こんばんは。
今日は、夜の仕事の日です。
来て早々に、ドライバー Tさんから私に、勤務日のチェンジの依頼があったとの事。
22日と24日のチェンジ。その結果、24日と25日の連チャンになりましたが、金曜、土曜なので、快くOKしました。
お互い様。ですからね。
昨日は、ブログ更新せずに寝てしまいましたので、長女の話が飛んでしまいました。
今日は、続きを。
【事故2】
前回、娘の引越の時に、彼氏が来て、初めて会ったことを書きました。
父親は、自分も『馬の骨』だった事を忘れ、娘が男を連れてきた時に、『何処の馬の骨か分からないヤツ』と思ったりするものです。
娘が、自分の車(オレンジ色のラパン)で、彼氏を連れて福岡に帰ってきた事がありたした。
その日は、こちらは家族全員で、夕方、外食に行きました。
その後、娘たちは熊本に帰り、私達は、那珂川町と言うところにある中之島公園と言うところにホタルを見に行きました。
そこから帰る時に、娘から電話が入りました。
『お父さん。車ぶつけられた。もう動かない。どうしたらいい?』
私は、場所と事故の状況、ケガがないかなどを確認して。
私『車は保険会社に連絡して、レッカー移動してもらうから。それから、今からそこに行くから、安全な所で待ってなさい』
と伝え、娘の車は、私の車と同じ保険に入れていたので、保険会社に連絡して、レッカー移動を依頼しました。
それで、家に帰り、息子と二女を降ろして、九州道の広川インターまで飛ばしました。
娘たちは、高速は使わず、国道3号線で熊本に帰っていました。
ちょうど、広川インターに入る交差点の1つ手前の信号で信号待ちをしていた時に、後方から来た車に追突されました。完全に停車中の事。
追突された娘の車は、前の車に追突し、更に、前の車は、その前の車に追突。3台が巻き込まれる事故でした。
後で、修理工場で車を見せてもらったのですが、後方も前方もグチャリとつぶれ、二人が座っていたシートも『ハの字』に変型していました。
大きなケガが無かったのが不思議なくらい。
車で2人を迎え、熊本まで送りました。
2人とも、勤務先が熊本赤十字病院だったので、彼に病院に電話をしてもらい、救急で検査をしてもらえる様に手配してもらいました。
熊本の病院に着くと、彼のお母さんが待っていて、ここで、初めてのご対面となりました。
その後、2人は検査で異常はでませんでした。ただ、車は、ボディ、シート、その他を相手の保険で修理しました。
場所は、広川インター近くの修理工場。
引き取りには、かみさんと2人で行き、かみさんが娘の車を運転し、私が自分の車を運転して、熊本まで運びました。
運んでまではもらえませんてした。
前回の自転車での事故といい、娘が乗っていた乗り物はメチャクチャになっていますが、娘たちは、びっくりするくらい無事で。
大事にならずに済みました。
【長女の結婚式】
娘の結婚式は、熊本の市内から熊本空港に続くバイパス沿いにある結婚式場でありました。
熊本地震で大きな被害があった益城町に近いところです。
花嫁の父なので、娘をエスコートして、バージンロードを歩きます。
当日に、一度だけ練習。
娘『お父さん、歩くの早い!』
娘にしかられながら、スタッフに説明を受けながら、たった一度の練習。
本番は緊張して。何が何だか。とにかく、言われた通りに、早足にならないように、それだけ。精一杯。
披露宴が始まると、他の結婚式とは違うところが。それは、親族以外、誰も席に居ない事がしばしば。
それは、二人の職場が同じ病院で、科は違いますが、ドクターもナースも基本は知り合い。大きな病院ですが、気さくなのか、仲がいいのか、ケーキカットだの何のと何かあるたびに、親族以外の人が二人を囲んでしまって、誰も席に居なくて。
式場のスタッフの方にも、こんなに誰も席に居ないのは珍しいです。と言われました。
そして、披露宴のクライマックス。
娘が手紙を読む時が来ました。
娘が手紙を読み、父親である私の事を話始めた時に、不覚にも涙が出てきて、その後、号泣してしまって。
後で、かみさんと娘に、『何泣いてるの。恥ずかしい。』なんて言われちゃいました。
何だか、突然、いろんな事を思い出してしまい・・・。
【初孫】
孫は『かわいい』と言いますが。
娘が、最初の子供を出産した日、かみさんと面会に行きました。
嫁に行った娘の子。つまり、外孫です。
退院後、実家である我が家に、子供を連れての里帰り。
赤ちゃんが家に居る。と言うのがどれくらいぶりか。だっこしていいと言われても、我が子を抱いて以来なので、あかちゃんのだっこの仕方も忘れて、恐かった。
次女の名前は、「なな○」と言いますが、姉である長女も、家族みんな、はたまた友達も、そして、本人も、「なな」と呼んでいました。
長女は、この2文字が続く響きが好きだったようで、最初の子供、女の子に、『や』の行の二文字の名前を漢字にして付けました。
二人目の女の子は、『ら』行の二文字の名前を漢字で。
娘は、月に1回くらい帰ってきていましたし、次の子供が生まれた後も、里帰りしていたので、孫が帰ってきた日は、休みの日の朝は、孫を連れて近くの公園に遊びに行くのが私の役目でした。
娘がゆっくり寝るため。
でも、おじいちゃんは、それを喜んでいたのでした。
相当、長くなってしまいました。
では、また。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村
