(Paris)では、世界各国の首脳ら数十人が率いるデモ行進などに、約160万人が参加。「自由」や「シャルリー」などと叫びながら街を練り歩いた。

 パリを象徴する街並みを埋め尽くした参加者らは、7日の風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃事件に始まり、2件の人質立てこもり事件に発展して終結した連続テロ事件の犠牲者を追悼。
一連の事件では3日間で17人が犠牲となり、フランスの過去50年間で最悪のテロ事件となった。

 パリの行進では、フランソワ・オランド(Francois Hollande)仏大統領がイスラエルのベンヤミン・ネタニヤフ(Benjamin Netanyahu)首相やパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス(Mahmud Abbas)議長を含めた世界の指導者らと腕を組み、歴史的な団結の決意を示した。

 シャルリー・エブドのコラムニスト、パトリック・ペルー(Patrick Pelloux)氏はオランド大統領との抱擁に感極まり、涙を流した。オランド大統領は「今日、パリは世界の首都だ」「国を挙げて立ち上がる」と宣言。各国首脳らのデモ行進参加を受け入れました。

テロに抗議のデモ行進

 フランスのオランド大統領と共に40を超える国や機関の首脳らも参加し、ドイツのメルケル首相やイギリスのキャメロン首相のほか、イスラム諸国からヨルダンのアブドラ国王も参加しました。
 また、ふだんは対立するイスラエルのネタニヤフ首相とパレスチナ暫定自治政府のアッバス議長の姿も見られました。
現場付近の広場や道路は大勢の人々で埋め尽くされて一時、身動きがとれないほどの状態となりましたが、参加した人々は、襲撃された新聞社への連帯を示す「私はシャルリ」と書かれたプラカードを掲げたり、フランス国歌を大きな声で合唱しながら歩きました。
 フランス内務省によりますと、参加者は最大で160万人に上るとみられ、フランスのメディアは「第2次大戦でナチスドイツからパリが解放されたとき以来の歴史的なデモだ」などと伝えています。
 フランス国内では南部のマルセイユや中部リヨンなどでも同様のデモが行われ、パリを含めた参加者は370万人を超えるとみられています。
フランスでは依然としてテロの脅威は去っていないとして、最高レベルの警戒態勢をしいています。

■ 各国首脳がテロに抗議

 フランスのオランド大統領は、デモに先立って、大統領府で、各国から集まった首脳らを前に「パリは今日、世界の首都だ。国全体が立ち上がることになる」と語りかけました。

 ドイツのメルケル首相は11日、記者団のインタビューに応じ、「自由、平等、博愛のために力を尽くす人が大勢いることが分かる。歴史的にさまざまな経緯はあったドイツとフランスが友好関係を保ち、この困難なときにフランスの人たちを励ますことができるのをドイツ政府として誇りに思う」と述べました。

 イギリスのキャメロン首相はデモ行進のあと、ツイッターに自身の動画を投稿し、「非常に感動的な経験だった。大勢の人々が集まって、犠牲者との連帯を示そうと、『私はシャルリ』や『私はユダヤ人』などのことばを掲げていたことを忘れることはないだろう」と述べました。
そのうえで、「イギリスでも狂信的なイスラム過激派の脅威と向き合わなければならず、若者を過激な思想に走らせる動きと戦っていかなければならない」として、テロ対策に取り組む決意を表明しました。

 イタリアのレンツィ首相は「ヨーロッパはテロの脅威に必ず打ち勝つというメッセージを発するためにわれわれはここに集まった」と述べ、テロに屈しない姿勢を強調しました。

 イスラム教徒が多数を占めるトルコのダウトオール首相は、デモに参加したあとの記者会見で、「経済危機のあと過激な傾向が勢いづき、大きな脅威となっている」と指摘しました。
そのうえで、ヨーロッパでイスラム教徒や移民を排斥しようとする動きが出ていることに懸念を示し、「宗教や文化の異なる人々が共存し、誰も排除されない環境が守られるべきだ」と述べました。


