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今から26年前、現役のころ総務部に所属していた私が、出掛ようとしたときにあの忌まわしい阪神・淡路大震災が起こりました。
会社までの交通機関は遮断され、ほうほうの手で夕方に森之宮の事務所にたどり着きました。
すぐに対策本部が設置され、生き埋めになった職員の救出作戦会議が開かれ、翌日5名の救助隊を組み神戸へ。
当時、まだ出回っていなかった肩から掛ける大きな携帯電話機とビデオとカメラをを車に積み込み一路被災地の神戸へ。
何時間かかったか覚えていませんが、まるで空襲の時のような凄まじい消防車や救急車のサイレンの中を・・・・。ぺしゃんこになった家や陥没した道路にはガスが充満し、いつ爆発をしてもおかしくないような状態でした。
その日は友を救出することも出来ず、1枚の写真もビデオを回すこともなく終わってしまいました。あの惨状ではレンズを向けることもシャッターを押す勇気はわきませんでした。
翌日からは救援物資の水や食料などを全国から取り寄せ、八尾飛行場から神戸へ毎日空輸。トイレットペーパーや簡易トイレもかき集め陸送しました。
半月ほどは自宅には帰れず、事務所の机をベッド代わりにして寝どまりを。
コロナ禍で大変なこの時期に、26年前のような大震災が起こらないことを祈ります。