夢の介音楽夜話

音楽、アート、グリーン、クラフトなどなど徒然なるままに

2BEATは難しい

2015年08月09日 | 音楽


「2Beat」というリズム、簡単そうでいてこれが難しい。
「ズンチャ、ズンチャとやればいいではないか」と思いたくなるのだが、そう単純ではない。

fiddleやバンジョー、アコースティック・ギターの音を聴きながら傾けるのはバーボンが合う。
大して強くもないのに粋がって、ライブスポットに長居する。

できれば流れる音楽は、流れるようなリズムであって欲しい。
聴いているうちに踊りだしたくなるような、美しい女性に会ってウキウキするように、

いいリズムとは、恋人に向けて恋を語るようなもの、
で、あって欲しい

夢を見ているような世界、
その実現のために膨大な時間と努力を傾けて恋人に捧げる

で、あって欲しい






Alison Krauss and Union Station - Man of Constant Sorrow [Live]

Alison Krauss & Union Station live on stage

終戦と軍歌

2015年08月08日 | クラフト


日本を代表するサッカー選手が、幼少期を過ごした長崎を訪れる。
海外にいて自身のバックグラウンドを確認したい欲求に駆られたという。

それも戦争の被害者、長崎の原爆投下による生き残った人の「生の声」を聞きたいという。
広島に先に投下された原爆、知事たちが対策を立てていたその長崎にも投下され、防空壕を爆風が襲ったという。

別の方は弟妹二人を亡くし、坂道を駈けてくる弟に会い、生きていることを喜んだ。
しかし喜んだのも束の間、弟さんが「兄ちゃん、生きろ!」と言い残し被曝のため数日後死に至った。

人間の運命とはどのようにして神様が決めるのだろうか?
「兄ちゃん、生きろ!」と言われて弟を思いながら生き続ける兄の辛いことよ。

TVの報道で集団的自衛権を反対する若者を指して「自分が戦争に行きたくないからそういうのだろう。利己的だ」とする若い自民党議員がいて驚いた。
ならばあなたが率先して戦争に行きなさい、そういう政治家や軍人たちの過ちで日本国が取り返しのつかない犠牲を払ったのだから。

戦争の体験は、生の声を聞け。
亡くなった父は捕虜となって中央アジアに収容された、部下を引き連れて。

同じ大学に進んだ旧制中学の同窓が歌った「異国の丘」は、彼にはどのように聴こえていたのだろうか。
ずいぶん遅れて帰国した父は、郷里で竹山逸郎氏の公演に奔走したらしい。

軍歌は「戦争を鼓舞するもの」として色眼鏡で見ていた。
が、父の歌う軍歌を聴いているとやるせない悲しみを表現する手段としての役割を感じざるを得ない。

あの時代、誰も戦争が正しいとは思っていなかった。
お上に従う、御国のため、天皇のため、日本人の良くもあり悲しい性が、見事に新天地開拓、富国強兵、経済対策、正義といった美辞麗句に変換された時代であったと思う。

広島の平和記念式典での知事の言葉は重かった。
そこに日本国総理と旧日本軍と戦ったケネディ元大統領の娘キャロラインさんが同席して、核兵器の根絶を話題にしたことは意義深い。

父が生きていたら、今の与党にも野党にも言いたいことがあったろう。
軍刀を下げて右翼で向かった戦争から、共産国の洗礼を受けて帰国し、また晩年は資本主義経済の悲喜こもごもを味わうことになる。

経済学の基本を父から学んでおけば良かった。
戦争の話と。



竹山逸郎1969 異国の丘

軍歌 戦友 鶴田浩二

笑いのメカニズム

2015年08月06日 | 日記・エッセイ・コラム


全編笑い転げる映画を作ったらどんなものか、そんな映画を作ってみたい。
チャップリンを見てコメディアンを志した人は多いだろう。

箸が倒れただけで笑い転げる、年頃の女性は感受性が豊かになり、眼に映る何を見ても笑い続ける、そんな時もある。
男性に較べれば感受性が強いし、そもそも視点が違うのかもしれない。

笑うためには仕掛けがあって段取りがある。
クレージー・キャッツの「金だらい落下」が、いかにワンパターンであっても笑いを期待してしまう。

ドリフターズの文京公会堂での映像も、すべてライブであったというから恐れ入る。
クレージーもドリフも音楽から入ってコメディを目指す。

チャップリンがサイレントにこだわって、なお作曲を手掛けたのも大きなインパクトだ。
才能は生まれつき備わっているのでなく、もちろん努力と環境と時の運など複合要因の賜物だ。