世界各国で追悼の輪

フランスのパリで大規模なデモ行進が行われたのに合わせて、11日、世界各地で市民による行進が行われ、追悼の輪が広がっています。
このうち、ベルギーの首都ブリュッセルでは、街の中心部に2万人を超える市民が集まり、デモ行進を行いました。
参加者は、襲撃された新聞社への連帯を示す「私はシャルリ」と書かれた紙を持ったり、市民の団結を呼びかける横断幕を掲げたりしながら街を練り歩きました。

 また、南米アルゼンチンの首都ブエノスアイレスでもおよそ1000人が集まりフランスの国旗を振ったり、表現の自由を象徴するペンを空に掲げたりしながら街を行進しました。
デモ行進に参加した女性は「民主主義社会では、報道する自由はどんなことがあっても守られるべきです。フランスでテロ事件が起きた事はとても悲しく思う」と話していました。
11日は、このほかにも、イギリスのロンドン、スペインのマドリード、ロシアのモスクワなどでも集会が行われ、テロ事件の犠牲者を追悼しました。

挑戦者とカメラマン(妻)




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"Je suis Charlie" 犠牲者を世界が追悼

2015年01月12日 11時56分26秒 | 社会・世界
仏紙襲撃、犠牲者を世界が追悼 Charlie hebdo: worldwide tribute


"Je suis Charlie"

先週、1月8日仏パリ(Paris)で起きた風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃事件が全世界を震撼させました。

【1月8日 AFP】(一部更新)仏パリ(Paris)で起きた風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)本社襲撃事件について、殺害された12人の中には著名な漫画家4人が含まれていて自由がシンボルの国、フランスにとって大きな衝撃を与えました。歴史に残る大事件と思いますので、私のブログにも記録しておきたいと思います。


■ 事件

 著名な漫画家4人は、「シャルブ(Charb)」のペンネームで知られていた同紙編集長でもあるステファヌ・シャルボニエ(Stephane Charbonnier)氏(47)、フランス国内では「カビュー(Cabu)」のペンネームで広く知られていたジャン・カビュ(Jean Cabut)氏(76)、ジョルジュ・ウォランスキ(Georges Wolinski)氏(80)、「ティニュー(Tignous)」のペンネームで知られるベルナール・ベラク(Bernard Verlhac)氏(57)。

 数十年にわたり、時事問題を風刺する絵で国民の想像力をかき立ててきた漫画家たちが今回の事件の犠牲者に含まれていることは、フランス国内にさらに大きな衝撃を与えている。

 シャルボニエ氏は1992年にシャルリー・エブド紙に入社。2009年に同紙の編集長に就任した。政治家などの風刺画を同紙に掲載していたが、シャルボニエ氏の風刺画は他にも数多くの左派系メディアや漫画雑誌に登場した。

 シャルリー・エブド紙が2011年、イスラム教の預言者ムハンマド(Mohammed)の風刺画を掲載したことを受けて、シャルボニエ氏らには殺害を予告する脅迫状が複数送り付けられていた。そのため同氏は、警察の保護下にあった。
 またムハンマドの風刺画が原因となり、同紙本社建物には火炎瓶が投げ込まれたり、ホームページがハッカー攻撃を受けるなどの被害に遭っていた。

 一方、カビュ氏は約60年のキャリアで大統領も軍も、宗教も誰も容赦しない姿勢でその時々の社会を風刺してきた。最も根強い人気を維持しているのは、フランスの批判的な人物や人種差別的な人物、やみくもな愛国主義者を風刺した「ブーフ(Beaufs)」。

 しかし、カビュ氏の作品の中でも特に痛烈なものとして知られているのが、イスラム教の預言者ムハンマドを風刺した作品。この風刺画をきっかけに、同紙関係者やカビュ氏は絶えず、殺害脅迫を受けていた。