今日は、夜の仕事の日です。
来て早々に、ドライバー Tさんから私に、勤務日のチェンジの依頼があったとの事。
22日と24日のチェンジ。その結果、24日と25日の連チャンになりましたが、金曜、土曜なので、快くOKしました。
お互い様。ですからね。
昨日は、ブログ更新せずに寝てしまいましたので、長女の話が飛んでしまいました。
今日は、続きを。
【事故2】
前回、娘の引越の時に、彼氏が来て、初めて会ったことを書きました。
父親は、自分も『馬の骨』だった事を忘れ、娘が男を連れてきた時に、『何処の馬の骨か分からないヤツ』と思ったりするものです。
娘が、自分の車(オレンジ色のラパン)で、彼氏を連れて福岡に帰ってきた事がありたした。
その日は、こちらは家族全員で、夕方、外食に行きました。
その後、娘たちは熊本に帰り、私達は、那珂川町と言うところにある中之島公園と言うところにホタルを見に行きました。
そこから帰る時に、娘から電話が入りました。
『お父さん。車ぶつけられた。もう動かない。どうしたらいい?』
私は、場所と事故の状況、ケガがないかなどを確認して。
私『車は保険会社に連絡して、レッカー移動してもらうから。それから、今からそこに行くから、安全な所で待ってなさい』
と伝え、娘の車は、私の車と同じ保険に入れていたので、保険会社に連絡して、レッカー移動を依頼しました。
それで、家に帰り、息子と二女を降ろして、九州道の広川インターまで飛ばしました。
娘たちは、高速は使わず、国道3号線で熊本に帰っていました。
ちょうど、広川インターに入る交差点の1つ手前の信号で信号待ちをしていた時に、後方から来た車に追突されました。完全に停車中の事。
追突された娘の車は、前の車に追突し、更に、前の車は、その前の車に追突。3台が巻き込まれる事故でした。
後で、修理工場で車を見せてもらったのですが、後方も前方もグチャリとつぶれ、二人が座っていたシートも『ハの字』に変型していました。
大きなケガが無かったのが不思議なくらい。
車で2人を迎え、熊本まで送りました。
2人とも、勤務先が熊本赤十字病院だったので、彼に病院に電話をしてもらい、救急で検査をしてもらえる様に手配してもらいました。
熊本の病院に着くと、彼のお母さんが待っていて、ここで、初めてのご対面となりました。
その後、2人は検査で異常はでませんでした。ただ、車は、ボディ、シート、その他を相手の保険で修理しました。
場所は、広川インター近くの修理工場。
引き取りには、かみさんと2人で行き、かみさんが娘の車を運転し、私が自分の車を運転して、熊本まで運びました。
運んでまではもらえませんてした。
前回の自転車での事故といい、娘が乗っていた乗り物はメチャクチャになっていますが、娘たちは、びっくりするくらい無事で。
大事にならずに済みました。
【長女の結婚式】
娘の結婚式は、熊本の市内から熊本空港に続くバイパス沿いにある結婚式場でありました。
熊本地震で大きな被害があった益城町に近いところです。
花嫁の父なので、娘をエスコートして、バージンロードを歩きます。
当日に、一度だけ練習。
娘『お父さん、歩くの早い!』
娘にしかられながら、スタッフに説明を受けながら、たった一度の練習。
本番は緊張して。何が何だか。とにかく、言われた通りに、早足にならないように、それだけ。精一杯。
披露宴が始まると、他の結婚式とは違うところが。それは、親族以外、誰も席に居ない事がしばしば。
それは、二人の職場が同じ病院で、科は違いますが、ドクターもナースも基本は知り合い。大きな病院ですが、気さくなのか、仲がいいのか、ケーキカットだの何のと何かあるたびに、親族以外の人が二人を囲んでしまって、誰も席に居なくて。
式場のスタッフの方にも、こんなに誰も席に居ないのは珍しいです。と言われました。
そして、披露宴のクライマックス。
娘が手紙を読む時が来ました。
娘が手紙を読み、父親である私の事を話始めた時に、不覚にも涙が出てきて、その後、号泣してしまって。
後で、かみさんと娘に、『何泣いてるの。恥ずかしい。』なんて言われちゃいました。
何だか、突然、いろんな事を思い出してしまい・・・。
【初孫】
孫は『かわいい』と言いますが。
娘が、最初の子供を出産した日、かみさんと面会に行きました。
嫁に行った娘の子。つまり、外孫です。
退院後、実家である我が家に、子供を連れての里帰り。
赤ちゃんが家に居る。と言うのがどれくらいぶりか。だっこしていいと言われても、我が子を抱いて以来なので、あかちゃんのだっこの仕方も忘れて、恐かった。
次女の名前は、「なな○」と言いますが、姉である長女も、家族みんな、はたまた友達も、そして、本人も、「なな」と呼んでいました。
長女は、この2文字が続く響きが好きだったようで、最初の子供、女の子に、『や』の行の二文字の名前を漢字にして付けました。
二人目の女の子は、『ら』行の二文字の名前を漢字で。
娘は、月に1回くらい帰ってきていましたし、次の子供が生まれた後も、里帰りしていたので、孫が帰ってきた日は、休みの日の朝は、孫を連れて近くの公園に遊びに行くのが私の役目でした。
娘がゆっくり寝るため。
でも、おじいちゃんは、それを喜んでいたのでした。
相当、長くなってしまいました。
では、また。
人気ブログランキングへ
にほんブログ村