戦後70年の節目を迎え、両陛下がパラオ ペリリュー島へ慰霊に行かれた。
1万人の戦没者とその遺族にとっては大きな慰めとなったことと思う。
太平洋戦争の戦死者は310万人とテレビで報じていた。
カロリン諸島がどの辺りなのか地図をネット検索してみた。
小さな島が幾つもあってその辺りの海底はダイバーのメッカとなっていると記されていた。
沢山の船と海軍の兵隊さんが眠っている海底、家族の所へは戻ってこない遺骨。
昭和19年2月、アメリカの襲撃が始まる前に海軍主艦隊は引き上げたと記されている。
昭和19年12月30日、父は壮絶な戦死を遂げたと・・・・・残された家族はその知らせを受け入れるだけ。
命絶える時流したであろう父の涙は今も海原を漂っていると、もう先の見えてきた娘の心は海を慈しむ。
何処の港から何時出征したの?
父の乗っていた船の名前は?
行き先は?
厚生労働省 社会・援護局から父の情報が届くのは早くても3ヶ月先、そして何が解かるのか。
父の遺族は私一人だけだから、最愛の父を犬死で終わらせない。
きっと生きた証を残してあげるとの強い執念は戦争への怒り。
このたびの両陛下のパラオ訪問のお気持ちが国民の全てに、そして政治家へ伝わりますように。
ちひろ
京都市北区 平野神社にて
画像の日付は1日遅れています。
テレビで桜情報をキャッチして晴れ間を見て走ってきました。
さすが京都、駐車料金は1,000円也でゆっくりしてくださいと、愛想良く迎えてくださいました。
入ったところに桜湯のお店があって300円で、美味しくてはんなりとした気分を楽しんで・・・・・でも撮影は人・人・人が溢れていて無理な状況、屋根の上の方か桜の枝ぐらい。
しだれ桜の前にはひっきりなしに人が入れ替わり立ち代わり、写すのは諦めました~
戦後70年を迎え先の大戦を知らない世代ばかりとなった今、両陛下が若い世代に戦争の悲惨さを知る機会を与えてくださったと思います。
父上の情報が速やかに届けられることをお祈りしています。
さすがに平野神社は珍しい桜があるようですね。
来年には一度行ってっみたいと思いました。
何のために310万人命が奪われたのでしょうか。
戦後70年経て今、平和が脅かされるとは考えても居なかった事です!銃口で平和も人の命も守れる筈は無いと思います。
コメント有難うございます。
平野神社にはまだまだ蕾の桜の木がありました。色んな名前の木札が下がっていました。
「歴史は繰り返す!」とは言いますが繰り返して欲しくない歴史も多く有るんですよね。
「国のため、陛下のため」と言っていた人達は結局自分の野望のためだったのでしょう、
70年経って「国民の生命財産を守るため」と言って自分の野望にまい進する人たちを日本国民の半数近くが支持している事が信じられません。
この度の両陛下のパラオ慰霊のための訪問には、色々と意味深いものが込められていると思いますが、母国へ帰還できなかった兵士達の魂に深々と頭を伏しておられました。
二度と戦争と言う過ちを犯してはならないという思いが伝わってきました。
武器以外の方法で国民の生命財産を守る事は、考えられないのでしょうか。
日本の将来世界の将来に不安を感じる今日この頃です!
コメント有難うございました。
父とは3歳で別れたそうで、記憶に残っているのは握り締めた帽子の汗の臭いだけです。
思春期には睡眠薬を1箱飲んで父を追いかけました。
今でも父が恋しいのです。
戦争の時代を残してゆこうと思っています。
コメット嬉しかったです!
悲惨な戦争が風化していくどころか、美化されていく現状はつらいですね。
京都の桜は、人と車が多く、この時期は敬遠してしまいます。北野天満宮は行くのですが、平野神社は見過ごしていました。一度、行ってきます。
いせえびさま、コメント有難うございます。
「おとうちゃんはすぐに帰って来てやで」・・・そう信じて3歳の私は手を振って分かれたのだろうか。記憶も無いままに貧困と屈辱の戦後を生きてきました。
京都から滋賀へ越してきましたから、時々は京都へ帰りたくなります。四季を通じて楽しめる良い処が沢山ありますね!
いせえびさまでネット検索してみましたが、ブログに出会えませんでした
ちひろ 拝
ブログ初めて2カ月の新参者です。よろしくお願いします。
素晴らしい作品ばかりで感動しました。
ミツマタの作品も大好きなのがありました。
カメラとカメラ技術と素晴らしいのでしょう!
私も昨年はいなべ梅林やぼたん園へへ行きました。
絵画を見ているような作品をこれからも楽しませていただきたいと思います。
どうぞ宜しくお願いします。
再度コメントを入れていただいて有難うございます。
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