夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

ケネディ家のひな人形

2015年03月04日 | 日記・エッセイ・コラム


連日川崎の少年刺殺事件の報道でうんざりする。
何かおかしい。

物心つく頃、不良がかった兄貴分に憧れたり徒党を組んでみたりは、昔からあった。
しかし地域の住民の眼は、どこどこの息子がどうだという監視をしっかりしていたし、田舎の連絡網はマスコミ以上だった。

今回親や学校、ソーシャルワーカーといった教育システムの話ばかりが取り上げられている。
一方で殴った方の親が抗議されて警察に通報するなどのアクションについては何も言及されていない。
子供の喧嘩とはいえ、警察に通報するくらいの事件性について調査するフォローの仕組みがないのだろうか。
死んでから、事件が起きてからでないと動かない警察のあり方に疑問を抱く。

もうひとつこうした行き過ぎた少年たちを注意する大人がいなくなったこと。
昔は強面のおじさんがこうした少年たちを良い意味で威嚇、牽制したものだし、暴力団ややくざではないけれどOBかシンパのような方が街に一人以上いたものだ。

彼らがどういう生活をしていたかわからないが、おそらく人や芸術に憧れたり感動したりする経験がなかったのだろうと想像される。



そうした報道の中で、ケネディ家に日本人から送られた雛人形の里帰りの報道は新鮮だった。

キャロライン・ケネディさんの発案で日本に里帰りした雛人形の送り主を探し、お礼の手紙が手渡された。
送り主の松本さんは93歳で北海道北見の老人ホーム暮らし、たどたどしい喋り口ながら記憶はしっかりしていた。

ケネディ大統領が就任した当時、アメリカはもちろん日本までもが新しい時代の幕開けを予感してエールを送った。松本さんも感動を手紙にしたためてホワイトハウスに送ったところ丁重な返事が返ってきて驚いたという。
そこでキャロラインちゃんがいるということを知って雛人形を送ることにしたという。

93歳といえば戦争を体験した世代、ケネディ元大統領も日本軍との戦いに参加した。
ペリーの来航以来、日本とアメリカとのおつきあいは大戦での不幸を含めて、特別なものがある。

93歳の松本さんに贈られたキャロライン大使と雛人形の写真を見て流した涙は万感の思いだったにちがいない。
思いついたことを実践して、お返事をいただいた
また思いを雛人形に託してアメリカにお送りした。

世界中から届いた人形の中でも子供心に特別の思いを持っていたキャロライン大使が里帰りを思いつく。
「お国のお役に立ててよかった」という松本さんの一言には、心の触れ合いという人間の大事なアクションが込められている。

そう、乾裕樹さんが作曲された「私の人形」という佳曲を探したが、YOUTUBEにはUPされていなかった。
そこで彼のピアノが聴ける映像を紹介した。




ケネディ家のひな人形 - Hina Dolls Return to Japan

大貫妙子「突然の贈りもの」

大貫妙子 イン アコースティックサウンド3-1.wmv

大貫妙子CM集 with makotosuzuki