ジャズをやりたくてスイング・クリスタルに移ってきた谷啓さん。
その後お笑いをやりたくてクレージーへ。

学生時代からバンド活動で稼いでいたブー先輩、長さんに誘われてドリフターズへ。
「ドリフターズは如何でしたか?」「健康に良かったよ」(走り回っていたから)

音楽と笑い、恋とエンターテインメント。
魅力があるから続けられるし、やめられない。

要領よく立ち回る人もいるが、良い音楽をやるか否かはファンが見出してしまう。
稚拙でもいい、要は感動を与えてくれるかどうか、、、、だ。


Charlie Chaplin - The Lion's Cage

Charlie Chaplin - Eating Machine

STILL CRAZY FOR YOU_CRAZY CATS&YUMING.flv

トリオ

2015年08月03日 | 音楽


ベース、ギター、ウクレレと、トリオはバンドを構成する最適な単位か。
古いLPレコードのジャケットに良くあるムームー姿のおばちゃま方の絵が様になる。

ウッドベースはエレキベースに変わり、やがてウクレレベースに変わる時代になった。
少々低音は犠牲にしてもノリが出せればそれで良い。

ことさら難しいことをやらなくともグルーヴを出せることが必須だ。
そしてハワイらしいコーラスができればいい。

親父さんの顔に似てきたような気がする、デイヴィッド・カマカヒ。
低い声も似ているのではないだろうか。

ハーレーに乗ってやってきた気さくな親父さんはもういない。
デイヴィッドはハーレーからとった名前だったのかしら。

B級グルメがいつでも庶民の味方であるように、気取らない音楽はいい。
朝食に出てくる薄いコーヒーのようなものでいい。

単純なことをひたすら演じきる、無心にさりげなく。
それが一番難しいことかもしれない。


PBS Hawaii - Na Mele: Waipuna

美しいフラ

2015年08月01日 | アート・文化


フラはあくまでも美しくあって欲しい。
その昔、ステージへ向かうクムフラから話しかけられた時の爽やかな記憶が忘れられない、ステージに立つ前から漂う気品というものを感じたからだ。

ステージにはレイ・カーネ先生がスタンバイされていていつものヴァンプを弾きはじめる。
するとどうしてもいつもの曲になってしまい、目的の曲にならない。

苦笑しながらフラガールたちがまたスタンバイする、そうしてまたヴァンプがはじまると同じ結果になる。
会場も笑いに包まれるが、そのうち心配になってくる。

カーネ先生はお構いなしで、「ソリー、ソリー」
なんとか目的の曲を演奏しフラガールたちは無事(?)フラを終えることができた。

神に捧げるという厳粛さと性への礼賛、ストーリー性と隠された裏の意味、楽園の踊りは「高度な遊びの精神」を備えている。
どの国の踊りも音楽、歌と一体化された完成度が感動を呼ぶのではないだろうか。


閑話休題、郷里の金融機関にビジネスプラン募集みたいなポスターが貼られていた。
家康くんのイラストがあったことから市がバックアップした地域活性化プログラムの一環だろう。

郷里は、川と湖、海といった地の利、温暖な気候、古戦場であった台地が広がり、家康くんの江戸以前からの伝統「ものづくりの風土」から産業が起こった。
木工、織機、楽器やバイク、自動車といった産業は、高度成長や生活様式の変化とともに発展してきた。

しかし景気の後退と日本全体を襲った産業の空洞化は、ものづくりの街をシャッター街化するまで追い込んだ。
ポスターの詳細はわからないが、そうした郷里を取り巻く深刻な経済事情を物語っているのではないだろうか。

翻って見るにこれまでの「ものづくり」なり「ビジネスモデル」誘致は、単体で機能する企業やモデルの受け入れでしかなかった。
それはネット社会の到来と中国はじめ東南アジア諸国の台頭とともに、より複合的な要素を求められている。

織機やオートバイ、楽器といった「モノを作れば売れる」という時代をはるかに通り越して混沌とした状況を突きつけられている。
もはや求められるビジネスプランとは産業や企業といった括りを超えた資源を生かすモノでなければならないと思う。

金融機関はそうした資源や情報が集中する宝の山であるはずだ。
ポスターを貼って汲汲とするのでなく、自らアセンブリメーカーとしての機能を発揮すべきではないか。


美しさとは内面から出てくる知性や理性、精神的なものも含めて光り輝やくものだと思う。
嗚呼、あの時のクムフラに逢いたいものよ。




Beautiful Hula / Polynesian Dancers

Hula Halau O Olana 2014 - Uhiwai - Wahine - Auana