出典: 【1月9日 AFP】仏パリ(Paris)で襲撃された風刺週刊紙シャルリー・エブド(Charlie Hebdo)は、宗教や支配者を絵で風刺するフランス革命時代にさかのぼる伝統を守る数少ない出版社の一つだ。

 メディアにおける風刺画の歴史に詳しいギヨーム・ドイジー(Guillaume Doizy)氏はAFPの取材に対し、「ここ(フランス)では、挑戦し、非難し、障壁を取り壊すために、絵を戦闘的に使う」と語った。

 非礼なスタイルで知られるシャルリー・エブドは、イスラム教の預言者ムハンマド(Mohammed)の風刺画に対する「復讐」を使命と主張する過激派に襲撃を受けた。

「(シャルリー・エブドは)政治を風刺するだけでなく、環境や経済、金融にいたるまで社会的な批評も含んでいる」と歴史家のクリスチャン・デルポルテ(Christian Delporte)氏は述べた。 

 ファンからは単に「シャルリー」と呼ばれる同紙と、調査的で同紙よりもいくぶん巧妙な内容の週刊紙「カナール・アンシェネ(Le Canard Enchaine)」は、痛烈な皮肉とブラック・ユーモアを融合させることで、19世紀に頂点を迎えた反教権の自由主義者たちの保護者となっていた。

「これらの週刊紙にタブーはなかった」とデルポルテ氏は述べた。だが、「シャルブ(Charb)」のペンネームで知られていたシャルリー・エブドの編集長で、7日の襲撃事件で犠牲となった12人のうちの1人、ステファヌ・シャルボニエ(Stephane Charbonnier)氏(47)は、かつて「カナール・アンシェネでは限度があるが、シャルリーでは何でも言えるし描ける」と語っていた。

■ 初めて登場したのはフランス革命

シャルリー・エブドは、反植民地主義や反教権主義、反体制順応主義、反軍国主義が拡大した20世紀初頭に創刊された、風刺的で無政府主義の週刊誌「ラシエット・オ・ブール(L'Assiette au beurre)」の精神を引き継いだ。
ラシエット・オ・ブールは、力強い散文と、強烈な筆遣いを混ぜ合わせて、「当時の独裁政治とあらゆる形の権力と対決した」とデルポルテ氏は述べた。 だが、激しい言葉と絵は、左翼風刺作家だけの専売特許ではない。

 陸軍大尉のユダヤ人が軍事機密をドイツに漏らしたとして誤って有罪とされ、のちに容疑が晴れた1894年から1906年のドレフュス(Dreyfus)事件の間と、その後の両大戦間の時代には、右翼および極右の挿絵画家は「あらゆる点において残忍で才能に恵まれていた」とドイジー氏は語った。

 報道における風刺画にはすでにこの当時100年の歴史があった。こうした風刺画が初めて登場したのはフランス革命のさなかだった。フランス国王ルイ16世(King Louis XVI)と王妃、マリー・アントワネット(Marie Antoinette)は風刺画家のお好みの標的で、国王はブタ、王妃はヘビとして描かれていた。聖職者もまた連載画でさらし者にされていた。

 だが報道における風刺画が真に本格的になったのは19世紀で、ナポレオン3世(Napoleon III)(ナポレオン1世の甥)の第2帝国下の時代に絶頂期を迎えた。この時にはカトリック教会とバチカン(Vatican)が風刺画家の主要な標的であり、聖職者はみっともない姿に描かれることが多かった。

 シャルリー・エブドも過去30年間、あらゆる宗教をわけ隔てなくその対象としてきた。(c)AFP/Franck IOVENE, Myriam CHAPLAIN RIOU

日本において、風刺画は馴染み薄いものですが、ヨーロッパ、とりわけ、フランスにおいては、権力に対する言論の自由の発表の重要な手段であります。我々が安全で平和に暮らしてゆくには、自由であることの権利を忘れてはいけないのです。


挑戦者とカメラマン(妻)




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